ボラ協のオピニオン―V時評―

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広がる住民投票請求の動きに思う

編集委員牧口 明

 原子力発電関連施設や産廃施設の建設など地域の生活環境に大きな影響を及ぼす事柄について、住民投票でその是非を問おうとする動きが近年、全国的に広がってきている。最近の例としては一月二三日に徳島市で実施された吉野川可動堰建設を巡る住民投票のことが記憶に新しい。
 折から、昨年七月八日に成立した「地方分権一括法」が、この四月一日から施行された。その目的は、自治体行政に対する国の関与をできるだけ少なくし(いわゆる機関委任事務は全廃された)、都道府県や市町村が自由裁量できる範囲を広げることにあるが、このことは住民にとって、これまではさまざまな問題について、国の通達や指導に束縛されて(あるいは、それを隠れ蓑として)交渉の当事者としての能力に欠ける面があった自治体行政にその能力が備わるということであり、住民投票等による直接的な意思の表明が相対的に重みを増すことになると考えられる。
 議会を通じた間接民主主義を政治的意志決定の基本としている社会において、住民投票をはじめとする直接民主主義的な手法(他に、条例の改廃や議会の解散・首長の解職などを求める直接請求、都市計画法や環境影響評価法における意見書提出などの制度がある)が果たす役割については、世界の政治学者や関係者の間でさまざまな議論がおこなわれてきた。その役割に批判的な人たちは、「個々の政策ごとにおこなわれる住民投票などは、全体として整合性のとれた施策の実行を困難にする」「一時の感情に流されやすく、マスコミや煽動家の強い影響によって『多数の横暴』が起こり、少数者の人権が省みられない危険性がある」。したがって、「複雑化した今日の政治・行政上の諸問題を全体として整合性のとれた、一貫性のある施策として処理していくためには、信頼できる専門家(職業政治家)による論議にその判断を委ねたほうがよい」といった論を展開している。
 確かに、議会を中心とした間接民主主義の制度は今日多くの国において定着し、それなりに民意を汲み上げるシステムとして作動している。しかし、その一方で今日、議会の多数意見と住民(国民)の多数意見とが明らかに異なる「ねじれ現象」がいろいろな問題に関して起こってきていることも事実である。
 先の吉野川可動堰の問題の場合にも、当初、報道機関の世論調査で市民の約六○%の人びとが反対を表明していたにもかかわらず市議会は賛成決議を採択。有権者のほぼ半数が賛同した住民投票条例の制定を求める直接請求も否決されている。そうしたねじれ現象はなんらかの形で解消、もしくは是正されなければならないが、その有力な手段の一つが住民投票などの直接民主主義的手法の導入ではないかと思われる。
 直接民主主義的な手法の導入に積極的な人たちが主張するように、「今日、コンピュータ・ネットワークなどの双方向的コミュニケーション手段の発達によって、直接民主主義は以前よりはるかに少ない労力で実現できるようになってきている」し、「直接民主主義と間接民主主義は決して矛盾しない」。
 もちろん、そうした直接民主主義的手法を、どうした政策課題に対して、どのような位置づけで導入するのか、その実施の条件をどのように設定するのか(例えば、有権者の一○%以上の連署による請求があった場合に実施する)など、検討すべき課題は少なくない。しかし、そのことは余り大きな問題ではないだろう。
 それよりも私たちは、先のねじれ現象がいつまでも是正されず、しかも、住民投票を求める直接請求が納得のいく十分な説明がないまま議会で否決される状況が続くことをこそ問題にしなければならない(九五年以後五年間で四十三件の請求がなされ、可決されたのは六件)。なぜなら、そうした状況がいつまでも続くならば住民(国民)の議会不信・政治不信はますます増大し、主権者意識を萎えさせて民主主義の空洞化を進めるからである。
 民主主義の形骸化がさまざまな面で指摘される今日、住民投票をはじめとする直接民主主義的手法の導入は、私たちの政治意識や主権者意識を高め、「選挙の時だけの主権者」、あとは「おまかせ民主主義」の無責任な体質を変革する一つの処方箋となるように思われる。

市民活動情報誌『月刊ボランティア』2000年4月号   (通巻354号)

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