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金融危機と国民総幸福(GNH)

編集委員増田 宏幸
 米国発の金融危機は、自分の生活に影響があるのか、ないのか。あるとしたら、どんな形で降りかかってくるのか。株取引をしていなくても、先が見えない不安を感じている人は多いだろう。経済情勢が極度に悪化すれば雇用や賃金水準を落ち込ませ、失業などによって暮らしの基盤を壊される場合もある。
 地道に物を作り、適正な価格で売買し、サービスを提供する人が世界中にいて、その営みは何も変わらない。ところがある日、株価という得体の知れない数字が下落しただけで、多くの人の暮らしが危機に瀕する。これはどう考えたっておかしい。人類の健康度を、もっと適切に表せる指標はないものだろうか。例えば「GNH(国民総幸福)」のように。

■ヒマラヤの王国・ブータンの取り組み
 GNHとはGross National Happinessの略で、よく見聞きするGDP(国内総生産)のP=Productを「幸福(度、量)」に置き換えたものだ。「GNH研究所」のサイトによると、この考えは1976年12月、スリランカで開かれた第5回非同盟諸国会議の記者会見で、当時21歳だったヒマラヤの王国・ブータンのワンチュク国王が「GNHはGDPより重要だ」と述べた言葉から広がった。
 環境ジャーナリストの枝廣淳子さんが日経新聞サイトに載せた解説(07年9月12日)が分かりやすい。それによると、ブータンは60年代~70年代初めに先進国の経験やモデルを研究し、「経済発展は南北対立や貧困問題、環境破壊、文化の喪失につながり、必ずしも幸せにつながるとは限らない」という結論に達し、GDPではなく人々の幸せの増大を求めるGNHの考えを打ち出したという。
 枝廣さんはGPI(Genuine Progress Indicator=真の進歩指標)も紹介している。医療費の増大や乱開発すら総量に含まれるGDPに対し、GPIは家庭やボランティアなど幸せをつくり出す活動の経済的貢献をプラスし、逆に犯罪や公害など幸せや進歩につながらない活動に伴って動いたお金や、健康や環境への被害額を引いた数値だという。
 GPIに取り組んでいる団体が50年代以降の米国のGDPとGPIを比較したグラフを見ると、70年ごろまでは両者が平行して伸びているのに対し、その後はGDPだけが上昇している。GPIは横ばいで、経済指標が幸福感や豊かさの実感とリンクしていないことがよく分かる。まして株価など、人間の活動の一断面を示すに過ぎない。枝廣さんは「GDPを追い求めるような経済政策や国づくりをしていていいのでしょうか?」と問いかける。

■世界大戦を招いた大恐慌
 とはいえ、降りかかる火の粉は払わねばならない。米政府や各国は緊急対策を打ち出したが、10月下旬段階では効果を上げたとは言えない状況だ。危機が当面回避されたとしても、ただちに経済情勢が好転するわけではない。多くの専門家が今後の世界的な景気減速を予想しているし、これからが本当の危機だと指摘する声もある。
 1929年10月、ニューヨーク株式市場で起きた株価暴落は、その後の世界恐慌を招いた。当時と今回とでは各国の対応スピードと協調に雲泥の差があり、銀行が連鎖倒産するような事態にはならないだろう。それでも忘れてならないのは、世界恐慌がナチズム、ファシズムを台頭させ、日本でも5・15事件など軍部の暴走を引き起こしたことだ。
 同じようなことが起こるとは考えられないが、変化は半年や1年で現れるわけではない。第2次世界大戦が始まったのは、株暴落からちょうど10年後の1939年9月だった。当時、10年後の世界大戦を予見した人はいなかっただろうし、今、2018年の世界を正確に見通せる人もいないだろう。苦境にある米自動車大手の経営破綻など実体経済に顕著な影響が出てくれば、暴落で直接の損害を被らなかった人も動揺する。不安は更に消費を抑制し、米国市場に依存する各国も大きく揺さぶられるに違いない。世界大戦はなくても、地域紛争の緊張は高まるだろう。

■市民セクターの力で制度づくりを
 金融危機と並行して、日本ではNPO法施行から最初の10年が終わろうとしている。次の10年、不安定化するかもしれない社会で、市民活動にはどんな役割が求められるだろうか。
 大きな柱は「制度づくり」への関与だと思う。単体のNPOでは対処しきれない問題や、対症療法的な支援では解決につながらない課題について、共通の問題意識を持つ個人・団体や、場合によっては市民活動セクター全体が動いて制度化による解決を働きかける。連携を強めるにはハブの役割を果たす存在も必要となる。不要なダム建設や補助金などに無駄な税金が使われないよう、政治に物申すことも大切だ。
 結局のところ市民活動の充実は、GNHの増大と同義ということになる。セーフティーネットや拠り所がある安心感、一人一人の自己決定権が尊重され、少数意見が受け入れられる信頼感は、経済指標とは別の価値だ。この社会的な富に目を向ければ、たとえ景気後退でGDPがマイナスになったとしても、幸福量が減少したと思わずにすむのではないだろうか。
 与信という言葉があるように、考えてみれば経済も信用・信頼で成り立っている。信頼のベースは人間と、人間の活動がもたらす手応えのある実体だ。経済が人から離れるとバブルが生まれ、疑心暗鬼とともに崩壊する。その傷は無関係な人も巻き込んで相当に大きく、治るまでには長い時間がかかる。痛みを和らげるには、温かな看護の手が必要だ。次の10年、市民活動は大忙しとなるかもしれない。

【Volo(ウォロ)2008年11月号:掲載】

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