ボラ協のオピニオン―V時評―

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「奉仕活動の義務化」はやはり間違っている

編集委員長牧口 明

 筆者の知人に小学校の教員をしている女性がいる。彼女は昨年度、六年生を担任し「人権」をテーマにいま話題の総合的学習に取り組んだ。授業は通年でおこなわれ、週一時間だから年間で五十時間弱の取り組みだ。
 彼女は同学年担当の他の教師とともに知恵を絞り、テーマの「人権」をより児童の身近な関心に引きつけるために年間サブテーマを「出会い」とし、一学期、二学期、三学期を通じてさまざまな出会いを演出することにした。
 一学期はまず、学期のテーマを「いろんな国の人に出会おう」とし、社会科の授業とも連動させながら、ちょうど教育委員会を通じて申し出のあったオーストラリアの小学生や、同僚の配偶者が赴任している中国の小学生との文通をしたり、大阪大学に留学してきている各国の留学生に協力してもらって彼らとの出会いを実現させた。
 二学期には、広島への修学旅行をはさんで「平和」をテーマとしたさまざまな学びと出会いがあった。
 冬休みには、国語の教科書に載っている「マザーテレサ」の生き方や、その他にも自分自身でいろいろな人の伝記等を読み、「どういう生き方に自分は感動したか」「自分はどういうことを大切にしてこれから生きていきたいか」を考えさせた。
 そして三学期。それまでの学びを通して自分はどんな人に会ってみたいか、どんな人の話が聞いてみたいかを子どもたちにあげてもらった。
 「本当に子どものことを一生懸命考えている優しい保母さんに会ってみたい」「動物愛護の運動をしている人に会ってみたい」「地雷で足を失った人たちに義足や車いすを送ったりしている人に会ってみたい」「考古学で遺跡の発掘などをしている人に会ってみたい」等々。子どもたちからは実にさまざまな出会いへの希望が寄せられた。
 大変だったのはそれからである。先生たちは、卒業間近の限られた時間の中で生徒たちから出されたその「出会いへの希望」をできるだけ実現させたいと考えた。5人の先生方がそれぞれ「つて」を頼って協力してくれる人を捜す一方、ボランティア協会にも協力を依頼した。時間は極めて限られている、来てもらいたいのは通常の勤め人などが一番出にくい平日の昼間、しかもまったくの手弁当という悪条件に、ボランティア協会でも担当者から「かなり難しい」と言い渡された。筆者自身も相談を受け、やはり「まず無理だろう」とこたえ、「第一、そんな条件で依頼すること自体、相手に対して失礼だ」とさえ言った。
 が、奇跡は起こった。先生方の必死の努力のかいあって、わずか一週間そこそこの間になんと19人ものボランティアスピーカーが集まったのである。
 先に子どもたちの希望として挙げた人たち以外にも、子ども時代からの夢だったイラストレーターとして活躍している若い女性、無農薬大豆と天然にがりとで豆腐を作っている青年、バリアフリーの住宅改造にボランティアで取り組んでいる建築士さん、映画好きが集まって市民のための映画館を自分たちで作ってしまった女性、等々。実に多彩な人たちが取り組みの主旨を理解し、実に気軽に、かつ喜んで協力してくれたのである。
 子どもたちは、自分たちがそれぞれ「この人の話を聞いてみたい」と選択したボランティアスピーカーの話を聞き、それぞれに自分の将来や人生の指針ようなものを得たようだ。
 例えば、ある子は「私は、今まで、出会いってただ会って終わり~って思っていたんですけど、Hさんとの出会い、いえ、すべての人々の出会いによって、私自身、少しずつですが、変わってきてると思います。だから、その私に自身(自信)を持ち、勇気をもって進んでいきたいと思います」と書き、またある子は、「おかげで私も夢に自信をもてましたし、(中略)M子さんに出会って大切なことを学ばせてもらいました。大切なこととは『最後まであきらめずに一生けん命やる』ということを学ばせてもらいました」と、その出会いの感想を書いている。
 他にも、多くの子どもたちが「夢を見つけた」「自信が持てた」「チャレンジということを教えてもらった」などの感想を寄せている。
 もちろんこれらの感想には、子どもたちなりの計算、お世辞なども入っているかも知れない。また、この一年を通じた「出会いによる学びと発見」は、いつまで子どもたちの中でその生命を保つことができるか、正直言ってわからない。
 しかし、それでもなお、この一年間の取り組みは子どもたちの今後の生き方に小さい火種を灯したのではないかと思える。
 それは、1.世の中にはいろんな夢を持って仕事や社会活動に取り組んでいる人がいることを、実感として学んだこと、2.子どもたちがそれぞれ、自分で夢を見つけることの大切さを学んだこと、3.そして、その夢は「最後まであきらめずに」追い求めていけば実現できるということを、これまた実感として学んだことだ。
 さらにもう一つ大切なことは、子どもたちがさまざまな人たちとの出会いを通して、「自分もあんな大人になりたい」という「目指すべき大人」のモデルを掴んだことだ。このことの意味は意外に大きいのではないかと思える。
 昨年来、私たちボランティアの世界は例の「奉仕活動の義務化」論議で振り回された観がある。この「義務化」論の基本的な誤りは、子どもが主体的に自らの人生を選択する力を育てようとしていないこと、子どもたちが「夢と希望」を持ち、その実現のために努力することを「楽しい」と感じるような教育的営みが等閑に附されていることだ。
 フランスの有名な詩人の詩の一節にこういう言葉がある。
 「教えるとは、希望を永久に語ること。学ぶとは、誠を胸に刻むこと」(ルイ・アラゴン)

 春、四月。今年も全国の小・中・高校等で多くの児童・生徒が希望に胸ふくらませて新しい学びの生活をスタートさせている。この若い人たちの希望ある学びを一部の大人の勝手な理屈で苦役に変えてしまってはならない。

※子どもたちの感想は、先生を通じて本人の了解を得て掲載しています。

市民活動情報誌『月刊ボランティア』2001年4月号   (通巻364号)

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