ボラ協のオピニオン―V時評―

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やはり「連帯」以外に道はない

編集委員早瀬 昇
■「犯人は派遣社員」の衝撃
 のんびりと休日を楽しめるはずだった日曜日。秋葉原の歩行者天国で、凄惨極まりない事件が起こった。17人を無差別に殺傷し、介抱する人びとまで背後から襲うなど、その凶悪さは許しがたいものだ。わけもなく命を奪われ、傷つけられ、そして突然、大切な人を奪われた人びとの怒りと無念さが胸をつく。どんな背景があったにせよ、その行為は決して正当化できるものではない。
 ただし、容疑者の置かれた状況が明らかになるにつれ、今回の事件を私たちには理解困難な人間による特殊な犯行と例外視できない背景も浮かび上がってきた。
 中学時代は勉強もスポーツもよくこなしたという容疑者は、県内屈指の進学校に入学後、挫折。容疑者によるとみられる携帯サイトの掲示板への書き込みで「県内トップの進学校に入って、あとはずっとビリ/高校出てから8年、負けっぱなしの人生」と綴る暮らしに陥ってしまう。派遣社員として3社で働き、一度は正社員にもなりながら5か月で退社。そして昨年11月から再び派遣社員として働き始めて半年後。大規模な解雇予告に絶望感を募らせたのか、6月8日の惨劇を起こしてしまった。
 この間に容疑者が掲示板に書き込んだ内容が報道で知られるにつれ、彼の凶行は論外だが、その絶望感には共感するという若者が少なくないことが、他ならぬネットへの書き込みなどから伝わってきた。数10万件という過去に例のない書き込みが寄せられているからだ。

■増加する派遣社員の過酷な現実
 実際、容疑者に似た境遇にある若者は、今や膨大な数に上っている。労働者派遣法が1986年に施行された当初は派遣労働は専門性の伴う13業務だけに限定され、「残業を避け専門技能を活かして働ける」といったキャッチコピーで、女性専門職の新しい働き方として普及していった。
 しかし、数度の改定を経て99年に大幅に規制が緩和された頃から、専門技能を持たない若者にも広がってきた。
 その数も年々増加し、昨年12月に厚生労働省が発表した調査では、06年度の派遣労働者は99年度の3倍にあたる321万人に達している。しかもこのうち234万人は派遣会社が常用雇用しない登録型。賃金の単価は一般のアルバイトより多少高いものの、派遣先の紹介がなければ収入ゼロ。日雇い派遣など極端に不安定な労働条件を強いられることになる。
 NPO法人「派遣労働ネットワーク」の代表も務める中野麻美弁護士は、「業者間の『商取引契約』で」「派遣労働者の雇用や労働条件を実質的に決める」中で、労働条件のダンピングが進む実態を鋭く告発している。
 こうした中、今から80年前の1929年に発刊されたプロレタリア文学の代表的小説、小林多喜二の『蟹工船』(※)が売れている。例年5千部程度なのが、今年1月に毎日新聞の対談で紹介されたのをきっかけに爆発的に売れ始め6月23日の報道では既に35万部を越えたという。
 人間が虫けらのごとく扱われる『蟹工船』の世界に自分の境遇を重ね合わせる人びと。その絶望感が、今回の事件の背後にはある。

■絶望的状況を切り拓く改革運動への参加
 「自分も、犯人になっていたかもしれない」こうした事情もあって、そう語る若者も少なくない。6月17日発売の週刊朝日では「私たちと犯人の同じところ、違うところ」というタイトルで、「フリーター」「派遣社員」の緊急座談会が掲載された。その中で、「僕は皆殺し願望も自殺願望も経験があるので、気持ちは分かります」と話す青年が登場していた。20日に放送されたNHKスペシャル「追跡・秋葉原通り魔事件」でも、「解雇された経験者しか、その時の気持ちは分からない」と、その厳しい体験を語る若者がいた。
 「これから…」というはずの若者が絶望の淵に追い込まれる社会にあって、この状況を打開するにはどうしたらよいのだろうか。問題の深刻さを前に立ち尽くしてしまいそうになるが、実は上記の2つの報道の中には、事態の打開に向けたヒントも示されていた。
 週刊朝日では、容疑者の「気持ちはわかる」と答えていた若者が「いまは組合をつくって会社と闘ったりして、不満のある社会を変える運動がストレス発散にもなってます」と話し、NHKでも同じ立場の者同士で労働条件改善の運動を始めだしたことで、社会とのつながりを回復し始めた若者の姿が紹介されていた。「ガテン系連帯」「フリーター全般労組」「派遣ユニオン」など、若者たちが連帯して運動を進める動きが各地で広がっている。
 同じ境遇にあり、同じ志を抱く仲間とともに、社会的意義のある役割を担うことで、絶望的状況を切り拓く力が内側からわきあがってくる。やはり、「連帯」こそが、事態を打開する道なのだ。

■幅広く共有されている不安感を基点に
 「それは夢想的な理想論だ。ネットで辛さを訴えても
『死ね』などと書き込まれていた容疑者には、『連帯』などと言っても空しさと反発を高めただけだ」。そんな批判もあろう。
 しかし、今回の事件に対するネット掲示板への膨大な書き込みや報道での論調から見えてくるのは、実は「転落への不安感」を共有する人びとが幅広く存在するということだ。「他人事ではない」と感じる人たちが、しかしバラバラに暮らしている。
 だから問題は、辛さを共有する仲間を得、運動の効果的な進め方を話し合い、運動自体の拠点となる場を、さまざまな形で築くことだろう。若い世代に働きかける場合も、自分たちの暮らし自体が危ういという状況にある中、車イスの押し方などを学ぶだけの福祉教育ではなく、自分たちの社会の課題に気づき、それを解決する主体となれるような視点で、学習プログラムが設計されなければならない。本誌の昨年12月号で紹介したように、当初はいわば渋々動き出した自殺遺児たちが、自殺対策基本法を生み出す中核的な当事者となっていった事例なども、広く共有されることが必要だ。
 バラバラな人びとが「自傷他害」に陥らないためには、やはり「連帯」しか道はないのだと思う。

参考:中野麻美・著、岩波新書『労働ダンピング』

※『マンガ蟹工船』(作画/ 藤生ゴオ)が無料で読むことができる。
白樺文学館・多喜二ライブラリー

【Volo(ウォロ)2008年7・8月号:掲載】

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