ボラ協のオピニオン―V時評―

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参議院選挙のあとで

編集委員磯辺 康子
■参議院探検
 7月の参院選は、自民党の惨敗に終わった。参議院で民主党が第一党になり、今後の国会運営にさまざまな影響が出てくるといわれている。

 しかし、「参議院」という存在自体、どうもよく分からない部分が多い。衆議院以上にどこか遠い感じがする。「衆議院のカーボンコピー」と揶揄され続け、「参議院って本当に必要なの?」という疑問を持つ人も多い。社会の授業で習って覚えていることといえば、「衆議院の優越」。要するに「衆議院のほうが偉い」ということだった。

 そこで、自分の目でその存在を確かめてみようと、選挙期間中、参議院の探検に出掛けた。東京都千代田区永田町一丁目。そこに国会議事堂がある。真ん中の塔を境に左右対称で、向かって右が参議院、左が衆議院だ。

 とても奇妙なのだが、現在、衆議院のほうは自由に見学できない。アメリカの同時多発テロ以降、議員の紹介がなければ入れない。傍聴にも議員の紹介が要る。一方で、参議院は特別な行事の日などを除き、だれでも見学できる。月曜から金曜の午前9時から午後4時まで、1時間ごとに見学ツアーがある。予約もいらない。傍聴も、10歳以上なら可能。議事堂の中は右と左、つまり参議院と衆議院の廊下はつながっているのに、対応は大きく違う。

 さて探検の当日。選挙中でセンセイ方は全国に散り、議事堂内は閑散としていた。一緒に見学したグループは、カップルも含めて若い人が数人。衛視さんの案内で、赤いじゅうたんの上を進んでいく。じゅうたんの値段から長さ、掃除の方法まで、衛視さんの説明はとても詳しい。参議院のことだけでなく、建設されて71年になる議事堂全体についていろいろと解説してくれる。

 見学のメインは、参議院の本会議場だ。参議院と衆議院の議場は、まったく同じ広さになっている。しかし、その造りは異なる。

 参議院にしかないのが、天皇陛下の席。議長席の背後にあり、議場全体を見渡すように立派な椅子が置かれている。参議院がかつて「貴族院」だったことをあらためて思い起こす。この席は、国会の開会式のときに天皇陛下が座る。開会式は、衆参両院の議員が参議院の議場に集まって行われる。当然、席が足りなくなり、通路にも議員があふれる。

 席の数について、面白い話を聞いた。参議院の議場は、242人の定数に対して、460もの席がある。貴族院のころの名残だそうだが、当然、全員が出席しても空席が目立つ。衆議院の定数は480人で、ぎちぎちに座っているから、大きな違いだ。そのためか、参議院の事務局には「議員がさぼっているのではないか」と苦情が寄せられることもあるという。

 議事堂の真ん中にある塔の下には、中央玄関、中央広間、天皇が休憩する御休所(ごきゅうしょ)などがある。中央玄関は「開かずの扉」といわれ、天皇陛下が来るときなど、特別の日にしか使われない。議員は普段、参議院、衆議院それぞれの出入り口を使う。塔の下の空間は、衆参両院のちょうど真ん中に位置するが、参議院の管轄になっている。それにしても、国会にはいろいろと細かい決まりごとがあるものだ、と感心する。

■本来の役割
 同時多発テロ以降、衆議院だけが一般見学を受け入れなくなったと聞くと、「参議院議員は狙われてもいいってこと?」などと余計な詮索をしてしまうが、双方の事務局は「それぞれが決めることなので」というだけで、理由はよく分からない。

 ただ、そうした違いを知るたびに、衆議院と参議院は別々の組織なのだ、と強く感じさせられる。同じ国会内で働いていながら、事務局の職員の採用も別々。衛視もそれぞれに採用され、制服が少し違っている。

 そういう細かいことは別にしても、参議院には本来、衆議院とは違う役割というものがある。いつ解散があるか分からない衆議院と違い、参議院には解散がなく、任期も6年と長い(衆議院は4年)。長い任期は、国の将来を見据え、大局的な政治課題に向き合うための時間だ。「再考の府」「良識の府」といわれるゆえんは、そこにある。

 しかし、選挙のたび、各政党は「人寄せ」のための有名人やタレントを次々に立候補させる。今回もそうだった。プロゴルファーの父、元アナウンサー、元Jリーガー…。「良識の府」と呼ぶには、実態が伴っていない。これでは、「不要論」が出てきてもおかしくない。

 「不要論」は、最近に始まったことではない。今回、参議院のホームページを見て知ったのだが、「参議院改革の歩み」という項目を見ると、議論は延々と続いている。今から36年も前、議長の私的諮問機関「参議院問題懇談会」が指摘した参議院の問題点には、「いわば第二衆議院に堕し、その独自性を失っている」という記述がすでにあった。「なんだ、今の議論と一緒じゃない」と思ってしまうのだ。

 今後の政治の行方を考えるとき、私たちは、自分たちの代表である国会の存在や役割自体をもっと真剣に議論してもいいのではないか、と思う。国会は、いわば究極の市民参画の場。自分たちが選んだ代表者が集まり、みんなの暮らしにかかわる大切なことを決めている場所なのだ。

 東京に行き、高いお金を払ってテーマパークで遊ぶのなら、参議院の見学をしてみてはどうだろうか。1920(大正9)年に着工し、完成まで17年もかかったという壮大な建築物が、タダで見物できる。郵便物を集めるメールシューター、ステンドグラス、ドアノブの3つ以外は、すべて国産材という。美術を学ぶ学生らが彫ったという美しい彫刻、贅を尽くした調度品は、「国会の役割なんてどうでもいい」という人にも、一見の価値がある。

 参院選後の臨時国会が招集された8月7日、議事堂に集う議員たちの笑顔がテレビに映し出されていた。この人たちは、衆院が解散しても、首相が代わっても、自らが国民のために働かなくても、6年の任期が保証されている。それが、参議院議員である。

 6年後の選挙のために、彼らの一言一言を覚えておこう。今後の仕事ぶりを見ていこう。せめて、自分が今回だれに投票したかは、きちんと覚えておきたい。

【Volo(ウォロ)2007年9月号:掲載】

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