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市民活動の意義を否定する「自己責任論」

編集委員早瀬 昇

 「多くの方々にご心配をおかけしたことをお詫びします。ご支援、ありがとうございました」。謝罪と感謝の言葉を重ねる家族たちの姿が痛々しかった。
 市民活動や現地報道のためイラクに入国した日本人三人が無事解放された際の記者会見でのことだ。拘束が伝わった直後は犯人が解放の条件とした自衛隊撤退の決断を政府に求める能動的姿勢が注目されただけに、その落差は際立っていた。家族自身に向けられ、また帰国後の三人に浴びせられる懸念の高いバッシングをおもんぱかってのことであろうことは、想像に難くない。
 実際、三人と家族への非難が早い時点で一部マスコミの社説で主張され、政府・与党の関係者の中にも同趣旨の発言をする人が少なくない。それは「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係諸機関などに、大きな無用の負担をかけている」という読売新聞の社説に代表されるもので、日経新聞や産経新聞も同様の主張を掲載している。この主張の発展として、退避勧告地域に報道関係者や市民活動関係者を含む市民の立ち入りを禁止する法律を作ろうという動きまで出てきた。
 この、一見、説得的に見える「自己責任論」を、どう理解すれば良いだろうか。
 安全対策に万全を期すことは当然のことだし、今回の三人の行動を検証することも必要だ。しかし、事実関係も把握できなかった段階で、三人や家族を非難する意見が広がったのは、なぜだろうか。

 「自己責任」という言葉は預貯金のペイオフ導入などで急速に普及した言葉だが、今回のように事件に巻き込まれた人々に対して使われたのは初めてだ。その批判に冷淡さを感じるとの声も多いが、こうした批判が広がった背景の一つに、今回の事件が過去の人質事件とは異なる様相を示したことがあると思う。
 というのも、今回、犯人は人質解放の条件として自衛隊のイラク撤退を要求し、家族もまた、それを求めた。つまり、今回、(1)政府が事件の一方の当事者になり、(2)被害者の家族も当初は政府の方針と異なる主張を展開した。この二点が、今回の「自己責任論」を広げた遠因だと思う。
 まず(1)の意味は、この事件が、三人の問題というより、日本のイラク政策自体を問う事件だったということだ。確かに自衛隊が派遣されなければ、この種の要求がでる人質事件は起こらなかった。しかし、拘束された人々の「無謀かつ無責任」な行為が事件を招いたと決めつければ、事件の背景にある米軍の行動や自衛隊派遣の是非は棚上げされる。その結果、政府判断の正当性は保たれるとともに、事件の責任を三人だけが負う構図となってしまった。
 (2)の影響も重要だ。家族の当初の呼びかけもあり、複数の市民団体が自衛隊撤退の署名運動などを進め、各団体の集めた署名数は三日間で約十五万人分に達した。同時にアルジャジーラ放送などへの市民レベルの働きかけも活発に行われた。
 この自衛隊撤退論については、そもそもの自衛隊派遣の妥当性に関してさまざまな意見があるとはいえ、人質の命と引き換えに出された要求に安易に応じることの弊害も大きい。ただし、その是非を議論することは、本稿の主題ではない。
 問題は、政府の方針に反する動きが広がる中で、それに対抗する形で「自己責任論」が登場したことだ。実際、今回、「危険地域での活動は自衛隊が担う。市民の勝手な行動は許さない」との発言もあった。もしそのような論理が定着すれば、自衛隊が派遣された地域では市民団体は活動できないか、その管理下に置かれるなど、今後の市民活動が大きな制約を受けることになる。

 元来、NPOが注目される理由は、NPOがNGO(非政府組織)でもあるからだ。行政と同様、利益を目的としないが、NPOは自らの判断で行政から独立して行動することで、多彩で、機動的で、開拓的な取り組みができる。政府の方針と異なる多様な対策を示し、政府が取り組めない活動も展開できるところに市民団体の重要な意味がある。国家の連合である国際連合では、その創設時点から、安全保障理事会と並ぶ組織である経済社会理事会がNGOをパートナーとして認知しているのも、この意味をふまえているからだ。
 政府は、自国の利害にとらわれざるを得ないため、中立的な人道支援での貢献は限定的になる。事実、イラクの孤児たちを支える活動や劣化ウラン弾の悪影響の調査に、日本政府は未だ着手もしていないし、計画もない。特に後者の活動などは、まさに市民団体しか取り組めないものだ。
 その上、イラクの人々の間で駐留米軍への反発が広がっているとの報道は多いし、残念ながら自衛隊をその米軍の追随者とみなす人々もいる。しかし、日本の市民団体の取り組みは、そうした否定的イメージを緩和するものでもある。実際、今回の事件では市民レベルの努力が人質解放に大きな効果があったとの報道もある。また過去にイラクに進出した日本企業への好印象がプラスに働いたとも言われている。「民」の果たす役割の重要性を示す事件でもあったと言えよう。

 もっとも市民団体がその特長を発揮するには、自らの行動に対する結果責任を自ら背負うことが必要だ。ロバート・キャパなど著名なフリージャーナリストが戦場で命を落とし、NGOにも犠牲者が出てきた中、その自覚が三人に全くなかったとは思わないが、不幸にも今回の事態に至った。
 しかし、ここで三人に懲罰的な対応をすることは間違っている。二十日付のフランス紙「ルモンド」は、「日本人は人道主義に駆り立てられた若者を誇るべきなのに、政府や保守系メディアは解放された人質の無責任をこきおろすことにきゅうきゅうとしている」と書いた。また、イラク戦争を推し進めた立場のパウエル米国国務長官でさえ「…私は日本の国民が進んで、良い目的のために身を挺したことを嬉しく思う。日本人は自ら行動した国民がいることを誇りに思うべきだ」と語った。このような発想こそ、政治的な立場を越えて、私たち共通の理念とするべきだろう。
 「自己責任」とは市民が自らを律する言葉であって、困難な事業に挑戦する人々を切り捨てる言葉としてはならないのである。

市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2004年5月号   (通巻395号)

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