最近、行政と市民活動の新たな連携を模索する動きが出てきた。そこでのキーワードは「委託」だ。
たとえば、この夏、大阪府は市民活動団体を対象に二つの公募事業を実施した。一つは生活文化部が実施した「ボランティア活動活性化プロジェクト公募事業」。もう一つは教育委員会が実施した「まなび・ふれあい・まちづくりプロジェクト」。両者の共通点は、委託先を市民活動団体に求めていること、そして委託する事業の企画自体も公募していることだ。
つまり、たとえば「ボランティア活動活性化プロジェクト」の場合、来年のボランティア国際年にちなみ、ボランティア活動の推進に役立つ事業を公募するというもの。委託事業だから事業の責任主体は大阪府なのだが、事業の企画段階から市民活動団体の知恵、創意工夫を活かし、もちろん事業の実施も市民活動団体に任せ、効果的な事業実施をねらったわけである。
従来、市民団体の取り組みを促進する施策としては「補助金」が主流だった。そこに「委託」という形態が加わってきた。この動きをどう考えれば良いのだろうか。
そもそも市民活動団体が委託先の一つとして認識されだした背景には、二年前に施行された特定非営利活動促進法がある。この法律で市民活動団体の法人格取得が進み、「任意団体には事業を委託しにくい」という、従来よくあった障害が崩されたのだ。そこで、市民活動団体と行政との関わり方として委託という形態も注目されだしたわけである。
もっとも、「委託」というと「下請け」のイメージも強い。そこで、この動きは安易に行政責任を市民活動団体に転嫁するものではないかといった懸念もなくはない。
それに「委託」での責任主体は行政。この点、あくまでも主体は市民活動団体となる「補助」に比べ、委託を受ける側の自由度が少なくなりやすい。下手をすると「うまく使われるだけ」ということにもなりかねない。
しかし、今後の市民活動と行政の「協働」ということを考える時、この「委託」をより積極的に考える必要もあると思う。というのも補助の場合、行政に助けられるという点で、行政が「上」、市民活動が「下」という関係になりやすい。
この点、委託ではどうか。本来、委託という形で外部に行政業務を託す理由は、委託する相手が行政以上の専門性や効率性を持っているからだ。 つまり委託を受ける側に一種の優位性があるわけで、この点で委託を受ける側は行政と対等に向き合える立場になる。
それに委託は、元来、委託者と受託者の対等な契約で成立する。つまり受託者は、委託内容に不満があれば契約しない自由があるのだ。
このように考えると、市民活動自体が行政から事業を受託することには、両者の対等な協働関係を築いていく可能性があると言える。
また、委託として実施するほうが、かえって行政責任を明確化できるという面もある。
従来、補助金によって支援されてきた市民活動の中には、生存権や学習権のような人権の保障に取り組むものも含まれている。これらは、本来、行政責任で実施すべきだが、現実には施策化されていない中で、市民が「やむにやまれず」取り組んでいる活動とも言える。そこで行政としてもその意義を認め、補助金支給という形で支援してきたわけだが、こういった活動の場合、本来は委託事業への転換も検討するべきだということになる。
つまり委託事業というのは、行政責任を明確にしながら、民間団体の特性を生かして事業を実施する形態とも言えるわけだ。
もっとも、このようなことが建前化し、きれい事に終わりやすいのもまた事実だ。では、以上のような生産的な関係作りのために何が必要だろうか?
まず、市民活動団体が行政の受託収入だけに依存せず財源を分散し、委託を断れる自由を確保することだ。これがなければ、市民活動団体も限りなく「下請け業者化」してしまうだろう。
それに、受託金という公金を託されることの責任を受け止め、公共の担い手という自覚を持つことも必要だ。そして、もちろん委託を受けられる能力を市民活動団体が持つこと。それには専門性の向上に加えて、行政に代わって事業を進める以上、安定的な事業遂行能力、書類保管などの基本的な体制整備なども課題だ。
そこで、従来からあった「補助」を、市民活動団体がこうしたカをつけるためのものに改革して活用することも必要だろう。たとえば、継続補助に期限をつける、補助を受ける団体は事業推進カアップ講座も受けることにするなどで一部の市民活動団体に見られる「補助金依存体質」を、補助制度自体の工夫で改革していく。行政と市民活動団体の間に対等な協働関係を築くには、こうした一連の施策を見直すことが必要だろう。
市民活動情報誌『月刊ボランティア』2000年9月号 (通巻358号)
2024.12
人口減少社会の災害復興―中越の被災地に学ぶこと
編集委員 磯辺 康子
2024.12
追悼 牧口一二さん 播磨靖夫さん
編集委員 早瀬 昇