ボラ協のオピニオン―V時評―

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ネットにおける市民創出メディア(CGM)のチカラ

編集委員吐山 継彦
●ブログ登場—「日記」スタイルの情報発信
 最近、新聞・雑誌やテレビの報道を見ていると、インターネットの負の部分についてのニュースがやたらに多い。
 父親殺しをインターネットで他人に依頼した男の話とか、自殺サイトを通じての集団自殺とか、ポルノサイト、死体サイトやネット依存症の存在など、「とにかく、インターネットのような碌でもないものは健全な市民社会の敵である」という印象を与えるものだ。
 今、ネットの世界は、善も悪も功も拙も大も小も、あらゆることが渦巻きのように起こり、まさに情報の坩堝と化している。それゆえに、インターネットとあまりかかわりを持たない人びとにとっては、魑魅魍魎の跋扈する世界のように映るのだろう。しかし、もちろん、どの世界にも悪いこともあれば良いこともある。
 ぼくは編集者、ライターという仕事柄、Eメールの使用やサイトの検索が不可欠なので、よくインターネットを利用するほうだと思うが、それでも最近のネットの変化、進化にはついていけないほど、新しいコンセプトやサービスが出てきている。
 ここ2年ほどのもっとも大きな変化は、なんといってもブログ(web log)の出現と普及だろう。
 ブログは、かっこいいホームページをつくりたいという願望はあっても、技術的に、また時間的にとても無理なので自分には到底できないと考えていた多くの人びとを中心に、またたく間にネットの世界を席巻してしまった。HP作成ソフトさえ必要としない簡易サイトは、自分の意見や感情、日々の出来事などを開陳する「日記」スタイルを中心に、多くの人びとを魅了した。ワープロソフトさえ使えたら、フツーの市民でも社会へ向かって情報発信が可能となったことの意義はいくら強調してもしすぎることはないだろう。
 ガリ版(謄写版印刷)でチラシをつくったり、通信を発行していた昔人間にはちょっと大げさに言えば驚天動地の大変動だった。しかも、制作コスト、配信コストがほとんどタダというのが最大の特長である。だから、今多いのは、購読の登録をしてくれた読者にメールマガジンという形式で情報発信し、その情報をブログに上げて、不特定多数の人に読んでもらう、というスタイルである。
 養成講座の修了生と一緒に発行している「市民プロデューサー通信」と「市民ライター通信」もそのスタイルをとっており、メールマガジンに掲載した記事(作品)を順次ブログに上げている。記事はみんなで書いているが、ブログはどちらも修了生のボランタリーな意志で始められたものである。後者などは、メルマガの定期購読者数はまだ300人ほどに過ぎないが、毎日ブログを覗いてくれる人たちが80人ぐらいおられるから、月にするとのべ2400人の読者に読んでもらっていることになる。
 インターネットの進化のスピードは本当にものすごく、次々と新しいサービスが登場している。それらのうち今盛んに勢力を伸ばしているのがSNSとRSSである。
 前者はソーシャル・ネットワーキング・サービス(システム)と言い、従来型の掲示板ではなく、セミ・クローズドで、同じ興味や関心をもつ人たちの社交サイトのようなものだ。そして、RSSというのは、自分がよく訪れるサイトの更新情報等を、デスクトップなどに表示してくれるサービスで、わざわざこちらから見に行かなくても情報を向こうからもってきてくれる。

●個人が発信する情報の重要性
 さて、このような個人(市民)が発信するさまざまな形の情報メディアは、総称的にCGM(Consumer Generated Media)、つまり「消費者作成メディア」と呼ばれている。「情報消費者である個人が作り出しているメディア」という意味で、ネット業界やマーケティング業界が今これらに注目している。なぜなら、彼(彼女)らが発信する情報の中に、ビジネスにとって価値のあるものが多数存在するからである。
 一つ例を出すと、購読者数1万人を超える人気メールマガジンの書き手が、記事の中である商品、例えばカップラーメンの新商品をひどくけなしたとしよう。即席ラーメン会社の損失は相当なものになるかもしれない。反対に、有名なブログの書き手が、自分の日記で最近観たある映画を絶賛したとしたら、その影響もまたはかり知れないだろう。
 ことほど左様に、今個人が発信するメディアの重要性、影響力が増大している。ある個人発のブログが、今回の耐震偽装マンション事件の発覚に際して大きな影響があったといわれているが、確かにそのブログを読んでいると、マスコミが政治家やスポンサーに遠慮して書けない情報や裏情報を教えてくれている。
 そんな状況の中で、ぼくは勝手に、「Consumer=消費者」を「Citizen=市民」と読み替え、CGMのことを市民創出メディア(Citizen Generated Media)と呼んでいる。そしてこのメディアは、デジタルばかりではなく、アナログにも当てはまるのではないかと考えている。つまり、デジタルなメディアばかりではなく、本誌『Volo』のような市民が創り出しているアナログな紙媒体もすべて「市民創出メディア」と呼ぶことができると思うのだ。
 前出のブログは「きっこのブログ」というのだが、2月9日にサイトを覗いてみて驚いた。例のライブドア事件において、沖縄で自殺した野口さんの身内の方がきっこさんにメールでアクセスして来られたようなのだ。そして、自殺したとはとうてい思えないので、真相究明に尽力して欲しい、ということらしく、沖縄県警やマスコミの対応に不信感を募らせている様子が、メール発信者の許可を得て公開されている。また、10日の記事では、ヒューザーの物件「グランドステージ川崎大師」の元住民のメールが掲載されている。内容は、ある引越し業者とヒューザーのセコイ癒着疑惑についてである。
 ここに見られるのは、警察や行政、マスコミなど、権力・権威を信頼できないフツーの市民が、CGMを通してフツーの市民に助力を求めるという図式である。これはとても新しいトレンドではないかと思われる。「きっこのブログ」の武器は、当事者からの貴重な情報と、それを発信できるメディアと何万(何十万?)という読者だけである。
 しかし実は、「きっこのブログ」についてはインターネットでキナ臭い噂も流れている。同ブログは、反小泉陣営の複数のマスコミ関係者「チームきっこ」によって運営されているというのである。ぼくには真偽のほどは分からないが、今確実に問われているのは市民のインターネット・リテラシーであり、情報リテラシーであろう。
 とは言うものの、これからはますます、従来の新聞やテレビといったマスメディアと市民創出メディアとの格差が縮まっていくだろう。相対的にマスコミの影響力は減じる方向に向かい、CGMは影響力を増すはずだ。その流れを促進しているのが、現在の驚異的なインターネットの技術革新のスピードなのである。

【Volo(ウォロ)2006年3月号:掲載】

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