ボラ協のオピニオン―V時評―

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「私にお任せを」には任せない

編集委員早瀬 昇

 総選挙が目前だ。今回の選挙でも鍵を握るのは「無党派」の動向だと言う。特定の政党を支持しない「無党派層」は、かなり以前から「最大党派」。ただし、この人たちが政治に無関心かと言えば、そうではない。特に地方の首長選挙では、政党から距離を置く候補が、政党の相乗り候補を破ることも増えている。政治の世界における政党の役割が低下しつつあるのだ。
 ところで、この政党という存在も、実はNPOの一形態だ。営利ではなく社会的使命実現のために、自発的に、行政機構や企業から独立して、組織的に運営されている。NPOの定義とされる要件をすべてクリアしているわけで、政党は典型的なNPOの一つといっても過言ではない。
 その政党の力が落ち込んでいる。今の政党はNPOとして何が問題なのだろうか?

 この問題を考える際に参考になるのが、NPO法成立などで大きな役割を果たした「シーズ=市民活動を支える制度を作る会」の事務局長、松原明さんだ。松原さんはNPO経営のあり方についてユニークな分析手法を開発した。講演などでは解説されているが、著書にはまとめられていないので、以下に簡単に紹介しよう。
 松原さんが注目したのは、NPOに特有の存在である「支援者」(寄付者やボランティア)と、NPOが働き掛ける「対象」(援助を求める人や環境問題などの課題)、そして「NPO自身」の「三者の関係」だ。NPOの取り組む活動プログラムが、三者の「関係」とうまくマッチしている時、支援者の活動が活発になり、NPOの目指す事業が安定的に展開できると説く。つまり、こういうことだ。
 元来、NPOは「対象」の課題を解決するために発足するが、活動を無料や安価で実施する場合が多く、活動の継続には困難も生じやすい。特に重い課題に取り組む場合、徐々に「できる範囲で」では済まなくなる。そこで、活動を自分たちだけで抱え込まず、支援者を得ることで活動を発展させる必要が出てくる。この時、NPOからすると、支援者への働きかけ(たとえば、寄付の依頼)は、本来取り組みたい対象への働きかけを続けるため仕方なく取り組む「面倒な作業」と考えがちだ。
 しかし、ここで支援者の立場で考えてみると、別の状況が見えてくる。支援者は、元来、NPOに関心があるのではなく、「対象」の抱える問題の解決にこそ関心がある。その支援者にとってNPOとは、支援者と対象を“つなぐ”存在ということになる。
 ここで松原さんの分析が面白いのは、この支援者と対象とのつなぎ方という視点から活動プログラムを分析し、いくつかの「型」に整理している点だ。
 まず、もっとも一般的なのが「代理型」。これは、NPOが支援者の”代わりに“対象に働きかけるものだが、松原さんはこの典型例の一つとして、政党をあげる。政党というNPOは、支援者に代わって政策を立案し、立法活動に取り組む。それこそ衆議院議員を「代議士」と呼ぶわけだし、立法は国会議員にしか出来ないのだから、政党を「代理型NPO」の典型だとするのはうなずける。
 一方、「仲介型」というタイプもある。たとえば「日本フォスター・プラン協会」がそれだ。同会では、毎月三千円以上の援助金で途上国の地域開発プロジェクトを支える「フォスター・ペアレント」(里親の意味がある)に途上国の子どもを一人紹介し文通などの交流を”仲介“する。支援者は、まるで里子を得た立場になれるわけで、支援者は喜んで高額の援助金を提供し続けてくれる。
 ここで注目すべきは、「代理型」の場合、NPOが自らの活動を積極的にPRし、その存在感を訴えることで支援者を集めるのに対し、「仲介型」の場合、支援者こそが主役だという意識が高まるよう努力し、NPO自体は黒衣役として動く点だ。「代理型」に比べて「仲介型」の方がより能動的な支援者が満足するし、うまくいくと、能動性をより高める場合もあるだろう。

 こうして見てみると、政党が「代理型」NPOとして活躍した時代とは、リーダーと目される政治家が、時の権力者などとの協議(その多くは密室だ)によって物事を決着させることで、頼もしい「政治力」を持つと受け止められた時代、ということになりそうだ。そして、この場合の政治家の常套句は「俺に任せておけ!」。あるいは、選挙の際にはもっと上品に、「私にお任せ下さい」であったかもしれない。
 しかし、このよう状況こそが、しばしば数々の利権を生み出し、不透明で非効率な社会を作ってきた。主権在民のはずが、政党や官僚に支配されているかのごとき構造にもなりかねない。そのおかしさに気づいた市民が、無党派という形で政党との距離を広げ出したのである。
 その上、最近の市民活動では、特に強い問題意識を持たずとも気軽に活動に参加する雰囲気が広がっており、活動の裾野が広がってきた。直接、社会の問題に関わる市民が増えてくると、「代わりにやってあげる」存在は影が薄くならざるを得ない。
 これでは、無党派の広がりも当然だ。

 では、政党に未来はないのだろうか?
 ここで、先の議論を参考にすれば、政党が「仲介型」のプログラムを開発することで、一つの活路が見出せると思う。すなわち、市民活動団体との接点を増やし、市民活動団体が気付いている社会問題を、政策に集約し、立法化に結び付ける「仲介役」として、政党を組織し直すことだ。草の根のNPOが政党の政策形成に深く関わり、市民の政治参加の仲介機関として機能する世界だ。同じ発想で、日本ではまだ例外的な住民投票の活性化に努力することも今後の政党の役割の一つだろう。
 そして、こうした形の民主主義を育てるためにも、今度の選挙では「私にお任せ下さい」などと言う候補者には、間違っても投票してはならない、と思う。

市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2003年11月号  (通巻390号)

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