「私には分かりません!」
「『分かりません』はないでしょう。荷物が届かないのはあなたの会社の責任じゃないですか!」
「私は行方不明の荷物を担当部局に連絡するという自分の責任を、ちゃんと果たしています。しかし、いつその荷物が届くのか、私には分かりません!」
NPOの税優遇策を日本にも導入するため視察に出向いたアメリカでのこと。移動に利用した飛行機で同行者の荷物が届かず、航空会社の担当者に問い合わせたら、なんとこんな対応を受けてしまった。
「組織の一員としての個人」という感覚が、まるで通じない。トラブルを前にすると、まず自分の正当性を主張して構えるばかり。本人に直接の責任はなくとも「ウチの会社の不始末だから」と平身低頭で謝罪し、親身になって”ともに“心配し問題解決に努力する、という日本的な感覚とは無縁の状況になってしまった。
自らの所属する会社が被害を与えているというのに謝罪の言葉さえない対応は実に腹立たしく、サービス業のあり方として、とても望ましい姿だとは思えない。しかしこのような対応は、組織・集団の論理に飲み込まれず、まず「私」という個人を守ろうとする強烈な個人主義がもたらす一つの帰結とも言える。
人が集団の中に埋没せず、まず一人の個人として独立して生きるという文化は、米国をはじめとする西欧社会に広く根づいている。個々人の価値観を尊重し、人はそれぞれの自由な意志で個性的な生き方を営むべきだという発想法だ。
ただし、ここでの重要な原則が「自己責任」。自立した市民である以上、第三者の保護をあてにせず、自らの責任で事態に対処するという姿勢が求められる。つまり、トラブルへの対処にしても、もともと物事にはリスクが付きまとうことを前提にし、自らの判断と努力で乗り越えるべきだという考え方だ。今回の荷物紛失事件にしても、窓口の担当者としては紛失が起こった場合の対処法を伝える役割を果たしているのだから、後は我々が合理的な対策を立てるべきだということになる。いわば「自由と安全は自ら守れ!」である。
そして、このような発想はNPO(民間非営利組織)に関する米国の制度の中にも幅広く組み込まれている。
そもそもNPOとは営利ではなく公共的な使命の実現を目的に活動する組織のこと。公共活動の担い手だということで、税制面などで各種の優遇策がとられている。
このNPOには、無償のボランティア団体に加えて、経費回収のために有償活動に取り組むものも含まれる。しかし、サービスの対価を得る結果、活動で「収益」が発生する場合もある。そこで、その団体が「営利を目的としない」NPOであることの証とされるのが、収益を構成員で分配せず、すべて将来の事業に投資することだ。
ところが、職員に高額の賃金を支払うことで実質的に収益を分配してしまう場合がある。NPOの風上にも置けない存在だが、そもそも妥当な給与水準がいくらなのかを一律に確定するのは難しく、当局による規制はなかなか難しい。
この問題を解決するために導入されているのが、寄付者の「自己責任」を活かしたシステムだ。つまり米国では、寄付分の税控除ができるNPOは、上位五番目までの職員の賃金を公表することが義務づけられている。つまり寄付者は、職員に高額な賃金を支払うために作られているような団体を自ら見極めて、淘汰していくべきだとされているわけだ。
このように米国のNPO制度は行政による画一的な管理を排する代わりに、市民自身が「自らの責任」でNPOの善し悪しを決める仕組みになっている。
日本でも、昨年十二月に施行されたNPO法(特定非営利活動促進法)で、NPO法人に情報公開を義務づけた。また来年四月から始まる介護保険でも指定サービス事業者が情報公開をしなければならないことになっている。従来、日本の公益法人は厳しい規制を通して行政がお墨付きを与える仕組みだったわけだが、この規制を減らして団体の自由な展開を促しながら、市民自身が個々の団体の善し悪しを判定していく仕組みが導入されだしているのだ。
つまりNPO法や介護保険は、「情報公開」と「自己責任」をキーワードに、多彩なNPOが自由に活動する社会を築こうという制度でもある。自らリスクを引き受けることで、行政の過剰な管理を排し、社会を市民主導型に転換する取り組みが日本でも始まり出したと言える。
市民活動情報誌『月刊ボランティア』1999年3月号 (通巻343号)
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