「地獄から天国へのジャンプ」と評した雑誌があった。長野五輪ジャンプ団体戦。突然、激しさを増した雪の中、原田雅彦選手の最初のジャンプはわずか七九・五メートル。「またか!」 重苦しい空気が会場を包む。そして二度目。実に137メートルの大ジャンプで日本は団体戦初の金メダルを得た。
ここぞという時に失敗した辛さを知る人は多い。だから子どものように泣く原田選手の姿に、心から良かったと思えた。長野五輪最高の感激シーンは、人生の縮図を思わせるドラマでもあった。
そして、このドラマの舞台を築き支えたのは3万2千人にのぼるボランティアだった。徹夜のコース整備、殺到する観客への対応、外国選手らの通訳、会場でのゴミ収集、案内、警備、連絡係、各種の運転スタッフ…。中には成田や関空での選手団受け入れといった長野会場以外での活動もあった。多彩な市民の手で支えられたオリンピックだったのである。
近年、オリンピックなどの大イベントで、ボランティア参加は常識だ。大イベントでは一時に大量のスタッフが必要となる。一方、市民の間にもイベントを「支える側」=「主催者側」に立ちたいという意欲がある。しかも長い準備期間に一般市民が関わるのは難しいが、大会当日といった短期間なら関わりやすい。こうしたことから大イベントは多くのボランティアの参加を得て開催されるようになってきた。
このボランティアの参加には「安価な労働力」確保といったレベルを超える重要な意味があることを看過してはならない。ボランティアは自発性をその本質とするが、この自発的関与という姿勢はハプニングの多発するイベント時に決定的な意味を持つからだ。
ともかくイベントではハプニングが多い。長野五輪でも、天候不良による日程変更、日本選手の活躍で予想を上回る観客の殺到、その観客の興奮、交通渋滞、あるいは苛酷な屋外活動などでボランティアの大量辞退…と、想定を超える事態が相次いだ。
こうした状況下でもっとも重要なのは「状況から逃げない」ことだ。現実に問題が起こった時、その解決責任を他者に転嫁する「たらいまわし」は事態をより深刻化させやすい。しかし「動員」などで他律的に参加した場合、解決を「動員をかけた人」に任せようとしがちだ。一方、自発的に参加した場合、そこでトラブルに巻き込まれても「人のせい」にはできない。そこで状況から逃げず誠実に事態と向き合う姿勢になる。実はこうした姿勢をとるだけで問題は解決に向けて歩み出すものだ。トラブルに見舞われた観客に親身になって関わるボランティアの姿を想像すれば、このことは容易に理解できるだろう。
実際、長野五輪でも、多くのボランティアが「よろず屋」的な働きで活躍した。規格に合わないコンセントを持ち込んだ外国人記者への対応、聞いたこともない外国の商品名で薬を求められ健康に関わることだと必死の探索…。こうした柔軟で、きめ細かい取り組みの積み重ねが、オリンピックに温かい人間のぬくもりをもたらしたことは言うまでもない。
ただし問題も少なくなかった。元来、経験の蓄積が可能な継続活動ではなく、互いに初対面の者同士が協働し、かつ「ぶっつけ本番」となりやすいのがイベントボランティアだ。その上、イベント自体にハプニングがつき物だから、主催者はよほどの覚悟と準備が必要だ。しかし現実はどうだったか。
NAOC(長野冬季五輪組織委員会)は’94年7月にボランティアセンターを設置するなど早い時期から準備を開始。その中核を担った丸田藤子コーディネーターは、米国大統領執務室ボランティア執務長の「ボランティア同士のトラブルはない。トラブルは職員とボランティアの間で起こる」との助言を参考に、ボランティアだけでなくNAOC職員にも研修を課した。しかし…。
「一部職員が居丈高な調子でアルバイト扱いの命令を出していた」 「役人の指揮下で仕事をし縦割りの弊害などで時間と体力を消耗した」…。NAOCへの不満を語るボランティアの声が数多く報道されている。活動辞退者が続出した背景には「ボランティアの自覚不足」以前の問題があったようだ。
ボランティアを「安価な労働力」とみる発想が相変わらず根強い。しかし市民の自発的参加を促すには研修の充実と一定数の専従コーディネーター確保といった「コスト」が必要だ。そしてボランティアは、このコストを優に超える潜在力を持っていることを、長野のボランティアは証明したのだ。
市民活動情報誌『月刊ボランティア』1998年5月号 (通巻335号)
2024.12
人口減少社会の災害復興―中越の被災地に学ぶこと
編集委員 磯辺 康子
2024.12
追悼 牧口一二さん 播磨靖夫さん
編集委員 早瀬 昇