ボラ協のオピニオン―V時評―

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「アマチュア主権」と「プロアマ革命」

編集委員吐山 継彦

 「レイ・エキスパート」という言葉がある。英語で書くと、lay-expert、つまりlay(素人)+expert(玄人)で、意味からすると両立できない単語の組み合わせである。しかし、レイ・エキスパート、すなわち「門外漢なんだけど、ほとんど専門家と遜色ない知識・情報をもち、プロと同じようなレベルの活動ができる人」というコンセプトは、これからますますNPO・市民活動の世界で重要になってくると思う。
 基本的に、二十世紀というのは「エキスパート」や「スペシャリスト」、「専門家」、「プロフェッショナル」などと呼ばれる人たちの時代だった。官僚の世界も、学問や技術の世界も、また企業人や軍人の世界も、多くのエキスパートを生み出し、できるだけ素人を締め出す方向に進んできたと言っても過言ではない。その結果、能率や生産性は向上したかもしれないが、公開性が弱まり、新規参入が難しくなるとともに、さまざまな弊害も出てきている。医療ミスや誤審の問題、インサイダー取引、原発事故などは、過度の専門化がもたらした現象だと見ることもできる。
 そこで考えられるのが、専門家と同程度の知識や情報をもつレイマン(素人)を専門家集団の中に送り込み、エキスパートの専制を監視することによって透明性を担保し、プロの暴走を事前に察知、防止しようというアイデアである。これができるのはどのセクターなのか?
 行政や企業は基本的に専門家集団であり、これらエキスパートたちは知識や情報、技術を独占することが力の源泉となるので、できるだけアマチュアを遠ざけようとする。そのときのプロの常套句は、「難しいことは専門家に任せてください」であり、「素人が口を挟むことではない」だろう。
 専門家の牙城を揺さぶり、情報公開によって透明性を高め、市民社会をより安全で公平なものにしていく役割は、市民セクターが適任だろう。なぜなら、プロの顧客はフツーの市民(アマチュア)である場合がほとんどだからである。医者という医学のプロの顧客は患者という医療のアマチュアだし、弁護士という法律のプロの顧客は、クライアント(依頼人)という法律のアマである。考えてみると、医者がガンになったときや、弁護士が罪を犯した場合などを除くと、ほとんどの場合、プロのクライアントはアマだと言えよう。もちろん全てのプロも自分の専門分野以外ではフツーの市民、つまりアマチュアなのだ。
 このように考えてくると、アマチュアの重要性が見えてくる。つまり、プロフェッショナルが提供するモノやサービスを購入・消費しているのはアマチュアであり、実はアマこそプロの存在と生活を支えているのである。
 現在、ビジネスの世界で最も流布しているフレーズは、「お客様第一主義」であり「消費者主権」だろう。高度成長時代の生産優先から、低成長時代に入ってモノが売れなくなった今、消費者のニーズやウォンツを最優先しないと商売が成り立たない。だから、やっと企業人たちは、自分たちが消費者に食べさせてもらっている存在であることを身に染みて自覚させられたのである。高度成長時代には、企業経営者はあたかも「生産者のために消費者がある」という態度だった。そうでなかったら、あの悲惨な公害は起きていなかっただろう。
 生産者と消費者の関係をプロフェッショナルとアマチュアの関係に読み換えると、そこにはおのずと「アマチュア主権」というコンセプトが出来する。プロの顧客であるアマは、もっともっと専門家に自分の権利を主張すべきである。もちろんその流れはすでにあって、例えば、患者が主治医以外の医者にセカンドオピニオンを求めることなどは、プロにアマチュア主権を認めさせるための試みだと考えてよいだろう。
 「アマチュア主権主義」の主な主張は、次のようなものである。

アマチュアは、プロの技術やサービスの享受者であると同時に、プロの生活を支えるパトロンでもある。
アマチュアとプロは対等の関係にあり、アマはプロによって「無能」のごとく扱われることを拒否する。
アマチュアは、プロが提供する技術やサービスに関して、いささかでも疑問があるときは、プロに対して十分な説明を要求する権利がある。

 このような立場で社会を見てみると、あらゆるところでアマチュア主権が叫ばれているように思えてくる。
 「権力者vs.市民」、「生産者vs.消費者」などの構図を「プロフェッショナルvs.アマチュア」に転換して考えてみるとおもしろい。いろんな二項対立の権力関係を、「プロvs.アマ」の構図で考えることが大切だと思うのだ。なぜなら、「プロvs.アマ」の構図が最も権力関係が見えにくく、イデオロギー的ではないように見えるからである。今までぼくらは、あまりにもプロとアマの違いの自明性を信じ込まされてきたのではないだろうか。「アマがプロに太刀打ちできないのは当たり前」というように。
 最近、ぼくは、中間支援組織やNPOのそこはかとないプロ化願望に少なからぬ危惧を抱いている。「中間支援組織の専門性」やら「プロとしてのボランティアコーディネーター」といったフレーズは、それ自体としてはなんの問題もないが、自分たちをプロと認識することによって、クライアント(顧客)であるアマチュア(市民)を疎外していないか、ということなのだ……。
 大阪ボランティア協会のホームページで、スーザン・J・エリス(「米国発ボランティアマネジメント最前線」)が電子出版本『The Pro-Am Revolution』( Charles Leadbeater & Paul Miller著,Demos, UK, 七十ページ、PDF、二〇〇四年)を紹介している。タイトルは『プロアマ革命』、副題に「熱狂的な人たちがいかに我々の経済と社会を変えつつあるのか」とある。
 「プロアマ」というのは、どうやら英国版「レイ・エキスパート」のことらしい。つまり、「プロフェッショナルなアマチュア」の意味である。この出版物の表紙には、「二十世紀はプロ(専門家)の台頭によって特徴づけられるが、今や新種のアマたちが出現しつつある」と大書してある。
 プロアマの存在を具体的な数字や証言によって分析し、「成長しつつあるプロアマ・セクター」として、描き出しているところが重要だ。この冊子にはお金や出世を度外視して、情熱の赴くままに自分たちの好きなことに熱中している人たちが登場する。そして、そういう人たちが社会を変えつつあることが説得力を持って記述されている。「プロアマ」というのは、基本的にはアマチュアである。そして、アマチュアの本質は、仕事としてではなく、楽しみと興味のために活動に参加することだ。これから二十一世紀の数十年間、市民活動は、「アマチュア主権」を確立し、「プロアマ革命」に乗り出していくことになるのだろうか。

市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2005年4月号   (通巻404号)

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