ボラ協のオピニオン―V時評―

寄付する・会員になる

ボラ協を知る

ボランティアする・募る

学ぶ・深める

人口減少社会の災害復興―中越の被災地に学ぶこと

編集委員磯辺 康子

 2004年10月に発生した新潟県中越地震から20年を迎えた。阪神・淡路大震災(1995年)後、初めて震度7を記録した震災だった。発生直後、山古志村(現・長岡市)の全村避難など甚大な被害が伝えられ、神戸でその映像を見た私は衝撃を受けた。阪神・淡路大震災とともに、日本が地震活動期に入ったことを予感させる震災であり、実際にその7年後には東日本大震災が起きた。
 新潟県中越地震は、日本の中山間地が被災した時の課題をあらわにした。都市型災害だった阪神・淡路大震災とは異なり、大規模な土砂崩れ、集落の孤立がいたるところで発生し、外部からの応援や復旧活動を阻んだ。震災前から人口減少や高齢化という課題に直面していた地域の復興のあり方が課題となり、小規模な自治体が被災で背負う問題の大きさを考えさせられることにもなった。
 災害関連死の深刻さも、クローズアップされた。劣悪な避難環境などが原因で亡くなる関連死は、阪神・淡路大震災で初めて公式の死者数に含まれるようになり、中越地震では68人の死者のうち4分の3にあたる52人にのぼった。車中泊でのエコノミークラス症候群の危険性も指摘された。
 中越地震で見えた課題は、2024年1月に発生した能登半島地震の被災地に重なり、より深刻化しているように見える。そして、それは日本の中山間地全体に共通する問題ともいえるだろう。
 

 一方で、中越地震の被災地の復興過程を見ると、中山間地の災害対応や将来像を考えるヒントになる取り組みが数多くあることも分かる。
 旧山古志村住民が移り住んだ長岡市の仮設住宅団地では、それまでの山の暮らしを継続する工夫があった。団地内は、もとの集落ごとに入居エリアを設定してコミュニティーを維持し、近くには住民が利用する農園が設けられた。従来仮設住宅では認められていなかった店舗営業も可能とした。「帰ろう山古志へ」を合言葉に、仮設住宅であっても震災前の営みを途絶させないという強い思いが感じられた。
 それでも、人口減少を防ぐことは難しかった。震災当時約2200人だった旧山古志村の人口は、最長3年2カ月に及ぶ避難生活の後、約7割に減少した。そして現在の人口は、震災前の3分の1の約720人。高齢化率は5割を超える。
 そんな旧山古志村で今、進んでいるのが「デジタル村民」の取り組みだ。錦鯉の生産が盛んで海外のファンも多いという特色を生かし、錦鯉のデジタルアートを販売して購入者をデジタル村民に認定する。ネット上の仮想空間(メタバース)も活用し、デジタル村民とリアル住民の協働による地域づくりを進める。デジタル村民は国内外におり、すでに1000人を超えたという。こうした「関係人口」による地域活性化の試みは、中山間地の将来像を描く試金石になるかもしれない。

  •  
     中越地震の被災地には、災害の伝承という面でも地道な取り組みがある。地震による土砂崩れで川がせき止められた「土砂ダム」によって水没した住宅を、震災遺構として保存している集落もある。そうした場や震災の伝承施設を結ぶルートは「中越メモリアル回廊」と名付けられ、防災教育や交流の拠点になっている。
     人口減少が著しい中山間地が災害に見舞われるたび、被災地の外からは「復興しなくてもよいのではないか」という声が聞こえてくる。しかし、中越の被災地を歩くと、単に地域を元に戻すとか、人口を維持するというような目標にとらわれない復興像があり、地域の底力を感じる。それは、能登半島地震の被災地をはじめ、中山間地の復興や地域づくりの道標になりうるのではないか、と思う。

ボラ協のオピニオン―V時評―

  • 2024.12

    人口減少社会の災害復興―中越の被災地に学ぶこと

    編集委員 磯辺 康子

  • 2024.12

    追悼 牧口一二さん 播磨靖夫さん

    編集委員 早瀬 昇