ボラ協のオピニオン―V時評―

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安易な公務員叩き、ちょっと待った

編集委員早瀬 昇
■「年金記録漂流」で再び公務員批判
 社会保険庁での仕事のずさんさには、情けなさを通り越して、あきれはててしまう。今回の事態は、日本の行政史上、最悪の不祥事の一つといっても過言ではないだろう。

 そして、今回のような事態を受けて、同庁職員はもとより、公務員全体とその労働組合への批判が、また高まっている。「親方日の丸」「ぬるま湯体質」「お役所仕事」など、公務員の仕事振りを批判する言葉はメディアをにぎわし、その立場を守ってきた労働組合は、自分たちのことしか考えない利権集団のごとく批判にさらされている。

 確かに、今回の事態を民間企業が起こしていたら、取引停止はもちろんのこと、損害賠償請求を受ける可能性も高く、会社が倒産し職員が路頭に迷いかねないほどの深刻な事態だ。社会保険庁職員の労働組合自体が、相談業務対応のための残業や休日勤務を積極的に受け入れる方針を発表したが、当然のことといわざるをえない。

 こうした不信感の高まりでいえば、少し前にもその「厚遇」が問題になったことがあった。この場合、働く側だけでなく雇用者側にも責任があり、首長や議員の責任も問われるべきだが、その首長も議員も公務員なのだから、結局、同じ穴のムジナというわけで、総じて公務員不信が高まった。

■公務員叩きの構造
 1970年代頃には「政治三流、経済二流、官僚一流」という言葉さえあったようだが、今や公務員をネガティブに評価する人が少なくない。昨年7月に人事院が発表した意識調査でも、国家公務員に対して、(1)「信頼感を持つ」11%、(2)「全般的に信頼感を持つが、職員の一部に持っていない」57%、(3)「職員の一部には信頼感をもつが、全般的には持っていない」23%、(4)「信頼感を持っていない」5%という回答だった。これは、(1)(2)を足して「7割近くが全般的に信頼している」と見る見方もあろうが、(2)(3)(4)を足して「8割以上が多少とも不信感を感じている」とも読める。

 こうした不信の背景には、「企業で働く者は地球規模での競争が進む厳しい環境に置かれているのに、公務員は立場も所得も保障されている」→「“公僕”なのに、納税者より安泰な暮らしをしているのはけしからん」という素朴な感情が、まずあるだろう。ここに、公務員が国民から託されているさまざまな権限(公権力)を行使する立場にあることへの反発が重なることも多く、意識のねじれも入り込みやすい。

 また、競争による切磋琢磨で効率化が進みやすい企業やNPOに対し、行政の場合、一地域に一つの地方政府しかない独占的な立場にあり、競争相手がない分、非効率が温存されやすいという見方もある。

 そしてこの点は、国鉄、電電公社に始まって、さまざまな分野で大規模に進む「民営化」の理論的根拠でもある。漠然とした不信感を基盤に、社会のシステムを大きく変革する動きが進んだわけである。

■「民営化推進」「公務員叩き」の結果
 その結果、何が起こったか。

 日本の公務員の人口当たりの数は、もともと先進国の中で少ない方だったが、自治体の財政赤字も手伝って職員削減と民営化が急激に進み、その数はさらに少なくなっている。特にその差は地方公務員で顕著で、人口千人あたりの地方公務員の数は、アメリカ64人、ドイツ44人、フランス37人、イギリス35人に対して、日本では24人に過ぎない(総務省ホームページから)。

 また公務員の削減は、行政による直接サービスを縮小し、「民間活力」を活用する施策として具体化した。行政の監督が強かった社会福祉法人だけでなく、企業やNPOにも参入を認めた介護保険制度の開始や、「公の施設」の民間運営を大規模に進めた指定管理者制度の導入は、私たちの暮らしに大きな影響を与えている。

 その評価は、そう簡単ではない。しかし、1998年の建築基準法改正で建築確認を民間に開放したことが先の耐震偽装事件の背景となったと言われるように、改革が負の側面を生み出していることも見過ごすわけにはいかない。

 その上、過剰な公務員叩きで、公務員の意欲が下がっているとの指摘も気になる。「全体の奉仕者」に優秀な人材が集まらないのは結果として私たちにとってマイナスだが、中央官庁などでは勤めて数年後に企業などに転出する職員が後を絶たないと言うのだ。

 阪神・淡路大震災の際、自らも被災した公務員の大半が役所に出勤し、復興に向けて懸命の努力を続けた。しかし、極度のストレスを抱えた住民の中には、不満の矛先を公務員に向け、役所の窓口で執拗に非難を続ける姿もあった。その後、公務員の中にPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しむ人が多発したのだが、これも大変不幸な関係だと思う。

■公務員に対する新たな見方
 こうした状況を克服するには、公務員を「公僕」、つまり「公のしもべ」とする見方を変える必要があると思う。確かに公務員のオーナーは納税者である住民だが、公務員もまた納税者であり、それに一般住民と同様、労働者としての人権を保障されなければならない存在でもあるからだ。

 では、どのような見方をすればよいのか。それは「NPOにおける会員と専従職員の関係」に対応するものとして、住民と公務員の関係を考えるということだ。

 もともと、自治とは住民自らがするべき仕事だ。しかし、住民がそれぞれ仕事を持ちながら、自治に関わる役割も担うことは容易ではない。特に自治体の役割(その中には税を介する所得再分配も含めた「助けあい」の要素も多い)が大規模化し高度化すると、専従者である公務員が必要になってくる。これはボランティアだけで運営していたグループの活動が発展する中で専従スタッフを確保する場合と同様だ。

 そしてここで重要なことは、NPOにおける会員と専従職員の関係と同様に、公務員と住民の関係も、共通の目標(NPOの場合、使命の実現。自治体の場合、住民による自治的な共同体運営)を持つものだということだ。住民が公務員から一方的にサービス提供を受けるのではなく、専従と非専従の立場の違いはありつつ、共に協働する関係が必要なのだ。

 なお、公務員に関わる問題は、その行動基準を定める首長と決裁する議員に直接の責任があるが、本来的には住民に関わる問題だ。そこで、公務員の労働条件などは、首長や議会と職員の間だけで話し合って済ますのではなく、住民に広く情報公開されていなければならない。自治的な協働の基本は情報公開にあるし、そこで不信感が生じないことこそ、公務員と住民の新たな関係を築く基礎だと思う。

【Volo(ウォロ)2007年7・8月号:掲載】

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