■ボランティアの大衆化現象
いまから40年前は、ボランティア・センターといえば全国的にも大阪と東京くらいにしか無かったので、高校生や大学生の若い人たちはボランティアといえば大阪ボランティア協会(以下、協会)に来るしかなかった。その後、全国社会福祉協議会にボランティア振興センターができ、全国各地に社会福祉協議会を中心に設立されて、ボランティア・センターのすそ野が広がった。主だった大学にも学生ボランティア・センターが置かれるようになった。ボランティア・センター以外にも男女参画協働センターだとか国際交流センターの設置が相次ぎ、ボランティア活動をはじめとする市民活動センターがふえた。協会の相対的地位は低下したのかグレードアップしたのか判断しにくいところがあるが、ずいぶんボランティア世界も様変わりしたというべきだろう。そうなのだ、若者は、社会貢献の志を実現したいと思えば、それらしきセンターは今どこにでもあるのだ。
阪神・淡路大震災を契機にボランティア元年とまでうたわれ、確かに災害救援ボランティアや防災ボランティアの潮流は定まってきたようにも思うが、あの大騒ぎのボランティア盛り上がりはどこへ消えたのだろう。地方分権の波にのった介護保険制度化やNPO法の制定などなど、めまぐるしいほどの時代の変化は、ボランティアのイメージを大きく変容させたように思うし、なによりもボランティアの多様化、多元化をもたらした。このような状況は、ボランティアの大衆化現象ともいえるが、歪んで広がってきた日本のボランティア観を変えるには必要なことだった。また、活動が多岐にわたることよってボランティア・イメージの拡散化と、どこに行き着くのかわからないボランティアの漂流化も始まった。
■日本の歪んだボランティア観
ここにいう歪んだボランティア観とは、一歩距離をおいてみられるボランティア・イメージのことである。さすがにボランティア活動は、お金持ちで血筋が良くて教養があって人格高潔で優しい心をもった天使のような人が行う善行だなんて信じている人はいなくなったと思うが、見返りを求めないで支援をするとか、会ったこともない海外の困窮者に寄付をするとか、損得抜きに行動できるのはどこか特別な人ではないのか、自分とは違う人種なのだとか、若者に身を引かせてしまっていることはないだろうか。
ボランティア行為が浮いてしまう現状では日本社会で特異に形成されてきたボランティア観がまだ根強く残っているようにも思う。歪んだボランティア観に変形してしまったのは、ボランティアが福祉世界に長く閉じこめられて育てられたからではないか。ボランティアといえば病院で看護師さんの下でシーツ交換やタオル、ガーゼの整理などをする病院ボランティアとか、福祉施設への慰問や入所者との話し相手、遊び相手くらいにしか受け止めてもらえなかった時代もあった。少しボランティア観が流動化し始めたのは、在宅生活者の家事・介護・育児支援に取り組む在宅福祉ボランティアの登場からだろうか。少しずつだが市民運動をしたり、当事者の解放運動とボランティア活動のコラボが広がり始めてはいたが、ボランティア活動が市民権を得たのは、やはり阪神・淡路大震災後のボランティアの盛り上がり以後なんだろう。
■若い世代のボランティア
若者ボランティアが少なくなってきたというのは福祉界だけでなくて、自治会・町内会でも後継者がいないとか、婦人会もPTAも若い世代が入会してこないと高齢の役員たちが嘆いている。環境問題とか農村再生とか人権問題とかの市民活動も似たりよったりで若い後継者問題は日に日に深刻さを増しているのが実情だろう。少子高齢化の時代なのだから若者の参加が減少するのは当然だとしても、高校生・大学生のみならず勤労青年も忙しすぎてボランティア活動、市民活動に関心が薄いというのはどういうことなのだろうと考え込んでしまう。今どきの若者は幼稚園や小中学校から塾だ、習い事だと忙しすぎて、若い親も子どもの学資やら貯蓄やらで収入を得ることに余念がないし、気持に余裕のない家庭では高校・大学に進学させてもらっても早く就職しなくてはならない。勤労青年(こういう人はもういないのかも)もやはり人生にゆとりが無くなってきたんだろうか。
よく考えてみたら、昔の町内会や自治会も自営業の人か専業主婦の人たちが地域活動やボランティア活動を主に担っていたわけだから、そういう種類の人間が姿を消せば、次の若い担い手が育ってこないのも自然の道理だ。商店街はスーパーとコンビニに営業圏を奪われてしまうし、農業は若い者が都会に出て継いでくれないし、職住接近どころか遠距離通勤で地域活動や市民活動に関心がもてなくなるし、ボランティア活動をしようと思ったらフリーターになるかパートタイマーになるしかない。正規雇用か非正規雇用か違いはあるにせよ、性差も年齢も超えて庶民はみんな働きに出ているのだ。ということは、昔の人は兼業でボランティア活動し、また助け合い活動をしていたのだ。
■兼業+越境のボランティア
アルバイトもフリーターも含め国民総勤労時代なのだから、ボランティア活動を広めようとするなら職場空間をボランティア広場にしないと定着できない時代になったのである。企業にボランティア活動の理解と協力を求めるのではなくて企業のオフィス、工場、倉庫をボランティア劇場にしないと少子高齢化社会は乗り切れないのだ。本業の場でボランティア活動を兼業にする智恵と工夫が必要なのだ。
ついでに言うと企業も国際的になってきているのだから、ボランティアも国を超えてグローバル化しなくてはいけない。国際化は金融や情報だけではない。人材も野球選手やサッカー選手、音楽家や芸術家だけでなくボランティアも越境して活動する時代なのだ。なんだか、ますますボランティアを漂流化させる勧めという思いがけない結論になってしまった。
【Volo(ウォロ)2009年6月号:掲載】
2024.10
「新しい生活困難層」の拡大と体験格差〜体験につなぐ支援を〜
編集委員 筒井 のり子
2024.10
再考「ポリコレ」の有用性
編集委員 増田 宏幸