二〇〇一年十一月号の『大阪の社会福祉』(大阪市社会福祉協議会発行)は、前年に行われた「高齢者の生きがい」調査のまとめを特集している。「生きがい」施策への要望では「交流の場や施設の充実」「就労支援」「高齢者が企画したり、参加できるサークル活動の充実」「情報提供」「経験や技術を伝える場の提供」などとなっている。つきつめて言えば、この面でのさまざまな行政的施策にもかかわらず、高齢者に対する「自己実現」の場がまだまだ不足している、ということであろう。
「個」の生き方が問われる時代
このアンケートに答えた階層は、『二十一世紀家族へ』(有斐閣)の著者、落合恵美子に言わせれば、近代家族としては「第二世代」(一九二五~五〇年生まれ)の前半に属する。戦前戦後をはさんでひもじい思いをし、高度経済成長期を支え、子どもは二~三人の典型的な「近代家族=核家族」を構成してきた世代だ。
落合のこの本は、われわれが家族と考えている「近代家族」は、第二世代のものであって、普遍的なものではない。二十一世紀の家族は、次第に夫婦別姓化などの「双系化」が進み、近代家族は崩れていき、やがて「シングル単位社会」としての家族が増えるだろうという。そしてショッキングなところは、単に高齢者が増えるだけでなく、「捨て親化」など家族外化して孤立した「親=高齢者」が増大する。そのため、将来は「個」としての確立や生き方が問われ、親族ネットワークよりも社会的ネットワークの必要性が重視されるだろうと指摘している点である。
二十一世紀は、このような家族環境だけでなく、終身雇用制が崩れるなど、労働環境も大きく変わり、それぞれの個人の生き方を問うてくる。多様な個人の生き方が模索されることとなろう。その結果、今日に倍して多様な社会参加を受け止めるための複合したシステムづくりとネットワークが求められる時代になる。
高齢者は豊かなキャリアの持ち主
高齢者に対しては、否定的なネガティブ要因をしばしばかぶせることが多い。①病気がちになって健康が失われる、②退職すると収入がなくなる、③社会的な役割や生きがいが次第に少なくなるといった「三失」である。しかし高齢者の多くは、マイナス要因のみでなく、独自の肯定的なポジティブ要因を持っていることも事実である。①社会的拘束から解かれ自由の身となる、②若い時代に獲得したキャリアや経験を豊かに持っている、③人生を完成させ=全うしようとする統合期にある、など「三得」の年齢期でもあるのだ。
戦後の日本企業は、生産至上主義で走りに走ってきた。企業の社会貢献などが言われ出したのも、今からたった十年前だ。そのころ、今ではあまり言われなくなったけれども、退職後の人々を「産業廃棄物」とか「濡れ落ち葉」などと揶揄して面白がられたものだった。
その後、介護の必要な人々には「介護保険」などの社会的施策が進めれて今日に至っているが、先のアンケートに見るように、まだまだ元気な世代にあたる「前期高齢者」の、自己実現としての生き方やその持てるキャリアをもっと活かす社会的なシステムが決定的に不足している。
自己実現を保障するシステムづくり
その際、二つのことが重要になる。一つは準備教育である。もう一つは、多様な生き方を保障する社会的なシステムづくりである。
最初の問題であるが、退職したからすぐにその人たちの持てるキャリアや能力が生かされるわけではない。「生き方のスタイル」を見つけ、彼らの生きがいと結びつけるためには、どうしても準備教育が必要である。それは四十代から、少なくとも五十代始めから必要だ。
ところで準備教育の主体となるべきものは企業と労働組合であり、生涯教育行政である。一九八〇年代から、大企業や労働組合の中には、従業員(組合員)のための「退職準備教育」がなされてはいるが、極めて少数である。中小企業に至ってはなおのこと少ない。
第二の問題は、自己実現を保障する社会システムである。これから増加する退職後の人々の多様な「社会参加」を受け入れ、その自己実現を保障するためには、ボランティアセンターなどの仲介機関が、企業、労働組合と連携しなければなるまい。加えて多様なNPOというか、退職後の社会参加というか、自己実現を保障する「システム」が各地で用意されなければならない。そうなれば、既存の老人クラブなどの再編も必要となる。高齢者施策は「介護保険」だけではない。そのことの予防のためにも、それは重視されなければならない。
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