ボラ協のオピニオン―V時評―

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ワーク・ライフ・バランスを考える

大阪ボランティア協会 理事長岡本 榮一
 こんな厳しい新年を迎えようとは誰が想像できたであろうか。昨年秋、世界金融恐慌が発生した。今、大企業でさえ人員削減にのりだしはじめている。こういう時世にあって、何ゆえに「ワーク・ライフ・バランス」か、と言われそうであるが、新しい労働とか生活のありかた― 健康で文化的な生活を営む権利―を考える意味で、あえてこの問題をとりあげたい。

■灰色の時間泥棒と「モモ」の出現
 『モモ』という童話がある。これは、ミヒャル・エンデという人の作で、灰色の男たち(時間泥棒)と主人公の「モモ」のやりとりを主題にしている。灰色の男たちの影響を受けた勤労者は、「時間は貴重だ、時は金だ、時間がない、時間がない」と日ごとにイライラし、怒りっぽくなっていく。そのような勤労者たちが住んでいる町に、自由人の「モモ」がやってくる。そうして、この町の人びとの盗まれた自由時間(の価値)を取り戻そうと灰色の「時間泥棒」に戦いを挑む―そういった物語である。
 日本女子大学の大沢真知子さんの説によれば(※)、日本は仕事中心の「長時間労働文化」の国だそうである。朝早くから夜遅くまで、働きに働いて一生を終える。そういった労働慣行を指している。そういわれれば、われわれは、仕事・仕事で、朝早くから夜遅くまで働き、そのことに何ら疑問も抱かなかった。「モモ」もやってこなかった。その結果、特に団塊世代以上では、家事や子育ては全て妻任せ、その上、地域とのつながりやボランティア活動などとは無縁、趣味にも乏しい人が多いのではなかろうか。
 最近、あちこちで「ワーク・ライフ・バランス」という言葉を聞くようになった。この言葉は、ワーク(労働)とライフ(生活)のバランスをとって多様な生き方のできる社会を目指そう―という意味である。「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」が、07年の12月、政府の肝いりで制定され、「行動指針」もつくられた。

■ワーク・ライフ・バランスとは何か
 このワーク・ライフ・バランスの登場は、日本人のこれまでの労働(ワーク)オンリーの生き方の是正にある。個人が、仕事と生活をバランスよく充実させることによって、企業だけでなく、家庭や地域社会をも活性化しようとするものだ。こうした取り組みにより、企業にとっても有能な人材の確保や育成や定着につながり、結果的に「明日への投資」になるとする。
 「行動指針」では、①就労による経済的自立が可能な社会、②健康で豊かな生活時間が確保できる社会、③多様な働き方、生き方が選択できる社会、の三つを目指すこととし、これらの実現に官民、労使の協力を呼びかけている。細かくは、有給休暇の取得、労働時間の短縮、年金保障などの拡充、フリーターの数の減少、働く女性の出産後の支援のための保育サービスなどの充実、男子の育児休業の推進など、数値目標が設定されている。内閣府に、ワーク・ライフ・バランスのための「推進室」も設置された。

■ワーク・ライフ・バランスの意義とは
 これらのワーク・ライフ・バランス導入の背景には、二つのインセンティヴ(誘因)がある。その一つは、高度経済成長期以来、価値観が大きく変わってきたことがある。「モモ」がいうような時間に追われた労働一本やりの生き方を見直そうということだ。ストレスの問題やうつ病患者の問題、年3万人を超える自殺者の増大なども、多かれ少なかれそれと絡んでいる。
 もう一つは、勤労者の生活の場、すなわち、少子化問題やジエンダ―問題と結びつく「家事(育児など)」の見直しや、障害者や高齢者の孤立などを含む「地域社会のつながりの回復」といった課題との関わりである。そこに、家庭人、地域人となった勤労者の、もう一つの自己実現の場を用意しようとするものだ。
 このようなワーク・ライフ・バランスの考え方は、先にふれた「長時間労働文化」の日本的弊害を是正し、家族や地域社会の世界に勤労者自身を誘い、その場でも新たな価値実現を生み出そうとするものだ。それは、単に企業や勤労者の問題にとどまらず、家庭の再生、地域連帯の再創造につながる、との考えに立つ。
 家庭にも地域にも、やるべき課題はたくさんある。そこには、地域活動、市民活動の器としてのNPOも待っている。そこは、市民として、またボランティアとしての活動の場であり、もう一つの多様な自己実現の場でもある。
 このように見てくると、ワーク・ライフ・バランス施策は、21世紀に向けた素晴らしい提言であるが、これまで日本の政府のやって来た一連の施策は、どれも何か中途半端なように思えてならない。

■ワーク・ライフ・バランスをとりまく課題
 たとえば、このテーマと関係の深いのが「育児・介護休業法」。ところが実際の男性利用者は約1・6%。問題は30%の低い給付金にある。ドイツなどに習って「パパ・クオーター制」(※※)を政府が検討しているが、どれほど本腰を入れるのか。
 スウェーデンやノルウェーなどでは、1年間育児に携わっても、100%から80%給付される保障制度が10年も前から施行されている。日本では、保育所に預けると公的な補助金が支出されているが、専業主婦で子育てをした場合には「在宅育児手当」がない。「労働政策」が「福祉政策」と連動しているようで中途半端なのだ。
 さらに、このワーク・ライフ・バランスと関係する問題に、昨年末から話題が浮上している「非正規労働者」の問題がある。日本では全労働者の3割を非正規労働者が占めている。それにも関わらず、その人たちの多くが雇用保険、年金保険などの保障から除外されている。そんな馬鹿なことがあるか、と思うが本当だ。
 政府も企業も労働組合も何を考えているのか、といいたいところだが、オランダの「フレキシビリティ&セキュリティ法」のような、正規・非正規労働者を対等に扱うような国に早くしたいものだ。分かち合いと支え合いの「経済負担」から逃げてはならない。
 働けるすべての人が、制度的セーフティネットに支えられて、労働市場に参加するだけでなく、ワーク・ライフ・バランスの理念のもと、家庭にも地域にも参加する。そんな多様な生き方が可能な社会こそ、強い社会であり、また希望社会だと思う。

※<「ワーク・ライフ・バランス」について、お勧めする参考図書>
①山口一男他著『論争:日本のワーク・ライフ・バランス』(2008 年:日本経済新聞社)
②大沢真知子著『ワークライフシナジー』(2008 年:岩波書店)、他。
③湯浅誠『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(2008 年・岩波新書)ほか

※※「パパ・クオーター制度」=「クオーター」は「割り当てる」という意味。ドイツやノルウエーで「父親に、育児への参加を一定期間割り当てよう」と取り組んでいる制度。54 週取って給料の80%が支給される。制度導入前は4%だったが、導入後90%になったといわれる。

【Volo(ウォロ)2009年1・2月号:掲載】

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