壊れゆく民主主義を 基本にかえって問い直す
第2次世界大戦後、さまざまな問題を孕はらみながらも多くの国において受け入れられてきた民主主義的価値観が現在、その価値観の体現者と見られてきた先進国において大きく揺らいでおり、日本もその例外ではない。
むしろ日本の場合、当協会ボランタリズム研究所監修による『日本ボランティア・NPO・市民活動年表』(明石書店刊)で明らかにされたような市民活動の歴史が多くの市民・国民に共有されず、現在の多くの日本人にとって民主主義的価値観に基づく諸権利は、「多くの犠牲を払って勝ち取った」ものではなく「生まれた時から存在していた」と認識されているようにも思える。
筆者は民主主義を、「基本的価値観としての基本的人権の擁護」「参加の保証としての手続き(熟議)の尊重」「多様な立場・意見があるなかでとりあえずの方針を決める手段としての多数決原則」の三つの要素で捉え(注1)、その働きとしては「権力の腐敗・暴走を許さない監視の働き」が重要だと考えている(注2)。
そして三つの要素の中で、第2次大戦後今日に至るまで、多くの日本人の民主主義観は「多数決原則」に偏って理解されてきたとも感じている。このことは、これまでもたびたび繰り返されてきた政権与党による「強行採決」をはじめ、さまざまな組織での意思決定においても感じさせられてきたことである。
しかし、もし民主主義が多数決原則だけで成り立つものとするならば、さまざまな社会的マイノリティの人権は蔑ないがしろにされる危険性が極めて高いことは歴史が証明している。
また、民主主義で大切なことは「説得と納得」だと言われる。立場の違うさまざまな人びとが一つの集団として共に行動(生活)するためには、立場の違いや考え方の違いから生じる異なった意見を互いに尊重し、それぞれが納得できる結論を導くための十分な議論の場や合意形成のための手続き(熟議)が大切だ。多数決は熟議を前提に、どうしても合意が得られなかった場合に「とりあえずどうするか」を決める手法にしか過ぎない。
そのように考えると、先の特別国会での熟議なき国会運営は民主主義の理念を大きく逸脱したものであったと言わざるを得ない。
しばしば指摘されることであるが、ヒトラーはクーデターなどの暴力的手段でなく選挙で選ばれて政権を獲得したのちに独裁化した。
現在でも、正当な選挙で選ばれた首脳による国内法、国際法を無視した強権政治によって世界中の人びとが多くの不利益を被っている。
このことは、「民主主義が常に正しい選択をするとは限らない」「民主主義もしばしば誤りを犯す」ということを示しており、第2次大戦期のイギリスの首相であったチャーチルは「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」と皮肉交じりの名言を残している。
このように考えたとき、第2次大戦後、少なくとも先進民主主義国においては自明の前提とされてきた民主主義を基本に返って問い直すことが必要であるように思われる。このことは、民主主義社会の中でこそ生まれ、育ち、役割を果たしてきたNPO・市民活動にとっては死活的に重要であると言っても過言ではない。
折から、当協会ボランタリズム研究所では、2013年以来継続してきた「市民セクターの次の10年を考える研究会」の新しいテーマとして「民主主義とボランタリズム」(仮題)を取り上げ、今後3年間程度の研究活動を計画している。この取り組みを通して、民主主義の危険性と可能性、現代的課題、そして市民活動とのかかわり等についての理解が深まることを願っている。
(注1)本誌2016年4・5月号「V時評」参照。(注2)権力の腐敗に関しては、「権力は腐敗する傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」というイギリスの歴史家アクトン卿の有名な言葉がよく知られている。
2026.08
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編集委員 牧口 明
2026.06
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