ボラ協のオピニオン―V時評―

寄付する・会員になる

ボラ協を知る

ボランティアする・募る

学ぶ・深める

寄付が進める信じ合える社会づくり

編集委員早瀬 昇
■「托鉢主義」掲げた児童福祉の父、石井十次
 5月5日は子どもの日だが、今から134年前のこの日に生まれたのが、後に日本の「児童福祉の父」と呼ばれた石井十次(1865(慶応元)年~1914(大正3)年)だ。
 今も大阪市浪速区にある石井記念愛染園などにその名を残す石井は、お遍路さんの子どもを預かったことをきっかけに22歳で岡山に孤児教育会(日本初の児童福祉施設である岡山孤児院の前身)を創設。ペスタロッチやルソーの影響を受け、イギリスの先進施設バーナードホームの実践にも学んだ石井は、その施設運営にあたり「岡山孤児院十二則」と呼ばれる先駆的な運営方針を示した。すなわち…
 ①家族主義(少人数での分舎制)、②委託主義(乳幼児期は里親に委託)、③満腹主義(十分な食事の提供)、④実行主義(大人が子どもの手本を実行)、⑤非体罰主義、⑥宗教主義(神への感謝を重視)、⑦密室教育(褒める時も叱る時も自室に呼び一対一で)、⑧旅行教育(社会体験を重視)、⑨米洗主義(米を洗うように子どもたちの切磋琢磨を何度も繰り返す)、⑩小学教育(幼児期は遊び重視、学習は小学校から)、⑪実業教育(職業訓練と自活の重視)、そして⑫托鉢主義だ。
 最後の「托鉢主義」とは、運営費を一部の篤志家や資産家の支援に頼るのではなく、寄付という行為を通じて多くの人々に事業の意義を理解してもらうことが大切だというもの。一時、基金を作り、その果実による安定経営を考えたが、それは「地に財蓄うこと勿れ」というキリストの教えに背くと考え、臨時の寄付で施設を支えることにしたのだ。実際、1万人を超える賛助員らの寄付などで、現在の貨幣価値で月6千万円もの施設運営費をまかなった時期もある。
 「日本には寄付の文化がない」と訳知り顔で解説されることがある。確かに現代の日本社会は、寄付が活発だとは言いがたい。しかし、明治の時代に広く寄付を募り、その呼びかけに応える多くの人々によって3千人を超える孤児の暮らしが支えられたという事実もあったのである。

■社会を信用するから、寄付を募る!
 その寄付への関心が、今、改めて高まっていると思う。本誌3月号で紹介したように、今年2月、寄付の拡大をめざす日本ファンドレイジング協会(代表理事 堀田力氏)が誕生し、記念フォーラムに全国から360人を超える人々が集う、ということがあったからだ。
 本誌で先月号から「ファンドレイジングが社会を変える」の連載を始めた鵜尾雅隆氏は、この協会の常務理事。その鵜尾氏の講座を聴講する機会があった。寄付が進みにくい現状の課題を共有した後、その克服に取り組む事例を具体的に紹介する内容で、寄付の可能性を実感し参加者が少しずつ元気になっていく、という雰囲気の講座だった。そして、その講座の最後にあった鵜尾氏のまとめは、とても納得のいくものだった。
 「我々は寄付に頼らず、事業収入でやっていく」と言われるNPOがあります。私も事業収入は大切だと思います。しかしNPOに寄付が寄せられるのは、寄付者から信用されているからです。そう考えると、「寄付に頼らない」と宣言することは「社会を信じない」と言っているようで、僕は嫌なんです。逆に言えば、社会を信用することから始まるのが寄付集めだと思います。寄付集めを進めることは、互いに信頼し合う社会づくりを進めることでもあると思うのです。
 その言やよし。寄付集めを、資金不足を補う手段としか考えないなら、寄付をする側の視点が消えてしまう。提供する側と受ける側の協働作業だと寄付をとらえることによって、鵜尾氏の視点が開けてくる。

■「社会を信じられない」という状況の深刻さ
 もっとも、現実は「社会を信じる」状況からはるかに遠く、不安が募る一方だ、という意見もあろう。確かに、かつてはこの国に漠然とあったはずの安心感が急速に失われている。国民生活に関する世論調査でも「日常生活で悩みや不安を感じている」人は91年以降、ほぼ一貫して増加し、91年の46・8%が07年には69・5%にまで増えた。終身雇用が大きく崩れ、不安定な非正規雇用者が増え、社会保障の圧縮も続く。人々のつながりも薄れ、「どうにもならなくなった時、社会や誰かが支えてくれる」という実感を持てなくなってきた。
 ホームレスの自立支援を進める雑誌「ビッグ・イシュー」の近刊、115号~6号に掲載された対談「いま、経済より、生きる意味の不況が深刻」に、以下のような指摘があった。自殺対策支援センター・ライフリンクの代表・清水康之氏と、岩波新書『生きる意味』の著者で文化人類学者の上田紀行氏との対談だが、そこで上田氏は「人間っていうのは絶対に見捨てられる存在じゃないんだという確信が必要だと思う」、(去年、秋葉原で無差別殺人を犯した青年は)「自分は使い捨てで、自分はいてもいなくても社会にはどうでもいいんだ。俺のことケアしてくれる人間なんか誰もいないと言って、突っ込んでしまう」、「信頼感がなくて永続していく文明っていうのはほとんどありえない。信頼感を失ってしまったら人間は生きていけない。社会は崩壊してしまう」と語っている。
 しかし、11年間も自殺者が3万人を超える現実と向き合うと、その「崩壊」は近づいているようにも思える。

■寄付の募集が社会に示すメッセージ
 では、どうすれば社会への基本的な信頼感を回復できるのだろうか?
 一般的には社会保障の充実などがあげられるのだろうが、ここでは寄付を募ることの意味に焦点を当ててみたい。
 先に「寄付に頼らず事業収入でやっていく」というNPOについて触れたが、現実にそうした団体が少なくない理由の一つに、寄付を依頼することは、何らかの商品やサービスを提供して対価を得る事業収入の確保に比べ、しんどいものだということがある。しかし、それでも寄付を募ろうとするのは、人権の擁護や経済的困窮者の支援、環境の保全など、収入を得にくい活動に取り組んでいるからだ。
 そして、この寄付を募って頑張っている団体があると知られることが、実は社会の希望をつなぎとめる手掛かりの一つになるように思う。この世の中はギブ・アンド・テイクだけで動いているわけではない。あるいは、募集に応じて寄付をすれば、自分も誰かを支える存在となれる。そんな気持ちが、その動きに接した人たちに生じると思う。
 寄付を拡大しようというにはあまりに厳しすぎる時期のスタートとなったが、このような意味でも、日本ファンドレイジング協会の今後の取り組みに、大いに期待したい。

【Volo(ウォロ)2009年5月号:掲載】

ボラ協のオピニオン―V時評―

  • 2024.02

    新聞報道を「市民目線」で再構築しよう

    編集委員 神野 武美

  • 2024.02

    万博ボランティア、わたしたちはどう向き合い生かすか

    編集委員 永井 美佳