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団塊世代と二ューエイジング ~高齢前助走のおすすめ

大阪ボランティア協会 理事長岡本 榮一
 今年は、団塊世代の退職がはじまる年である。団塊世代が話題になるのは、この約1千万人といわれる人たちの大半が、今年から、おおきな塊になって退職しはじめ、さらに20年から30年、第3の人生を生きねばならないことからきている。

■団塊世代と「ニューエイジング」
 このような団塊世代の出現は、第2次世界大戦を経験し、高齢化社会を迎えた国々には多かれ少なかれ共通する。日本だけではない。トーレス・ギル(F.A.Torres.Gill)の見解を参考にしながら、この団塊世代が抱える「時代」と「生き方」を考えてみたい(*)。
 彼は、人口の中に次第に高齢者がその数を占めはじめ、あらゆる面で大きな問題となる90年代以降を「ニューエイジング」とよぶ。この時代こそ、団塊(ベビーブーマー)世代と深くかかわる時代であり、この時代が抱える課題は、「世代間対立」「多様性」「長期性」の3つであるという。
 誤解をおそれないで要約すると、「世代間対立」とは、医療や年金など、若い世代が支えるという世代間協力やサポートの仕組みが、若い世代の負担過剰になって、既存の社会システムが次第に崩れていく社会である。「多様性」というのは、高齢化が家族構造やライフスタイルの多様化、職業や経済的な側面での多様化などをさす。最後の「長期性」であるが、それは先にのべたニューエイジングが引きおこす年金や医療や介護などのサービスの長期化である。
 ギルの見解は、日本の団塊世代を社会的に理解するうえでも示唆に富む。日本では、これが社会的に顕在化し始めるのは2020年ごろからか。ピークは2030年ごろから40年代にかけてであろうから、団塊世代の人びとを中心とする世代は、波乱の年月を生き抜かねばならない。では、この3つの見解を、日本の状況に引き寄せてみるとどうなるか。

■階層化・二極化が進む団塊世代
 まず、最初の「世代間対立」であるが、アメリカほどでないにしても、年金や医療負担のみならず、介護についても今以上に負担を強いてくる。全体的に、年金や介護についても”不満“が募り、対立まではいかないにしても、”やっかい者“として世代間排除(exclusion)が進行し、生活困窮者、ホームレス、自殺者の出現が今以上に予測され、”排除の悪循環“が増幅される可能性がある。この問題は政府の所得保障、年金保障などの社会政策の確立と深いかかわりをもつ。
 つぎは「多様性」である。次第にあらゆる分野で高齢者向けの産業が活発化し、衣食住に加えて介護や医療におけるサービスの多様性が進行しよう。仕事や趣味や健康づくり、地域活動やボランティア活動など、いわゆる生き方の多様性を生む。退職年齢でいえば、60歳で退職するといった年齢を”神話化“させる。40歳あたりで退職して、地域活動や国際的な活動に打ちこむ人もいれば、75歳頃まで働き続ける人もいるといった具合である。総じて、若い時から主体的に第3の人生を見据え、再構築して生きようと準備した人と、そうでない人に分かれよう。この多様性に対する課題は、個々人の第3の人生への主体的な生き方にかかわる領域である。
 3つ目の「長期性」は、暗さを生むと同時に明るさをも胚胎する。ニューエイジングの長期化は、ケアを必要とする高齢者の持続的な出現を意味するが、その反対側で元気で創造的な高齢者の出現を必然化させよう。言い換えれば、年金、医療、福祉サービスなどのシステムを長期化させ、負担を増幅させる一方で、医療の発達、ことに”バイオ科学“などの開発や生き方の多様性が、健康な多くの高齢者の出現を後押しし、「介護予防」と連動する。この2つの明暗が現在の老人福祉法などでいう「65歳」という高齢者年齢を「70歳」近くに引き上げることになるかもしれない。

■“高齢前助走”のすすめ
 このように、多様性とか長期化は、社会的・政治的にさまざまな葛藤を生み、若者、高齢者双方に犠牲や負担を強いる反面、人類が経験しなかった”ニューエイジング文化“を創りだし、高齢者の蓄えたキャリアやエネルギーが積極的にいかされる時代を生みだそう。いずれにしてもこの団塊世代社会は、豊かな人たちと貧しい人たちと、老後の生き方を準備した人、しなかった人の階層化という2極化を生むのは間違いない。
 わたしはかって、「“高齢前助走”という“準備”無しには、高齢社会の“ハードル”を難なく越えられないし、豊かな老後はない」との小論を書いたことがある。15年も前である。退職後多くの人は、なぜ「濡れ落ち葉」や「産業廃棄物」などと呼ばれるような状態におかれるのか、といった問題意識からであった。でも、日本人の多くは、欧米人と違って、死ぬ直前まで働こうとする人が多く、総じて退職後のあり方に関心が薄い。
 しかし、述べてきたようにニューエイジングの持つ多様性は、それを変質させよう。それは、その社会が”生き方の意味”を問うてくるからだ。退職後20年~30年という長い第3の人生の時代を各自が予測し、少なくとも40~50歳を過ぎた頃から、いや退職1年前でもいいから、この高齢前助走ともいうべき”準備”をすべきであろう。政府も企業も労組も、そのことにもっと真剣になるべきだ。
 おおむね仕事一本でやってきた人の多くは、退職によって、社会的役割が切断される運命にある。社会的な役割は人間が生きる上で大変重要な事柄である。役割獲得の一つの契機は、地域社会のグループとかNPOなど、団体への所属である。所属は仲間や社会と繋がる足場でもある。所属がないのは肩書きのない名刺と同じ。役割はその人のキャリアを生かし生きがいの手段であるから、退職して孤立し、何もすることが無いのは残酷そのものだ。
 若いときから、職場だけでなく地域社会とのつながりを作ってきた人は、すでに退職後に新たな地域社会関係を創造できる手がかりを手にしている。高齢前助走というのは、退職後を豊かに生きるための”黄金“の備えである。

(*)トーレス・ギルの見解は、安立清史ほか編『ニューエイジングー 
  日米の挑戦と課題』九州大学出版会刊、2001年を参照。

【Volo(ウォロ)2007年1・2月号:掲載】

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