「NPOを通して、市民の意見を行政に伝えていこう」NPO、行政、企業のパートナーシップをテーマに最近開かれたあるシンポジウムで、こんな発言があった。
よく耳にするフレーズだ。「市民の意見」を代表するのがNPOであって、その意見を行政の政策などに反映させることで「市民の声を聞く行政」となる、というわけだ。
確かにNPOには多くの市民が参加しているから、このような発想にも一理がある。
このような発想法の場合、「市民」は行政や企業と対崎する存在となる。つまり【図A】のような位置関係で「市民」がいるということになる。
すなわち、行政や企業から独立して様々な活動を取り組み、そして時には“市民の立場から”行政や企業に要求や提案を行う、という存在だ。各種の要求告発連動などのいわゆるアクション型ボランティア活動では、このような構図で運動をイメージする場合が多かった。
しかし、これは真の現実を反映しているだろうか。
元来、行政とは、私たちが選挙で選んだ首長が組織しているものだ。つまり行政は私たちと切り離された形で存在しているわけではなく私たちとつながっているものなのだ。
これは企業との関係でも同様だ。社会貢献に熱心な企業ばかりではないという現実の背景には、社会貢献に熱心に取り組むことが業績向上の必要条件ではないということがあるだろう。
しかし、なぜそうなるかといえば、私たちが商品を買う際に、その商品を作る企業の社会貢献度などに配慮せず、商品の安さといったことだけを考慮するからではないだろうか。逆に言えば、社会貢献度なども商品を購入する際の判断基準とする人が増えれば、どの企業も社会貢献に熱心になるということだ。私たちの買い物の仕方が、今の企業の姿に反映しているのだ。
本誌の16面からで要約を紹介したウォルフレン氏のいうところの「市民」とは、この行政や企業との日常のつながりも意識する人のことを指すと言えるように思う。
つまり【図B】のように、行政(政治)や企業への働きかけも積極的に行いながら、NPOでのボランティア活動にも参加するといった人だ。つまり「市民」とは行政にも企業にもNPOにも責任を持とうとする。その意味で、まさに「社会の主役」だ。
ボランティア活動に参加するだけでなく、選挙や日常の買い物などでも社会的な意味を意識する。そんな人々であふれた社会を「市民社会」と呼ぶのだと思う。
市民活動情報誌『月刊ボランティア』1997年3月号 (通巻323号)
2024.08
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2024.08
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