アテネオリンピックが始まった。日頃、ほとんどスポーツに興味のない人間でさえ、寝不足にさせてしまう不思議なイベントである。報道によれば、八月十四日、柔道の野村忠宏選手が優勝を決めた時の瞬間最高視聴率は、深夜であるにもかかわらず関東地区で四三・七%、関西地区では四四・四%を記録したという。
最近のオリンピックは政治的、商業主義などといった批判も多く、実際さまざまな醜聞も伝わってくる。しかし、選手たちのあの極限状態の瞬間的表情は神々しくさえあり、寝そべってテレビ観戦する私たちにも、ある種、心地よい緊張感を疑似体験させてくれるのである。
さて、長野冬季オリンピックやシドニーオリンピックの時に比べて、アテネではほとんど話題にのぼることはないが、今回もまた、舞台裏で多くのボランティアが活躍していることだろう。
長野冬季オリンピックでは、約三万五千人、シドニーオリンピックでは、約四万七千人のボランティアが活躍したといわれている。ボランティア抜きには、シドニーオリンピックの成功は語れない、というのがシドニーっ子たちの共通見解だという。
アテネにおいても、二〇〇二年一月三十日に組織委員会がボランティアの募集を開始、二〇〇四年四月末に締め切るまでに、十六万人を超える応募があった。そのうち、三五%はギリシャ国内以外からの申し込みで、その国籍は百八十八カ国に及ぶという。また、応募者の七八%が三十五歳以下だったということだ。
二〇〇三年一月から、現地で面接開始(海外からの応募者へは事前に特別の質問票を送付)。約五万人のボランティアが選抜され、競技運営補助、通訳翻訳、輸送、警備、救護、報道支援など十九種類の活動場所へ配置された。さらに、開幕までに、三種類のトレーニングを受けることが義務づけられている(アテネオリンピック組織委員会公式ウェブサイトhttp://www.athens2004.com/athens2004/ より)。
すでに、二〇〇六年のトリノ冬季オリンピック(イタリア)のボランティア募集もスタートしている。おそらく、また多くの活動希望者が応募することだろう。
ところで、こうしたスポーツイベントボランティアの醍醐味は何だろうか。
参加動機としては、スポーツが好き、開催国が好き、いろいろな国の人と知り合えるなど、さまざまな積極的理由があるだろう。
しかし、もちろん金銭的メリットはない。それどころか、現地までの渡航費や宿泊費などはすべて自己負担であり、ボランティアの経済的負担は大きい(宿泊場所の提供については例外もあり)。
さらに、どれほど準備しても、規模の大きさや言語・文化の違いなどからくるトラブルはつきもので、オリンピックボランティアを経験した人のレポートを読むと、連絡がこない、書類が間違っているなどの困りごとは誰もが経験していることが分かる。また、必ずしも選手や競技を近くで見られるわけでもなく、担当部署によっては、二十四時間交代の精神的肉体的にハードな業務もある。
それでもなお、多くの人が魅せられ、継続して参加したいと思う理由はどこにあるのだろう。
それは、「オリンピックを一緒に創っている」という感覚ではないだろうか。成功に一役かっているという “自負心”と表してもいいかもしれない。同じ作業をしても、それを自負心をもって行えるかどうかによって、ボランティア自身の満足度も活動結果の有効度も違ってくるはずだ。自負心があるからこそ、少々のトラブルにも臨機応変に対応し、受け身にならず自ら積極的に動けるボランティアが育つのだ。
シドニーオリンピックで、ボランティアたちの間で合い言葉のようになっていたフレーズは、「私たちの力で歴史上最高のオリンピックにする」というものだったという。
ボランティアがこうした自負心をもって活動に取り組める状況をつくるということが、ボランティアプログラムを運営する側の最大の目標だろう。
オーストラリアのニューサウスウエールズ州ボランティアセンター(Volunteering New South Wales)は、シドニーオリンピックの際に、ボランティアマネジメントの計画と実施に大きな役割を果たしたところであるが、そのセンターのスタッフに次のような話を聞いたことがある。
「ボランティアを採用してから、実際にオリンピックが始まるまでの二年間、動機を維持するのは大変だった。そこで、ことあるごとにEメール、ニュースレター、トレーニングセッションで、ミッション(オリンピックの成功にどうつながるのか)を伝えることを心がけた」。
シドニーオリンピックにおいて、短期間に四万五千人ものボランティア養成ができた背景には、オーストラリア最大の教育機関であるTAFEにボランティアトレーニングコースを設けるなど、いくつかの要因があったが、結局は、オリンピックのような世界的な大規模イベントであれ、小さなNPOの運営であれ、ボランティアとの協働における基本理念は同じだということだ。
スポーツは専門性が高くなればなるほど、「選手」=実際にやる人(→能動的)、「観客」=見る人(→受動的)という構図がはっきり分かれてくる。もちろん「観客」の中には、とても受動的といえないような情熱を傾けて応援するファンもいるが、さらに、もう一つ新たな能動的な存在=「ボランティア」の参画が、これからますます注目されていくのではないだろうか。そしてそのボランティアが、その競技や組織の成功に一役かっているという自負心をもって活動できるようなボランティアプログラムの運営が求められている。
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