大阪ボランティア協会は、ボランティア活動・市民活動の啓発、普及、育成を行う団体として、1965年に全国に先駆けて設立しました。
1965年
ボランティアグループの活動上の悩みをグループ間で共同して解決しようと、大阪市社会福祉協議会で「月例会」を開催したことに始まる。1965年に名称を「ボランティア協会・大阪ビューロー」とし、「創立総会」を開催。同年、日本初の「ボランティアスクール」開催した。
1966年
「ボランティア」という用語がまだ一般にはほとんど知られていなかった時代に、その理念や社会的役割についてボランティア自身や一般市民の人たちに啓発する必要性から始められた。当初は、A4・4ページのもので、発行部数は1000部だった。
1970年
若者の市民活動への参加支援は積極的に行った。当初は講義+施設での体験学習だったが、1973年からは金剛コロニーでのワークキャンプ方式になり、2005年(第71期)までという長きにわたり開催。多くの若者を輩出してきた。
1976年
当時、施設や病院でボランティアの受け入れをうまく調整できない課題があり、アメリカでは受け入れ側とボランティアの調整役を担っている「コーディネーター」という役割があると聞き、そのノウハウを学ぶための養成講座を開催した。
1979年
「交通遺児を励ます会」や大阪の地下鉄にエレベーターを設置する「誰でも乗れる地下鉄運動」などのボランタリーな運動を支援してきた。地下鉄に乗るまでの、家から駅までの移動の確保のため、ボランティアとつなぐ「応援センター」の開設につながった。
1991年
協会のボランティア志願者の多くが勤労者だったため、企業に働きかける仕組みを作り、企業人の市民活動への参加を促進するという考えが生まれた。企業や労働組合が社会貢献活動等を推進することは、企業経営においても意味があると強く打ち出し、センターの開設に至った。
1994年
当時としては画期的だった、関心や特技からボランティアプログラムが検索できる仕組みが完成した。その後、1995年にインターネットが急速に普及したことを受け、このシステムがインターネット上で検索できるようになり、今もそのシステムが受け継がれている。
1995年
後に「ボランティア元年」呼ばれるこの時に、協会が中核となって、これまでの歴史の中で築いてきたネットワークを活かしてさまざまな団体・組織と連携した、日本初の災害ボランティアセンターを発足。2万1千人の市民と共に救援復興活動に取り組んだ。
1999年
98年の「特定非営利活動促進法」設立後、「NPOセンター」を名乗る機関が増え始めた。協会は、それ以前からNPO向けに取り組みはおこなっていたが、ボランタリーな組織に対する支援活動を集約し、外部に見えやすくするために、「NPO推進センター」の看板をあげた。
2003年
巡静一記念基金を基に、これまでの市民活動の歴史的資料を集めて散逸を防ぐとともに、現代の市民活動を記録し、市民活動の研究基盤となることをめざし、市民活動専門の資料室「ボランティア・市民活動ライブラリー」を開設した。
2013年
協会は設立以来、100を超える書籍の編集・発刊など、調査・研究の活動を担ってきた。 「ボランタリズム研究所」は、ボランティア活動あるいは市民活動を支える原理の追求と実践的プログラム開発など、理論的科学的な研究を担う目的で開設した。
2013年
2011年の大阪府や市の行政改革の煽りを受け、協会の拠点である、北区事務所と大阪NPOプラザの運営が終了した。
協会の未来像、社会環境の変化を考えた末、「自分たちの力で拠点を運営してみよう!」と意を決し、民による、民のための、市民活動の拠点を開設した。
2015年
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