ボラ協のオピニオン―V時評―

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「後継者」はいらない!?

編集委員早瀬 昇

  「私も年だし、そろそろリーダーをゆずろうと思うのですが、後継者をどう育てるかが悩みの種。どうしたものですかね…」
 組織運営にまつわる悩みは、活動分野を超えた共通する課題だ。メンバーの高齢化、若い(新しい)メンバーが得られないなどの問題とともに、この後継者問題は多くのリーダーや組織の悩みだ。特に(多くの団体で)年度変わりとなるこの時期、「そろそろ次の世代にバトンタッチ」と考えるリーダーも多いようだ。
 ところが、この種の悩みを何年も聞き続けることも少なくない。「なかなか後継者が見つからなくて。もうしばらくは、私が頑張り続けるしかないですかね…」

 長くリーダーを務め続ける場合、その地位に恋々として、なかなか辞めようとしないパターンを耳にすることがある。確かにその立場に権力や名誉などが伴う場合、地位にしがみつくこともあるだろう。
 しかし市民活動団体など小規模な組織の場合(大規模な組織でも同様かもしれないが)、リーダーはメンバーに指図するだけでなく、自ら率先してグループの直面する課題や苦労を担う役回りとなることが多い。権力などからは、かなり遠い世界だといえる。
 その上、リーダーは最終的な責任を背負う立場でもある。
 市民活動の核心の一つは自発性だが、この自発的活動とは「言われなくてもする」と同時に、「言われても、(自分が納得しなかったら)しない」ことでもある。市民活動には、この自由さがあるわけだが、ただし「できる時だけします」という人ばかりでは、責任ある活動は進められない。そこで、メンバーを増やし役割や責任を分散し、一部の人に過度に負担が集中しないように、といった工夫が必要になる。ただしそれも、こうしたアイデアを具体的に形にする人がいなければ進まない。役割分担の調整、メンバーの都合が悪くなった時などの穴埋め役探し、チームワークづくり…。そんな仕事を誰が担うのかといえば、結局、リーダーの役割になることが多い。つまり活動の最終的な責任を負うのがリーダーだ。

 リーダーの役割は「責任者」というだけではない。活動がマンネリズムに陥らないためには、時代の変化を受け止めた新たな活動目標をかかげ、挑戦的、創造的な集団へと組織することが必要だ。この目標作りにあたっては、リーダーが提案する場合もあればメンバーの話し合いの中からまとめることもあるが、ともかくそうした創造的集団となるための雰囲気作りは、リーダーの重要な役割の一つとなる。
 特に市民活動では「もうける」といった一般に分かりやすい目標が設定されるわけではなく、また法律などで決まっていることを粛々とこなす受身的な活動でもない。「一文の得にもならないことを、なぜするのだ」などといった周囲(特に身内?)の疑問に答え、多くの賛同者を得る活動を進めるため、活動の意義を明快に示すことが必要だ。その際、「誰かに頼まれたから」とか「みんながしているから」ではない主体的な意義づけができないと、活動に力が入らないし共感も広がらない。その際、多くの人が気付いていないような新しい価値観や生き方を提案できれば、時代の扉を開く創造的な活動が展開できることになる。
 私たちの普段の活動からは遠いものと感じられるかもしれないが、その偉大な例として筆者が思い浮かべることがある。それは、激しい黒人差別が続く中、人々が肌の色ではなく人格で評価される時代の到来を示したキング牧師の「私には夢がある」と題する演説であり、ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞だ。このような世界的に何世代にもわたり影響を与えた事例でなくとも、市民活動は多くの新しい提案をし、実践している。
 そして、だからこそ、特に独創的で活発に活動する市民活動団体ほど、カリスマ型のリーダーをもつ場合が多いように思う。
 それゆえ当のリーダーは、あるいは場合によっては団体のメンバーたちも、「後継者」で悩むことになる。組織よりも、個人の創意や意欲が前面に出せ個人の意味が大きくなることは市民活動の魅力の一つだが、その分、後継者問題がより大きな意味を持つことになりやすい。

 では、その重要な役割を担う後継者を、どのように育てていけば良いのだろうか。
 実は冒頭の相談を受けた時の私の答えは「後継者を育てようと思ったら駄目になる」というものだ。
 後継の“継”は継続・継承の“継”。後継者という言葉には、これまでの活動を維持・発展する人との思いがこもる。
 しかし、市民活動は担い手の内発的なエネルギーに支えられるからこそ元気なわけで、それこそ新リーダーが自分らしさを発揮できる形にならないと活動の発展は難しい。「先輩を見習って」「前任者のように」と過去の実績を踏襲するばかりでは、放物線のように活動水準が落ちていくことさえ起こる。それに新リーダーの自分らしさが発揮される際には、改善といった形で前任者の実績の一部を修正ないし否定するものであるのが一般的だ。
 だから「後継者を育てる」という発想を持たない方が良いように思う。
 では、どうするのか。
 次代を担う人たちに積極的に役割と権限を託していくことは当然として、問題はそこで後継的展開を期待するのではなく、改革的な提案が出されることを積極的に評価することだ。つまり、現リーダーに気兼ねせず新たな提案が出せる雰囲気を作り、現状を変える建設的なアイデアを示し実践する人が出るようになれば、託すべき次代の担い手は自然と生まれてくるといえる。もし仮にそうした人が登場せず、自らの意欲も低下してきたなら、無理に組織を維持するのではなく、活動に終止符を打つことも考えねばならないだろう。
 世の中に同じ人はいない。リーダーが変われば組織も変わる。それを当然と受け止めることで、市民活動本来の力が発揮される組織が作られるように思う。

市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2004年3月号   (通巻393号)

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