追悼 牧口一二さん 播磨靖夫さん
この秋、市民活動をリードした偉大な先達が相次いで鬼籍に入った。牧口一二さん(享年88歳)と播磨靖夫さん(同83歳)だ。2人とも大阪ボランティア協会(以下、協会)の評議員を務めた経験があるが、もちろんその活動は社会全体に大きな影響を与えてきた。
牧口さんは1歳でポリオ(小児まひ)に罹患。歩行が不自由になったが、小学2年の頃から松葉づえで通学できるようになり、美術学校まですべて地域の学校に通った。美術学校卒業後の就職では大変苦労したが、美術学校の学友の助けでグラフィックデザイナーとして活動を始めた。
その牧口さんが障害者問題に関わる発信を増やすのは1976年発刊の手記集『われら何を掴むか~障害のプラス面を考える』の編著者となった頃からだ。それまで負の側面でのみ語られてきた障害の「プラス面」を共有。障害者という立場を積極的に捉える視点は、後の「違うことこそええこっちゃ」という言葉に昇華されていく。
同じ76年、地下鉄へのエレベーター設置運動に取り組む「誰でも乗れる地下鉄をつくる会」の代表に就任。私もメンバーに参加し、そこで牧口さんの発想や姿勢を知ることになった。
たとえば障害者関連施設が近いという理由で喜連瓜破駅に日本の地下鉄初のエレベーターが付くことになった時、強く反対。「エレベーターは障害者が多く利用する場ではなく、まず人が一番集まる場に作り、それを障害者も一市民として利用することで、『あっ、障害者も生きてるんや』いうことがみんなに伝わる。障害者が街を歩き、みんなの目につくことで、知らず知らずのうちにみんなの人生観が広がる。それが大切なんや」というのが理由だ。
交渉時も相手の立場に思いをはせるのが牧口さんで、職階の低い職員が「知りませんでした。分かりました」と言いつつ改善の約束ができないことを理解。役職者の出席を求めて粘り強く対話を続けたところに人柄が表れた。そんな牧口さんの姿勢はエレベーター設置の大きなテコになったと思う。
播磨さんとの出会いは77年。奈良たんぽぽの家と協会が共催し、大阪でわたぼうしコンサートを実施した時だ。
そう、播磨さんは福祉の世界に文化の香りを運んだ人だった。
毎日新聞奈良支局勤務時代に障害者と出会ったことで、市民活動の世界に深く関わることになる。
そのモットーは「重いものを軽く、軽いものを深く」。井上ひさしの「むずかしいことをやさしく……」を模した表現かと思いきや、さにあらず。重い課題を背負う障害者が自身の思いのたけを詩につづり、それに曲をつけて歌うことで、一見、軽く、しかし深いメッセージを届ける。だから、わたぼうしコンサートであり、それはエイブル・アートへと展開していく。
その播磨さんの思想に迫るべく、本誌が以前連載していた「語り下ろし市民活動」で長時間、話を伺ったことがある。
そこで、数々の名言が飛び出した。「社会の変化のきざしは真ん中にはない。周縁のマイナーなアンダーグラウンドの中にこそある」「面白い活動をしている人は思い込みと思い上がりが激しい」「気に入られるものはやるな。気に掛かるものをやれ」「前例のないことをやる。そうしたら必ず第一人者になれる」「社会は見知らぬ人が集まる場。世間は顔見知りの集まり。これからは見知らぬ人との社交の場をどう作るかが大事」……。
「そやからね」と周囲を包み込む語り口だった牧口さん。目の前に活動に追われる私を「もっと俯瞰的に見なさい」とよく叱ってくれた播磨さん。長い間のご指導、誠にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
2024.12
人口減少社会の災害復興―中越の被災地に学ぶこと
編集委員 磯辺 康子
2024.12
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編集委員 早瀬 昇