ボラ協のオピニオン―V時評―

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「流されない」向き合い方

編集委員早瀬 昇

 長く忘れ得ない大事件が起きてしまった。九月十一日の「米国同時多発テロ事件」だ。
 ハイジャックで奪った飛行機と乗客を、交渉の道具とするだけでも卑劣なのに、これを破壊の武器として使用するという前代未聞の残忍な手口。飛行機がビルに突っ込む瞬間やビルが崩壊する映像、崩壊したビル群の無残な姿等が、連日、伝えられた。
 このような事態に直面して、実行犯やその背後に潜む人々に対して強い憤りを覚えるのは、いわば当然の感覚だろう。実際、「報復」を誓うブッシュ大統領の支持率は急上昇し、マスメディアの多くも、この動きをあおる方向の報道を展開している。ワシントンポストは事件直後の社説で「WAR(戦争)!」という見出しを掲げ、CNNはこの事件の報道時、画面には常に「WAR AGAINST TERROR」(テロに対する戦争)という言葉を配している。人々の闘争心を喚起することで事件のショックを打ち消し、士気を高めようという雰囲気が米国を包んでいるようだ。実際、九月十六日に発表された世論調査では「武力行使による報復」への支持が八五%にも達していると言う。
 自らが被害者、犠牲者の側にいると考える時、他者への攻撃を正当化することはたやすい。ここ数日の米国の一般的な世論も、米国やその同盟国とされる各国政府首脳らの反応も、この流れの中にあるように見える。
 しかし、その一方で、怒りや悲しみを抑え、冷静な対応を求める動きが市民の間に広がっていることにも注目すべきだろう。
 たとえばニューヨークの市民団体「戦争反対者同盟」は、事件当日に緊急声明を発した。事件から数時間後に発表されたこの声明では、米国政府がとってきた外交政策こそ事件を引き起こした真の原因だとし「暴力に満ちた世界では安全な者は一人もいない」「長い年月、我が国を特徴づけてきたミリタリズムを終わらせようではないか。安全保障が、拡大と報復を通じてではなく、非武装と国際協力そして社会正義によって確保される道を探ろうではないか」「復讐ではなく融和を呼びかける」と訴えている(作家・枝川公一氏のホームページ http://www.edagawakoichi.com/)。わが国の憲法九条の精神に通じる主張だ。
 またインターネットをのぞくと、さまざまな形で「報復戦争」に反対する動きが広がっている。たとえばシカゴ大学など複数の団体が全世界の人々に平和嘆願署名への協力を求めているし、ニューヨークのダウンタウンやユニオンスクウェアでは戦争反対を訴えるアート展示や集会が開かれている。また歌手のマドンナも、舞台上で、犠牲者を追悼する言葉とともに「復讐は復讐を生むだけだ」と報復に反対するメッセージを公表した。大衆の人気で支えられるショービジネス界にありながら、世論の多数派に抗する主張を公表することは、かなり勇気のいることだろう。
 しかし、このように個々の市民が自らの考えを持ち、信条に基づいて行動し発言しなければ、多様な生き方や価値観を認め合う社会を自治的に築いていくことはできない。
 では、激情や周囲の雰囲気に流されず、自らの見方、考え方で主張し行動するためには、何が必要だろうか。
 まず、当然のことだが、正確で視野の広い情報を把握し受け止める姿勢だろう。特に今回の場合、(本稿執筆時点で明確な証拠は公表されていないが)加害者側と目される人々を包む状況をどう受け止めるかが重要だ。
 そもそも、これほどまでの凄惨な犯罪を起こそうとするまでに、どれだけ深い怒りの蓄積があったのか。話し合いなど平和的手段を放棄するに至る深い絶望感を生み出したものは何だったのか。歴史的な経緯や現在の状況を踏まえて事態を理解しなければならない。
 また「キリスト教世界とイスラム世界の対立」といった単純な色分けも避けねばならない。「レッテル貼り」は思考を単純化できるが、現実には中間的な存在が多様に存在するからだ。その点、戦意高揚が目的だったとはいえ、米国大統領の議会演説(九月二十一日)「我々の側に立つかテロリストの側に立つか」という二分法は、敵意と対立をあおるばかりだ。
 そして、「テロ」という手段自体は当然に糾弾されねばならないが、その対抗策として「報復」することが真に効果があるのかも冷静に考えねばならない。現実には、罪のない多数の一般市民に犠牲がおよぶ「残忍な腹いせ」となりかねず、かつ「憎しみの連鎖」をさらに強める可能性が高いと考えられる。
 あまりに凄惨な事態を前にして、言葉や論理に空しさを感じ、力に頼らざるをえないのかとの絶望感もつのる。しかし、それこそが「憎しみの連鎖」を生み出す構造そのものだ。
 IT技術の発達で、国や文化を超えた市民間の直接対話も可能になりつつある。激情に流されず、対話を通じて問題を解決すべきだ。夢想と笑われそうだが、歴史をさかのぼってみても、「報復」によって争いが解決した例はないのである。

市民活動情報誌『月刊ボランティア』2001年10月号  (通巻369号)

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