今年の11月7日は大阪V協会の40年目の誕生日である。日本は世界でもっともボランティアセンターの多い国である。約3千。その中で一番古いセンターである。古いことは必ずしもいいことではないが、そのことを何かしら誇りに感じ、センターづくりにまい進してきた。
■行政から独立した民間性の保持に特徴
協会が生まれたのは1965年である。高度経済成長期の真っただ中である。公害の多発、市民運動の高まりといった、いわば大きな時代の変わり目のころであった。不思議なことに、日本各地の先駆的なボランティアセンターの多くは、当協会をはじめとしてこの激動期の60年代後半から80年代前半に創設されている。
なぜ、そのような時代に創設をみたか? ということはひとまず置き、40周年を迎えた大阪ボランティア協会とは何だったのか? どんな特色、役割を担ってきたセンターだったのか? 40年を省みるとともに、新たな展望をさぐってみることにしたい。
協会の特色は何ですか? ときかれると、それは、行政から独立したボランティアセンターであったと答えるだろう。協会はそれを貫徹してきた。日本のボランティアセンターは3千あるとさきに書いたが、その99%が社会福祉協議会系列のものである。行政と一体化した形のものである。
これに対して協会は、意識的に行政からの「独立」を守ってきた。そのうえに立って「協働」の道をさぐってきた。何故そこまでと思われるかもしれない。それはボランタリズム、すなわち民間性、創造性、批判性を保持せんがためである。市民社会の基本を守ろうとしたのである。だから財政的には苦闘の40年間であった。
このボランタリズム保持という土台のうえに、協会のいくつかの特色が挙げられる。やや自慢話めくが、ここでは(1)人づくりに重点をおいてきたこと、(2)ボランティア参加のシステムを創ってきたこと、(3)開拓的に事業をしてきたことの3つをとりあげてみたい。
■特色は人づくりや参加システムなど
創設の時から、協会は人づくりに力をいれてきた。特に前半はそうだ。初級ボランティア講座をはじめとして、入門講座、技術講座、専門講座など多彩である。その頃、社協は「善意銀行」を併設してモノ、カネの対応に終始し勝ちであった。
それに対して、協会は、さまざまな講座を通して、ヒト、すなわち主体的な「人間形成」に焦点をあてている。講座の形式もバズセッション(※注:討議方法のひとつ。少人数のグループに分かれて、リーダの進行のもとテーマについて討議し、グループごとに意見をまとめて報告する。バズ(buzz)とは、虫の羽音の意)を取り入れ、討議の時間を多くとって、主体的な参加方法を徹底してやってきた。また講義内容は「善意」や「奉仕」意識の克服に向けられていた。数多くのボランティアがそだち、新しいグループを組織したり、病院や福祉施設で活動し、地域活動にかかわった。
二つめの特色は、「参加システム」といわれる方法である。制度疲労がささやかれながらも35年も続いている。会員が、ボランティアとして多様な講座の運営、「Volo」の編集や、そのほかさまざまな委員会などに参加し、職員と協同して協会事業を推進するシステムである。多い年は200人を越えたこともある。
これは、協会の財政危機から始まった。この参加システムは協会にとって、ボランティアの側から新しいアイデア、知見が協会事業に反映されるメリットがある。逆に、参加するボランティアにとっても、学習機会にもなり、交流や自己実現の場ともなる。
参加システムで大事なことは開かれた組織づくりである。「参加」することが、民主主義社会を構成する上で、大変重要であることを学び、協会のようなNPOが存在することの社会的意義についてアイデンティティをもってもらうことである。
三つめの特色は開拓・開発の努力である。ボランティアセンターには、(1)ボランティアに対する学習支援機能、(2)コーディネーション機能、(3)活動ボランティアへの支援機能、(4)広報・啓発機能、(5)研究・調査機能の5つぐらいの機能がある。
協会は、これらの一つひとつを開拓し創りあげてきた。たとえばコーディネーション事業にしても、研究機能と並行してコーディネーター講座を1976年に全国に先立って立ち上げ、専門性やコーディネーション機能を磨きあげてきた。ボランティアセンター確立のあと、企業市民活動センターを創設したこともそうである。このような積み重ねが、見事に阪神淡路大震災に生かされ、NPO推進センターの創設へとつながる。
■時代を読み、時代を切り拓くこと
ハンナ・アレント(1906-1975、ドイツ-アメリカ、政治哲学者)は、知られているように、人間の行為をlabor(労働)、work(仕事)、activity(活動)に分けている。高度経済成長期に協会は何故生まれたのか? この期は、影の部分としての公害の多発を生んだが、その一方で、市民の側に公害に立ち向かう「市民意識」を育て、労働から分離された余暇=活動を拡張した。協会などボランティアセンターの創設は、このように、新たに生まれた「活動」をどう社会的に生かすかを求めた人びとへの対応であったといえないか。
協会の対応は古いそれではなかった。新しい市民像を描きつつ、アレントがいう「活動」の中身を「ボランティア活動」として社会に提示したことである。それは、タテ社会の窮屈さを脱した自由で楽しい市民的義務だった。戦争を遂行した奉仕活動ではなく民主主義社会の構築をめざしたもの、いいかえれば個の主体性や自発性を重視する市民ボランティア像だった。そこに協会の独自性があったように思う。
だが、問題はポスト40年である。20世紀は労働の世紀であった。21世紀は活動の世紀である。この活動をどう公共の創造に向けて支援するか。どう創造する喜びや協同する感動で満たすか。それは、ボランティアセンターやNPOセンターが、社会的課題??政治、教育、福祉、環境、国際、地域づくり等??にどう向き合うかにかかっている。大阪ボランティア協会も例外ではない。じっとしていては捨てられる。ボランティアやNPOとともに、これら「課題の海」に船をこぎ出そうではないか。それしか道はない。
市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2005年11月号 (通巻410号)
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