ボラ協のオピニオン―V時評―

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市民と政治の距離を縮めよう

編集委員吐山 継彦

 現政権の閣僚や野党第一党の代表が国民年金に未加入だったり、保険料の未納期間があったことが発覚し、市民から非難の声が高まっている。また、その後の民主党内部の混乱に呆れ果てている市民も多いことだろう。
 これらの問題の困ったところは、日本の年金制度への信頼を揺るがしているということ以上に、政治というもの全般に対する信頼感がさらに揺らいで、ほとんどの市民にとって、政党や政治家の存在が汚いもの、近づくべきではないものなど、これまで以上にネガティブなイメージで捉えられていることだろう。今ほど市民と政治の間に距離感のある時代はなかったように思える。さまざまな選挙の投票率が軒並み五〇%を下回る、という事実にそのことが端的に示されている。
 市民活動団体、NPOの活動に参加する多くの市民にとってもそれは同じことで、政治や政党、政治家の話をすると、途端に拒絶反応を示す人も多い。そのため、大阪ボランティア協会市民エンパワメントセンターでは昨年、市民自治の観点からも、市民と政治の間に深い溝があることは好ましいことではなく、もっと市民が政治に関心を持ち、より深いコミットメント(関与)をしていくべきではないか、との議論をベースに「市民と政治を考えるおしゃべりアゴラ」という事業を立ち上げた。市民の政治アレルギーという現実を見つめつつ、まず政治について考え、議論する場(ギリシャ語で「アゴラ」)を設定しようということである。
 今、現実に存在する政党政治や代議制民主主義、国会・地方議会などが多くの部分で制度疲労を起こしており、かなり馬鹿げたことがあちこちで起こっている。市民が政治アレルギーに陥るのも仕方がないわけだが、民主主義の根幹が市民主権と市民自治にあることを考えると、座して政治の堕落を見過ごすのは市民としての責任を放棄していることになる。政治とは畢竟、自分たちに関係のあることがらを誰がどのように決めるか、ということなのだから。
 さて、今年度に入って最初の「おしゃべりアゴラ」が去る五月八日(土)、『市民派議員になるための本』及び『市民派政治を実現するための本』の著者で、「女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク(略称:む・しネット)」の寺町みどりさんを招いて行われた。参加者二十人ほどの小ぢんまりした集会だったが、岐阜県高富町の町議を四年間務められたみどりさん(本人がこう呼ばれることを望んでおられる)の政治に対する考え方と行動の、「過激な」「急進的な」というよりも「根底的な」という意味でのラディカルさに蒙を啓かれる思いがした。
 みどりさんは環境問題に関心が高く、有機農業をしておられることもあって、一九八六年に松枯れ対策用の農薬空中散布反対、八八年にはゴルフ場の建設反対運動などに携わり、その延長線上で高富町の町会議員に立候補し当選。九一年から九五年まで地方自治体の議員として活躍された。任期を終えて”フツーの市民“に戻ってからは、「む・しネット」を中心に、市民派政治を実現するための活動やさまざまな住民運動に関わっておられる。
 みどりさんとの出会いはネット上だった。ある女性市民派議員候補の立ち上げ集会に参加したとき、みどりさんの最初の著書『市民派議員になるための本』が会場の机の上に置いてあったので、手にとって見ていると、その候補者に「とても役に立つ良い本ですよ」と、読むことを薦められた。さっそく帰りに梅田の大型書店によって入手した。読んでみると、それは今までになかったタイプの「政治」についての本で、地方自治、民主主義、市民主権などに関するとても分かりやすい理論書であると同時に、市民派議員になるための懇切丁寧なマニュアルだった。非常に感心して、すぐにメールマガジン「市民プロデューサー通信」の連載コラムで取り上げた。それをみどりさんがたまたま読んでくださり、メールをいただいた。それ以来、「む・しの音通信」という会報を毎月送っていただいている。「いつか大阪にお呼びしたい」とずっと考えていた。
 さて、「おしゃべりアゴラ」の当日は、みどりさんに地方政治の現場におけるご自身の経験を中心に一時間ほどお話しいただいたあと、質疑応答、参加者同士のディスカッションとプログラムは続いた。
 みどりさんの話は、筆者なりにまとめると、「本来なら市民のものであるはずの政治をいかに取り戻し、市民自治をいかに実現していくのか」ということにつきる。手帳にメモしたみどりさんの言葉の主旨を次に掲げておこう。
 政治とは、「わたしのことは、わたしが決める」を実現することであり、地方自治体とは役所や役場のことではなく「日々その地域で暮らしている人びとの集合体」である。また、議員の役割は、「住民の福祉の増進」という目的のために政策を決めることで、公平・公正とは「力の弱い側に立つこと」。行政や議会は、「正論を通せる世界」であり、「法やルールは市民にも使える有効なノウハウ」である。現状の政治システムを変えること、「市民がたった一人でも政策立案できるシステム」をつくるのが目標。「市民派議員を育てるのは市民自身」。現在の政党は、市民のためというより「選挙のために存在する」。地方自治法の核にあるのは「民主的なルール」で、市民はそれを「使い倒すべき」だ、等々(「 」内は手帳に書きとめた言葉)。
 これらのことは、よく考えてみると、至極真っ当で当たり前のことだ。しかし、それがとても新鮮でラディカルに響くのは、今の行政や議会のシステムが、本来あるべき姿から遠く離れ、慣例や慣行、利権といった贅肉で太り過ぎの状態になっているからだろう。しかし、それらを取っ払ってしまえば、本来の政治、本来の議会、本来の行政が見えてくる。
 みどりさんは議員になる前、政治嫌いで、人口二万人にも満たない田園地帯の小さな町で政治とはほど遠い生活をしていた女性だった。ところが、どうしても譲れないこと、つまり松枯れ対策のための農薬空中散布やゴルフ場建設など、自分の環境志向の考え方や生活のスタイルにとって致命的な案件が生じ、政治の世界へとコミット(関与)していくことになる。そして、慣例やジェンダーの問題、セクハラともたたかいながら、一つひとつの壁に全力でしなやかにぶつかり、「わたしのことは、わたしが決める」という直接民主主義的な「みどりイズム」を確立していく。
 今回の「おしゃべりアゴラ」で印象的だったのは、参加者の一人である若い女性が、「みどりさんのお話を聞いて、政治って変えられるんだなと思いました」という感想を述べてくれたことだった。政治を唾棄することは、とりもなおさず民主主義の主人公たる市民としての自分を厭うことを意味するのではないか。今の政治状況がイヤなら、変えよう。それが民主社会における市民的政治スタイルというものだろう。

市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2004年6月号   (通巻396号)

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