ボラ協のオピニオン―V時評―

寄付する・会員になる

ボラ協を知る

ボランティアする・募る

学ぶ・深める

地道な活動を支える「夢」の力

(漫)

 七月二十五日、和歌山市で起きた毒物混入カレー事件は、それが不特定多数を無差別に狙ったものであること、夏祭りという地域のふれあい作りの行事で起こった事件であったことなどから、私たちに大きなショックを与えたが、それに加えてやりきれないのは、亡くなった犠牲者が子どもと自治会の役員であったことだ。犯人への加害性など考えにくい二人の子どもと、ボランティアとしてコミュニティ作りに取り組んできた二人の自治会役員が犠牲になった。特に自治会長の谷中孝寿さんは「自分は最後で良い」と他の被害者の保護を優先し、治療が遅れたという。「すぐに適切な手当があれば…」と考えると、その不条理に胸が痛む。
 元来、自治会の役員は、敬遠されることの多いボランティア活動の一つだ。この種の活動の場合、「好きなことを自分のペースで自由に取り組む」などということはほとんどない。要は住民間のさまざまな利害の調整という手間と根気のいる地味な仕事。企業内のような職制もきかない中で住民間の調和や協働をはかるには、私心を抑えて、住民一人ひとりの要望を丁寧に聞いていく姿勢が不可欠となる。しかも、時に激しく対立する要望を調和させるには、より高いレベルでの解決策を提示できるリーダーシップや構想力が求められることも多い。当然に気苦労の絶えない仕事となる。
 近年、ボランティア活動のイメージを軽く、明るいものにしようとのキャンペーンが続いてきた。たとえば「いつでも、どこでも、誰でも、気軽に、楽しく」こそがボランティア活動のモットーだと喧伝され、こむずかしい議論をできるだけ避けようとする動きがある。活動への敷居を下げ、短かく軽い出会いを通して、他者を支え、支え合えることの楽しさを伝えようとの趣旨からだ。  確かに、ボランティア活動には新たな役割を得られることやそれまでの所属集団を超えた仲間との出会いなど、「元気の素」とでも言える場面がたくさんある。そうした面を評価しないまま「社会のために自己を犠牲にして活動しているのに誰も分かってくれない」と、一種の被害者意識で迫ることさえあった以前に比べれば、とても自然な活動観が広がってきたと言える。
 しかし、その明るさや楽しさばかりが語られすぎてしまうと、ボランティア活動の姿は随分とゆがんでしまうように思う。自由にできる解放感や仲間を得られる嬉しさばかりに目を奪われると、結局、「自己満足」の行為に堕してしまう。ボランティアには、その社会的な効果をみすえる視点が不可欠だ。つまりボランティア活動は、その結果・効果に対する「責任」に応えようとすることによって、初めて社会的な意味をもつものなのだ。
 ただし、この場合の「責任」とは「権限と引き換えの責任」というより、「自ら選び取る責任」だ。権限と引き換えに他者から課せられる責任を仕方なく受け持つというのではなく、対価のないまま自ら能動的に責任を引き受けるということだ。まさに「自発的に責任を負う」のである。
 ここで、この責任感を支えるのは「自分がしなければ…」という自負心であり、自らの取り組みに対する誇りだ。そして、この自負心や誇りは、日々の活動の成果が花開いた状況を想像する力、いわば「夢」を持つということによって支えられる。本誌の連載『言葉|歴史の中のボランタリズム』でも紹介したキング牧師の言葉|「私には夢がある」の「夢」とは、まさにこのようなものだ。亡くなった谷中さんも、自治会活動の成果として描かれた大きな夢を支えに、日々の地道な活動を進められきたのではないかと思う。 七月には和歌山の事件とともに、もう一つ悲しい事件があった。タジキスタンでの国連平和維持活動中、秋野豊氏らが何者かの手で惨殺された事件だ。秋野氏もまた、同じように大きな夢をもって活動に取り組んでこられた方だった。いや、秋野氏に限らず、世界中の紛争地帯で多くのNPOが活動し、自らの危険をかえりみず難しい任務につく人々が多数いる。自らの使命に高い誇りを感じて活動に取り組む人々が世界各地で活躍している。
 「軽く楽しい」ボランティア論が流行る中、地道で重い活動に取り組む人たちの姿はかすみがちだ。しかし、ボランティア活動の土台を支える人々のこのような高い使命感にもとづいた取り組みがあってこそ、このすそ野の広がりがあることを忘れてはならない。そして、その大きな夢が多くの人々に共有されるための努力も、「軽く…」とともに大切な課題なのだと思う。

市民活動情報誌『月刊ボランティア』1998年9月号   (通巻338号)

ボラ協のオピニオン―V時評―

  • 2024.02

    新聞報道を「市民目線」で再構築しよう

    編集委員 神野 武美

  • 2024.02

    万博ボランティア、わたしたちはどう向き合い生かすか

    編集委員 永井 美佳