暗いイラク情勢を引きずりつつ新しい年は幕を開けた。重い現実を直視しながら、今年も平和と人間尊重の夢を追いたいものだ。その一つとして「なぎさのコミュニティづくり」はどうだろう。
なぎさのコミュニティとは何か。「なぎさ」は陸地と海の狭間にあって、潮の干満に左右される。そこは海が荒れると、時として大きなリスクを抱えるが、その一方で海草を育て、魚が卵を産み、稚魚を守り、海を浄化する。そこは、今でも命の豊かさを象徴する場所でもある。「なぎさ」を、ここでは象徴としてイメージしている。それは、団体や施設などと地域社会の二つの間に開かれた「公共的な空間」である。
戦前、戦後の農村の家々には、どの家にも縁側があって、そこは、朝になると雨戸を開けて地域に開放し、子どもの遊び場や交流の場となり、近所の誰でもが利用できた。
都会でも、高度成長期頃までは、家の前に「縁台」があって、夏などは、花火を持ち寄って楽しんだりする光景が、路地のあちこちで見られた。そこは豊かな人間的交流の場であった。
これらは、今では昔語りとなって、縁側も封鎖され、縁台も朽ち、そこは自動車が往来し、交流はない。ところがこのような縁の喪失、つまり、コミュニティの喪失と引き換えに、孤独死などの高齢者問題、虐待や不登校などの子どもの問題などが多発するようになった。今では空き巣問題なども起こっている。
前号の、この『Volo』特集の「NPО法五年」は、すべてのNPОがそうではないにしても、役員が企業人ばかりであったり、ボランティアの参画がほとんどないといった「閉鎖的NPО」などの問題を指摘している。
日本には「ウチ」と「ソト」という言い方がある。ことに、近年の日本の集団や組織は、「ソト」つまり地域社会に対して、不透明な厚い壁をつくってきたのではなかったか。新しい社会づくりを期待されて発足したNPОがそうなら、何のためのNPОなのかと言わざるを得ない。
ところが、最近「透明性」という言葉があちこちに目立つようになった。政治や企業の世界は言うに及ばず、教育や福祉の世界でも、コミュニティとのつながりが強調されるようになってきた。これは、「閉鎖社会」の病理に気がつきはじめてきたからではあるまいか。
社会福祉の世界では、二〇〇〇年度からサービスの質の向上を目ざして「第三者評価」の制度が取り入れられるようになった。福祉施設や福祉サービス事業の運営の「透明性」を図ろうとする試みである。また権利擁護の視点から、「福祉オンブズマン」の導入も取りざたされるようになってきており、ボランティア・コーディネーターへの関心も広がってきている。
閉鎖的であると言われ続けてきた小学校や中学校も変化を見せ始めそうである。この十二月五日の新聞報道では、文部科学省は、素案として、児童や生徒の保護者や地域の住民が権限と責任をもって参加するかたちで「地域運営学校(仮称)」制度を創設するという。地域社会に開かれ、地域社会に支えられたコミュニティスクールの具体化の一歩である。
これまでさまざまなコミュニティづくりが提唱されたが、コミュニティの回復は、なかなかかんばしくない。ところが、先ほどの動きのように、一つの突破口として、なぎさづくりの新しい芽があちこちに覗きはじめていることも事実である。
この十一月に、富山市で「福祉教育・ボランティア学習学会」があった。その中のシンポジウムでの、小平市のある小学校の地域交流の取り組みには学ぶべきものがあった。先生とボランタリーな住民の協働によって、学校が開かれ、子どもたちと地域住民との交流や学習が展開されているという報告に参加者の多くは感動した。課題もあるが、やろうとすれば、やれるんだ、という証であった。
事例は、先の小平市の例だけではない。北海道の「べてるの家」、富山の「この指とまれ」、大阪の「應典院」などの実践は、単なるボランティアの受け入れといった消極的な対応ではなくて、積極的で戦略的な「コミュニティづくり」の先行的事例と見てよいだろう。
大阪ボランティア協会は、来年で四十周年を迎える。三十年来協会が力を入れてきたことの一つに、外に開かれたボランティアの「参加システム」がある。
この参加システムには、約二百人からのボランティアの参加があって、それを核に協会事業が運営されている。協会二十年史は、それを「温かさであり、憩いであり、会話であり、論争であり、参画であり、開発であり、運動である」と描いている。
団体や施設を地域に開くことにはリスクが伴う。ところが協会の経験では、リスクマネジメントなどをしっかり確立しさえすれば、ボランティアの自己実現や学習にプラスになるだけでなく、ボランティアからもらうエネルギーや知恵も大きい。「なぎさ」は、コミュニティに人間的豊かさを創造するすばらしいステージとなるだろう。
日本の各地の病院や小中学校などの教育施設、公民館などのコミュニティ施設、福祉施設やNPO団体など、ありとあらゆる施設や団体が、専門性と官僚制の間違った理解と呪縛から開放され、そこが地域に「開かれ」て、なぎさのコミュニティづくりをはじめるなら、日本のコミュニティは随分変わるはずである。
市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2004年1・2月号 (通巻392号)
2024.10
「新しい生活困難層」の拡大と体験格差〜体験につなぐ支援を〜
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2024.10
再考「ポリコレ」の有用性
編集委員 増田 宏幸