ボラ協のオピニオン―V時評―

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奉仕活動をしないと罰せられる社会!?

編集委員早瀬 昇

 「飲み屋の教育談義」(佐藤 学・東京大学大学院教授)とも評されたアイデアが、時の与党の支持を得て、なんと法制化さえ検討されている。首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が提唱した「奉仕活動の義務化」構想だ。
 小・中学生二週間、高校生一か月。合宿形式。「すでに社会に出て働いている同年代の青年達を含む国民すべてに適用」し、「農作業や森林の整備、高齢者介護などの人道的作業に当たらせる」。「できるだけ速やかに、満一年間の奉仕期間として義務付ける」という構想だ。応じなければ「大学入学や会社への就職を認めない」(与党幹部)といった罰を与えるという。
 しかも与党の中には今回の提案で教育に悩む保護者の共感を得、来年の参院選を乗り切りたいとの考えもあるという。政治的思惑で、教育やボランティア活動の現場に大混乱をもたらしかねない施策が導入されようとしている。
 本誌は、この施策導入に強く反対し、政府・与党に再考を求めたいと考える。
 今回の提案で納得しがたいのは、まずなぜ「体験学習の重視」ではなく「奉仕活動の義務化」なのかという点だ。体験を通じた学習が、自らの社会的役割や人と人との関係を学ぶ上で一定の有効性をもつことは広く知られている。事実、「ボランティア学習」と呼ばれるさまざまな実践が各地で取り組まれている。
 こうした学習で重要なのは自発的な関わりだ。自分で考え工夫する中で生まれる気付き。自らが課した役割を果たすことで得られる「自己肯定感情」の育み(金香百合・大阪YWCA教育総合研究所所長)。これらはボランティア学習の醍醐味だ。そこで、このボランティア学習に取り組む関係者は、参加者が自発的に参加できるよう、その動機づけに努力してきた。その基本は童話のタイトルではないが、「北風」ではなく「太陽」的なアプローチだ。
 罰をちらつかせて参加を強要する「義務化」では、このような学びは極めてむずかしい。それどころか「やらなければならない」という状況は、逆に「言われたことだけをやれば良い」という閉じた姿勢さえ招きやすい。
 しかも今回の構想では、「奉仕」という言葉の下、狭い価値観への服従が強要されかねない。元来、他者への思いやりは、中間報告が言う「人道的作業」だけでなく、人や社会につながるあらゆる営みの中に現れる。それこそ、この「義務化」構想への反対運動さえも、他者への思いやりから取り組まれるものだ。しかし、義務化される奉仕活動に、そのような広がりは見出せない。それは結局、政府の求める狭い「善」なるもの ― その基盤は「国家への奉仕」ということのようだが ― の下に、子どもたちを押し込めるものでしかないように思える。
 さらに「義務化」は、これまで本誌が繰り返し批判してきた「福祉施設の教材化」を、さらに進めるものだ。今回の提案には、受け入れ先、つまり他者への思いやりなどを学ぶ「教材」となる施設利用者の人権への配慮が欠けている。一九九八年から教員採用試験受験者の「介護等体験」義務化がスタート。大した研修も受けない若者が受身的に施設等での介護体験に出向き、受入先でのトラブルが絶えないことは、本誌九九年五月号の特集で詳しく報告した。そもそも相手の個性を受け止める能動性は自発的な参加でこそ発揮されるものだ。強制の下、受身的に参加する若者たちは、その技術不足を補う意欲や心遣いも示さないまま、受入先の負担となっていく。つまり今回の「義務化」は、誰かの「我慢の教育」のために誰かを犠牲にするという、それこそモラルに反する状況に、さらに多くの子どもたちを巻き込むものなのだ。
 また奉仕期間は「合宿」。集団が個人の上になりやすい形態で実施される。「まるで徴兵制だ」とは、あるマスコミ関係者の言葉だが、この形態にこだわられると、この施策の先に、どんな目論見があるのかと勘ぐりたくもなる。
 以上のような批判に対し、「異常な少年事件が頻発する今、教育現場は、乱暴とは分かっていても、このような方法をとらざるを得ないところまで追い込まれている」との反論もある。
 本当にそうだろうか。実はすでに「義務化」の前段階的施策は始まっている。一九九三年、「高校入試時にボランティア活動歴を評価せよ」との文部事務次官通知により、中学の内申書にボランティア活動歴が書き込まれるようになった。いきおい、受験前にボランティア活動歴を得ようと、本心で望むと望まないとにかかわらず、夏休みなどに「ボランティア活動」を体験する子どもたちが急増している。最近の少年事件は、そのような施策が実施されてきた中で起こっているのである。この現実を見ても「奉仕活動の義務化」が子どもたちの健やかな成長を促すとは、とても思えない。
 今、教育が取り戻さなければならないのは、義務だと強要するのではなく、「学ぶ楽しさ」や「発見の喜び」が実感でき、自分の中に他者に役立てる可能性を見出せる教育だ。いわば「MUSTではないが、CANなのだ」という感覚。教育の目標は、子どもたちがこの実感を得られることにあるのだと思う。

市民活動情報誌『月刊ボランティア』2000年10月号  (通巻359号)

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