ボラ協のオピニオン―V時評―

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『ウォロ』四〇〇号を迎えて

大阪ボランティア協会理事長岡本 榮一

 『ウォロ』が四〇〇号を迎えた。『月刊ボランティア』の時代を含め、大阪ボランティア協会という民間の立場から、日本のボランティア活動、市民活動の啓発を目指して三十八年にわたり発信し続けてきた。四〇〇号発行はその証である。
 しかしながら平坦ではなかった。何回か廃刊の瀬戸際に立たされ、今もって赤字から脱しきれていない。今日まで継続できたのは、日本の民主主義社会の形成とかかわって、「民間発」のボランティア情報の重要性を、歴代の協会関係者、編集委員会が使命として深く理解していたからである。
 『月刊ボランティア』が創刊されたのは一九六六年、協会が創設された翌年である。それは三八一号まで続くが、その次の号から『ウォロ』に改題して発刊することになる。『月刊ボランティア』と『ウォロ』、この二つの名称そのものが、ボランティア活動を取り巻く四十年近くの日本の社会変動を反映している。
 『月刊ボランティア』の時代は、高度経済成長を背景にした新たなボランティア活動の台頭と関係があり、『ウォロ』の時代は、右肩上がりの経済成長の停止、既存の社会システムの硬直化、それらを背景とするプライバータイゼーション(民間化)やNPOなどの台頭と関係がある。以下、私見を交えて述べてみる。

 周知のように、高度経済成長期は一九六〇年代に始まる。日本では、ボランティアセンターなど「中間支援機関」は、善意銀行系、社会福祉協議会系、社会教育系、ボランティア協会系の四つの流れがある。共通しているのは、この高度経済成長期の一九六〇年代から一九八〇年代にかけて、そのほとんどが創設されていることである。大阪ボランティア協会もその例に漏れない。
 では、それらのことがなぜ高度経済成長期に始まったのか。日本では、すでに表現の自由や結社の自由が権利として保障されていたから、この期の社会変動が市民運動や市民活動など潜んでいた国民の行動様式に、新しい「市民化」の触媒的な働きを促進したと考えることができよう。
 その一つは、経済成長期の影の部分がもたらしたものである。それは、公害の多発、過疎過密、コミュニティの崩壊などの社会問題を生み、そのことが国民の「市民」としての自覚を促すことになる。社会問題が行政依存、他人まかせの生き方の反省を迫り、市民運動、市民活動を触発したのである。
 もう一つは、光の部分としてである。この高度経済成長期が、余暇と所得の増大に寄与し、そのことが一般の普通の人々の生活を、労働(labor,work=有給)と活動(action=無給)とに分離させ、勤労者 ? 家事労働も含めて ? という身分から離れて、自由な「市民」として活動可能な条件を用意したことである。
 これらのことは、先に述べたように、新たなボランティア活動の進展と、それを支援する「中間支援機関」の誕生に深いかかわりを持っている。問われるのは、この期に生まれた大阪ボランティア協会が、他のそれらの機関と違って、どんな姿勢や使命でもってボランティアを支援し、『月刊ボランティア』という媒体を通して広報活動をしてきたかということである。
 協会の姿勢や使命の独自性を一言で言うのは難しいが、(1)行政から一定の距離を置きつつ自立した「民間」の立場を堅持し、そこに立って発信してきたこと、(2)ボランティア活動を単なる善意活動、奉仕活動としてではなく、「市民活動」としてとらえ、その視点から発信してきたことであろう。

 一九九〇年代に入って、ボランティア活動をめぐる社会状況は大きく変化する。バブルの崩壊などを発端に、硬直化した社会システムの見直し、変革が始まる。それは、分権化を含めた小さな政府への志向、NPOなど非営利のボランタリーなセクターへの期待などを含むが、一九九五年の阪神淡路大震災におけるボランティアやNPOの活躍を背景に、一九九八年に施行された特定非営利活動促進法(いわゆる「NPO法」)はその具体化の象徴であろう。
 大阪ボランティア協会は、このような大きな歴史的な転換期に立って、従来の個人に向けられたボランティア活動の支援に加えて、多様なボランタリーな非営利組織=NPOの活動とも向き合う道を選んだ。ボランティア活動だけでは社会づくり、社会変革に弱いからである。これらを総称して「市民活動」とし、個人のボランタリズムのみならず、組織のボランタリズムをも包括することとした。
 『ウォロ』の改題は、以上のような社会的歴史的な背景の中で起こっている。しかしながら、『ウォロ』の使命は、『月刊ボランティア』が担ってきた使命の延長線上から大きく逸脱するものではない。それは四〇〇号以降も引き続いて、市民社会の創造に向けてなされる新しい市民活動像の追求に他ならない。
 「市民社会」は多義的であるが、ボランティア活動の視点からすれば、個々の多様で主体的な市民の社会参加、自己実現を、多様なNPOの創造的営みを通して保障していけるような多元的な社会、ということになろうか。
 今話題になっているものに「地方分権改革」がある。それは、福祉サービスや防犯や教育など、市民の身近な暮らしにかかわる事柄について、その財源と権限を中央政府から地方政府に取り戻すことである。ところがそれだけで分権改革は終わらない。市民(NPOやボランティア)セクターが、行政セクターや営利セクターと協働しつつ、どれほどそれらの課題解決に、自分のこととして参加できるシステムを地域につくりだせるか、といった次なる問題がある。つまり「市民自治」という課題だ。
 現代社会は、市民のもつ時間とエネルギーを、「労働」と「活動」に分化させた。後者の「活動」に秘められた主体的なエネルギーこそ、NPOやボランティア活動や市民自治と向かい合っている。情報社会とかかわって、二十一世紀の新しい市民社会づくりに向けて発信する『ウォロ』の責任は重い。

市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2004年11月号  (通巻400号)

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