ボラ協のオピニオン―V時評―

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「ニセ募金」を駆逐するには

編集委員早瀬 昇

 昨年十二月のクリスマスイブ、毎日放送が「闇の正体! 善意の募金に重大疑惑」とのスクープ番組を放送して以来、TBS系列の放送局などを中心に「ニセ募金」に関する報道が続いている。二月には国会でも取り上げられ、「街頭でお金を集めた場合、まったく野放しになっている」として、国は実態把握を進めることを約束し、被害防止の議員立法に向けた動きも始まった。
 この報道のきっかけは、昨年、関西地区で黄緑色の派手なヤッケを着た高校生を中心とする若者たちが、駅前などで大声で「募金」協力を求める姿が見られだしたことからだ。難病の子どもたちを支援するとして「幼い命を救おう」などと大書きされた看板をかかげ、若者たちが熱心に協力を呼びかける姿に共感し、私の周囲にも「協力した」という人が少なくなかった。
 ところが、取材を通じて、この「募金」を呼びかけていた若者たちは時給千円で雇われていたアルバイトで、かつ集まったお金の大半が寄付された形跡がないことが分かった。冒頭で紹介したスクープは、その実態を報道したものだ。

 実に腹立たしいことだが、この種の事件は、以前から起こっている。
 たとえば、二年前、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)に似た団体名で街頭募金を行い、集まった募金の九割を必要経費として支出。家族会から抗議を受けた。昨年十月にも災害支援を名目にしたニセ募金について自治体が注意喚起を呼びかけ。最近はeメールを使った詐欺募金も頻繁に報告されている…。
 列記するだけでも気分が悪くなる。しかも、先の毎日放送の報道がなされる直前から黄緑ヤッケの集団は忽然と姿を消したのだが、同放送では、この三月にもスマトラ沖地震への支援をうたう街頭募金に対して同様の疑惑を報道している。
 こうした疑惑が事実ならば、私たちの連帯意識や利他心を利用した卑劣極まりない犯罪と言わねばならない。
 その上、報道の影響によって、きちんと活用される募金にまで疑いの目が広がってしまい、募金を通じた社会問題解決が妨害されてしまう。さらに社会連帯の意欲も損なわれるわけで、何重にも罪は重い。
 同種のニセ募金は霊感商法などで問題となった宗教団体が行っているとの告発がなされてきたが、その場合はマインドコントロールを受けた信者が行っていた。その点で、募金の実行者には加害者であるとともに被害者の側面もある。
 これに対して今回の事件は、事情を知らず別目的の求人に応じたことがきっかけで街頭に立つことになったとはいえ、れっきとしたアルバイト。しかし、報道された画面からは自らの“演技”に応えて多くの寄付が集まったという加害者としての自覚は伝わってこなかった。
 今回の場合、首謀者の罪が重いことは当然だが、この「募金」のスタッフとして働いた若者たちも詐欺の共犯者としての責任を免れない。少年法適応者としての配慮は必要だが、事実が解明されれば、相応の罰が科せられねばならないと思う。

 もっとも、こうした事件を犯罪として立件することは難しい。街頭募金による収入がいくらあったのか把握できないからだ。
 実際、かつては各都道府県などに「街頭募金取締条例」などといった条例があり、街頭募金の実施にあたっては、警察への道路使用許可申請とは別に行政の認可が必要だった。
 しかし、募金の認可は行政による「お墨付き」を与える効果があるにもかかわらず、募金収入はあくまで自己申告のため、もし不正が行われたとしても、それを把握することは困難。結果として条例の悪用を許してしまう「ザル法」だった。そこで、大阪府が一九八四年に条例を廃止するなど、大半の自治体で同種の条例は廃止されている。
 この問題を制度的に規制するには警察官などが立ち会わねば募金箱が開封できない仕組みでも作り出さねばならないが、そうなると時の権力者に批判的な活動の街頭募金が抑制される懸念もある。ことは根本的には「結社の自由」にもつながる話であり、制度的な規制は非常に難しいのだ。

 では、どうしたら良いのか。
 対策の一つは、とても悲しい話だが「安易に募金に協力しないこと」だ。ニセ募金をしても、みんながその正体を見抜き「募金」に協力しなければ、「ニセ募金」を行うコストばかりがかかってしまうから、結果として駆逐できる、ということだ。
 救援物資を送ることが被災地の店舗の復興を妨害する場合があるように、善意の行為が結果的にマイナスに働くことがある。社会的な活動には、それなりの責任も伴うのだ…ということでもある。
 しかし、一般にはどのような団体が怪しいかを判断することは困難だ。「安易に協力しないで!」と呼びかけることは、「すべての募金に協力しない」人を増やすことにつながってしまいかねない。
 ではどうするか。結局、街頭募金を行う側の信用力を高め、「ニセ募金」との違いを明確に示すしかないだろう。
 たとえば街頭募金の老舗の一つ、あしなが育英会の街頭募金は、年に四日、全国一斉に行い、それ以外の日には実施しない。募金箱やのぼりなども統一するなど、一種の“ブランド化”も進めている。赤い羽根共同募金や今年から始まった白いリボン運動でも、報告の充実や監査の徹底などに努力している。
 こうした体制を整備するのは容易ではない。しかし、ニセ募金の出現で街頭募金に漠然とした不信感が広がっている以上、信用の確保は不可欠になっている。
 「いつでも、どこでも、誰でも、気軽に」は「広がれボランティアの輪」連絡会議が提唱するスローガンだが、こと街頭募金に関しては、気軽にはできない時代になってしまったのである。

市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2005年5月号   (通巻405号)

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