ボラ協のオピニオン―V時評―

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「依存力」ということ ~ドラッカー氏逝去の報にふれて

編集委員早瀬 昇

●「第2の顧客」という視点

 昨年11月11日、経営学の父と言われ、またその哲学的思索で世界中の人びとに大きな影響を与え続けてきたピーター・ドラッカー氏が亡くなった(享年95歳)。


 彼の業績は幅広く、奥深いが、その一つに約50年前から非営利組織にも営利組織と同様に「経営」という発想が必要だと主張し、その具体的なあり方を研究したことがある。その成果は91年に日本語版が発行された『非営利組織の経営』(ダイヤモンド社、上田惇生・田代正美訳)にまとめられているが、そこには「目からウロコ」的なメッセージがあふれている。同書では「顧客」「商品」「市場」「交換」など、それまで企業経営の世界特有の用語と思われていた言葉を非営利活動の世界に応用し、私たちに組織運営の革新をうながしている。


 その中でも、「顧客」に対する考察は秀逸だ。非営利活動で「顧客」と言えば、それぞれの活動でサービスを提供する対象者を想定するのが一般的だろう。しかしドラッカー氏は、私たちはボランティアや寄付者などの支援者に対しても提供できるものを持っており、そこで支援者を「第二の顧客」ととらえ、それぞれが求めているものを意識しながら、支援者集めとその維持に努めるべきだと主張した。


 たとえばボランティアの応援を求める場合、応援を求める立場から応援する立場に提供できるものがある…といわれてもピンとこないかもしれない。これは、「自分をいかせる場がほしい」というボランティア志願者にとって、その人の能力が生きるプログラムを紹介できれば、これは応援を受ける側が生きがいの場を提供していることになる、ということだ。 


 私たちが活動の対象とする人たちに対して抱くのは「共感」だが、上記の見方を踏まえれば、支援者には活動に共感してもらう関係だけでなく、一種の「交換」も意識するべきだということにもなる。


●市民活動をどこまでするか? 市民活動などの自発的取り組みでは「ここまですれば良い」という基準がない。企業なら損が出ない範囲、行政なら全体(議会)が合意した範囲といった基準があり、その範囲で取り組まれる。しかし市民活動などには、こうした基準はなく、「どこまでするか」はそれぞれが自由に決められる。しかし、これは「どこまでするか」を自ら決めねばならないことをも意味する。


 そこで相手のつらさなどに気づき見て見ぬふりができないと、「放ってはおけない」となりやすい。しかしそれは結局、活動に無理を生じさせやすく、この無理が重なれば、疲れてしまう。そこで、やむなく休んだりペースを落とすと「だからボランティアは当てにならない」などといって批判されることもある。特にその批判が現実と格闘する当事者からの訴えであったりすると「もっと頑張らねば」と思い直すことにもなる。するとさらに無理を重ね、最終的に疲れ果て、燃え尽きてしまう。活動に真剣に取り組み、責任感の強い人ほど、こうした事態に自らを追い込みやすい。


 このような事態を招かないためには、問題を自分だけで抱え込まず、仲間・支援者を広く募ることが大切だ。「第2の顧客」を確保するとは、懸命に活動に取り組んだ結果、燃え尽きてしまったといった事態を避け、活動を個人の善意から社会的な広がりのあるものに高めることでもあるのだ。


●同志と顧客のあいだで

 もっとも、ボランティアスタッフや会員とは仲間、同志でもあるだけに、「顧客」という形で突き放してとらえることに違和感を感じる人もいるだろう。実際、それはそれで大切な視点だ。大阪ボランティア協会では、ボランティアを「ボランティアさん」と「さん」づけで呼んでいないが、これも協会を支える仲間同士の間で主客の関係を作るのはおかしいという考えからだ。


 ただし、逆に「仲間なのだから」という感覚が強すぎることで身内感覚が強い閉鎖的な関係になり、支援者を広げにくくなることも事実だ。また、なんでも「仲間だから」で片付けてしまうと、立場の違いがあいまいになり、たとえば情報が得にくいボランティアの立場をふまえず事務局主導で物事を決めてしまう、といった事態をまねくこともある。「顧客」として意識することは、こうした問題を回避しやすくする。


 そして、もう一つ。支援者を「顧客」ととらえることで、支援を受けること、依存することを過度に臆さない姿勢がとれるという点も重要だ。


 元来、支援を受けることは、そう楽しいことではない。それどころか、避けたいと考える場合も多い。しかし、支援を受ける立場からも何か提供できることがあるのではないかと考えることで、この抵抗感を越え、幅広く支援者を募ることができるようになるのだ。


●依存する力をもつ

 このように考えると、うまく支援を受け、他者に頼るには、一種の「力」が必要なことに気づく。人に頼るわずらわしさを避け、何でも自分(たち)だけで片付けてしまおうとするのではなく、自分(たち)だけでは無理だと思ったら、臆せず周囲にSOSを出せる力、いわば「依存力」だ。支援者が気持ちよく支援できる体制を整備すること、そして多様な支援者が関わっても組織や事業がぶれない「心棒」のある組織となること。そのためには中核的な価値観やルールをしっかりと確立することも大切だ。その結果、とてもオープンで、様々な人が関わりやすい雰囲気をかもしだすことになるだろう。


 そしてこの「依存力」は、組織運営だけでなく、個人の生き方においても大切だ。一人で問題を抱え込み、周囲に頼れないままでは、誰も分かってくれないと孤独を呪うばかりの暮らしとなってしまう。私たちにも「ここからは周囲に頼ろう」と思える「力」が必要だ。個人の場合、組織との対比で言えば、他者の世話になりつつも、「私は私」というある種の居直りが大切だということになろうか。


 多少とも支援者に依存するのが非営利活動だし、私たちも一人の力だけで暮らせるものではない。そこで、周りに支援者を得ることを積極的にとらえ、「依存力」を磨くとともに、依存し合いやすい、助け合いやすい社会を築くこと。これを今年の目標にするのは、いかがだろうか。

【Volo(ウォロ)2006年1・2月号:掲載】

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