ボラ協のオピニオン―V時評―

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「不幸産業」ということ

編集委員早瀬 昇

 「僕の仕事は不幸産業ですから…」
 数年前のこと、TBS系で放送されている「NEWS23」で、筑紫哲也さんのインタビューに高名な医師がこう答えた。
 病いに倒れた人がいるからこそ、自分の仕事がある。その成果を賞賛する声に包まれる中、医師は自らの仕事が成立する土台として、病いに苦しむ多くの人々に思いをはせていた。

 阪神・淡路大震災から十年目となる今年一月、当時を振り返る番組が数多く放送され、新聞や雑誌にも多くの特集記事が連載された。そこで当然のように取り上げられたのが「ボランティアの活躍」だった。
 一九九五年は「ボランティア元年」とまで呼ばれた。現地に出向いた人だけでも百四十万人を越え、募金や救援物資で協力した人も加えれば、日本に暮らす人の八割以上が何らかの行動を起こしたという統計もある。市民による復興への支援活動が多彩に展開された。
 そんな中、大阪ボランティア協会も各地の市民団体などと連携して、被災地東部に一般市民公開型ボランティアセンター「被災地の人々を応援する市民の会」を立ち上げた。平時につちかってきたボランティアコーディネーションのノウハウと全国の市民団体や企業などと結んできたネットワークが活かせ、結局、二万一千人以上のボランティアが集う被災地内で最大のボランティア活動拠点となった。
 その一方で、NHKが定点観測の取材拠点を会の事務所に置くなど、メディアへの露出も多かった。そこで、冗談か揶揄か、災害時の対応を考える、とあるフォーラムに出席した際に、私を「国民的英雄」と紹介され、ぞっとしたことがあった。
 なぜ、ぞっとしたのか。私には「ボランティア活躍」の“陰”の部分もあったと思えるし、私自身にも苦い記憶があるからだ。

 「こんなもん、いらんわ!」
 その言葉が、十年を経た今も耳から離れない。
 現地事務所ではボランティアと被災地の人々の仲介活動に加え、全国から寄せられる救援物資の配布にもあたっていた。
 その夜も、明日の対応を検討する会議が遅くまで続く中、少し休憩しようと、私が事務所の外に出た時だった。
 一人の男性が、事務所の前に積み上げられた救援物資の束をさぐっておられた。
 「これ、もらえるか?」
 そこで「はい、お持ちください」と、すぐに言えば良かったのだ。ただ、その物資は先ほどの会議で、翌日の活動の際に持参しようと話していたものだった。そこで「あの…」と、一瞬、戸惑ってしまった。
 その私のモゾモゾとした反応にぶつけられたのが、その言葉だった。
 「あぁ、なんてことをしてしまったのだ」と思っても、もう後の祭り。走り去る男性の背中は屈辱でふるえているようだった。
 物乞いのような行為をしたい人はいない。しかし背に腹は代えられず、おそるおそる手にとられたのであろう。その立場に立って、その痛みを共有する感性をみがけていれば、私は違う対応ができたはずだ。
 ところが、「応援する側」の立場にとどまったまま、予期せぬ被災で途方にくれる人をさらに傷つける行為をしてしまった。
 災害のたびに言われる「心のケア」についても、同様のことがよく指摘される。
 恐怖の体験や今の苦しさを吐露することで、ストレスを昇華できる場合がある。そこで「心のケアだ!」と、被災者の話を聴く活動が広く行われた。もちろん、その活動には少なからず意味があっただろう。
 しかし、「なんぼ話を聴いてくれても、それで家が戻るわけやない。家さえ戻れば、この暗い気分は簡単に晴れるのに…」とこぼされたことがあった。
 具体的な生活課題の解決こそが、ストレスを解消する根本的な対策だ。その問題にまで迫らないまま、「心のケア」ができたと満足してしまってはいなかったか。
 ボランティアの“活躍”の陰で、こんなことも実は少なくなかったと思う。

 これに対して、「みな、良かれと思い、身銭をきって駆けつけたのだ。そこで多少とも成果があげられたなら、それを素直に評価すれば良いのであって、変にケチをつけることはない」といった意見もあろう。
 確かに他者を支える好意を、過剰に難しいものとしてはならないだろう。それに、行政こそが公共活動の担い手という見方が強かったこの国で、ボランティアやNPOが行政を越える機動性や多彩さを発揮し、「もう一つの公共活動の担い手」の意味を広く示したことなどは、積極的に評価しなければならない。
 さらに、被災地での厳しい現実が街を覆い尽くすがごとき中にあって、「明るい話題」としてボランティアなどの活動を大きく取り上げることで、復興に努力する人たちが決して孤立していないことを伝える意味もあるだろう。
 大切なことは、そうした肯定的評価に酔いしれてしまわない視点をもつことだ。
 「不幸産業」という言葉は、ボランティアが変に思い上がってしまうことを正してくれる。そして、この言葉は、災害救援に限らず、多くの市民活動の場面でかみしめねばならないものだろう。

 しかし、この「不幸産業」という言葉にも落とし穴がある。それはこの言葉が応援する相手を「不幸な人」と決めつけてしまいかねないことだ。
 辛い体験をされていることは確かだが、自らを「不幸」だと、その運命を呪っている方ばかりではなかった。
 そもそも、ボランティアが頑張れるのも、「いつまでもクヨクヨしててもしゃぁないがな」と復興をめざす人たちの頑張りに、励まされていた面が大いにあった。いわば「不幸」に負けない「元気」との出会いだ。
 「不幸産業」の側面を持ちつつも、「不幸」を乗り越える人々との出会いに支えられて自分たちの活動が広がっていく。市民活動を進める際に、自らのこの立場を見失わないでいたいと思う。

市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2005年3月号   (通巻403号)

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