ボラ協のオピニオン―V時評―

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NPOが内在する「優れた非効率性」~戦後60年によせて

編集委員増田 宏幸

 戦後60年目の夏は、ハプニング的な衆議院解散、総選挙とともに過ぎようとしている。還暦を迎えた節目に稀に見る変人宰相を抱え、ともかくも「改革」を巡って選挙をするのは何か象徴的だ。
 今年は中国、韓国での反日感情の高まりや、日本などが常任理事国入りを目指す国連安保理改革といった外交課題に加え、国内ではJR西日本福知山線の脱線事故、航空機の相次ぐトラブル、「官製」に発展した日本道路公団の橋梁談合事件など、企業のモラルや社会的責任が問われる出来事も相次いでいる。憲法についても、自民党が自衛軍保持を明記した改憲草案を公表した。歴史と社会を見つめ直した時、改めて市民、あるいは市民活動の役割について考えさせられる。

 例えば、日中戦争や太平洋戦争への道はどこから始まったのだろうか。対米開戦を最終決定した会議は確かにある。でもそれは、政府や軍部が日々の意思決定を積み重ねた結果でもあった。一般市民にとって戦争は、いつの間にか忍び寄り、気づいた時にはがんじがらめに自分を縛り上げる存在となっていたのではなかろうか。
 JRの事故は、国鉄の分割民営化が原点かもしれない。しかし、列車の高速化やダイヤの過密化、人員合理化の過程で、誰かが危うさに気づいて流れを変えることはできなかったのだろうか。かつての戦争と現代の事故は、遠く時を隔てた事象ではあるけれど、その渦中にいた個人に「あなたはそれまで、何をした」と、問いたくなる共通点をはらんでいるように思う。
 JRについては膨大な報道があるが、あの脱線事故(4月25日)より前に、トラブル続きの日本航空が、事故を先取りしたかのような報告を出しているのは示唆的だ。
 4月14日、日航は国土交通省に報告書を提出した。同日付の新聞は「航空業界には国交省が定時運航とする、『定刻から15分以内』で運航した便数の割合を示す『定時出発率』という言葉がある。日航は国内線で『9割以上』との目標を掲げ、特に新幹線と競合する路線では『5分以内』と定めている」とし、航空業界は「新幹線『のぞみ』が登場した90年代から乗客争いを展開し、国内線の搭乗手続きの締め切り時間を出発前20分から15分に短縮するなど利便性を向上させてきた」と報じた。日航はトラブルの背景の一つに「時間制約のプレッシャーがあったとみられる」と認め、会見した最高経営責任者兼社長は「『時間厳守よりも安全を優先すべきだった。安全に対する認識が不足し、情報の的確・迅速な共有ができていなかった。定時性の確保などからくるプレッシャーがあった』と語った」としている。

 11日後のJR事故で指摘された背景・原因との類似に驚くが、この中で目に付くのは「乗客争い」「利便性の向上」といった収益性、効率性に類する部分と、「情報の共有ができていなかった」という組織運営に関する言葉だ。
 企業の構成員の関係は一般的に、上司・同僚・部下だろう。意思決定のあり方も「指示」「命令」など上意下達が大きなウエートを占める。意思決定の過程で十分に議論ができればいいが、仮に上司の「言いなり」になるしかなかったとしたら、その組織は極めて「お寒い」状態だと言える。
 日航が8月2日に設置した「安全アドバイザリーグループ」の一員で、「失敗学」を提唱する畑村洋太郎・東大名誉教授は、JR事故から導き出される教訓として「安全性と経済性は相反するように見えるが、”潜在失敗“を考えれば、実は、相補的なものなのである。それを分かっているのに動けない組織の身近な理由には、経営計画や顧客の挙動などがあるが、今、社会が求めているのは、これを自分の課題と考えて行動する”個の独立“である」(6月4日付毎日新聞)と指摘している。
 この点にこそ、NPOが企業との協働などで生かすべき意義があるのではないかと思う。組織内部ではなく社会に向く目的意識、命令ではなく共感に基づくフラットな組織運営と意思決定システム。これらを担保する情報の公開・共有は、構成員を単なる「歯車」とすることなく、社会や会社の中で「もの言う個人」を育て、戦争に至る「いつか来た道」を回避することにもつながるだろう。それは政治を変えることにもなると思う。
 だからこそ、企業や行政と協働する際、NPOが同じ行動原理に染まっては意味がない。仕事の期限を守る、より良いものを提供するなどといった厳密さの共有は当然として、ボランティアとの協働をも含めてNPOが内在する「優れた非効率性」を広げることは、社会がリスクを回避する上で有効なことを自覚すべきだろう。NPO自身が上意下達型の組織になっていないか見直す必要もあるし、リーダーの雰囲気づくりも問われる。
 冒頭に戦後60年と書いたが、今年は大阪ボランティア協会が生まれて40年、日航機墜落事故から20年、阪神・淡路大震災から10年でもある。戦前の新聞は、政府のメディア戦略の中で自滅しつつ戦争遂行に加担した。今はこの『Volo』を含めインターネットなど数え切れない自由なメディアや情報発信手段があり、大きく底辺を広げた市民活動の世界がある。ことさら「記念日」を求めるつもりはないが、それぞれの時を刻みつつ、どんな価値を社会に提示して来られただろうか。
 国家神道や軍国主義、高度成長と拝金主義……。戦前、戦後を代表する言葉たちに代わって、新たな一歩にふさわしい社会のバックボーンが、市民活動から生まれればと思う。

市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2005年9月号   (通巻408号)

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