ボラ協のオピニオン―V時評―

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変革の担い手はだれ?

編集委員増田 宏幸
 本号が出るころには衆院選で民主党が少なくとも比較第1党となり、単独か連立かはともかく、鳩山由紀夫代表を首班とする新政権が産声を上げているだろう。少数8党による細川連立内閣と違い、戦後初の本格的な政権交代であり、市民の期待も大きく膨らんでいるに違いない。長く続いた自民党政権が「停滞」や「閉塞」「格差」など負のイメージと重なっていただけに、重しが取れたような高揚感を持つ人もいるだろう。だが、単純にバラ色の未来図を描くことはできない。地方分権など本当の変化は、「上から」だけでは起こらないことを改めて考えておきたい。

■東国原騒動が示したもの
 総選挙に至る経緯の中で、変化を象徴する動きとして二つの出来事が特に印象に残った。一つは東国原・宮崎県知事の「国政鞍(くら)替え」騒動。もう一つは民主党がマニフェストに「国家予算の全面組み替え」を盛り込んだことだ。なぜこの二つかといえば、これまで日本の社会を締め上げてきた「アメとムチ」の地方統制が、いよいよ終わるかもしれないと予感させたからだ。
 鞍替えの是非や本人の現状認識はさておき、東国原知事が放った「私を総裁候補として総選挙を戦う覚悟がおありですか……」という発言は、我々の1票=意思表示が政治を動かすことを、恐らく初めてビジュアルに示したケースだと思う。
 95年の阪神・淡路大震災で政治・行政の限界が露呈し、翌96年の衆院選は初めて小選挙区制で実施された。軌を一にして、マニフェスト選挙を提唱した北川正恭(三重)、片山善博(鳥取)といった「改革派知事」が生まれ、全国知事会が次第に存在感を増した。国会や市町村でも既成勢力を破った若い議員、首長が珍しくなくなり、今回の衆院選前には千葉、横須賀、奈良の各市で次々に30歳代の市長が誕生した。
 この15年の流れを振り返れば、政官業の利益分配構造に立脚した自民党モデルが行き詰まり、有権者が新たなモデルを求めてきたことは明らかだ。小泉人気もその一環であり、有権者は非自民的なものを求めたに過ぎない。東国原発言や麻生降ろしに代表される自民党の右往左往は、我々の1票を無視できなくなった旧来型政治の断末魔の姿だった。東国原発言はトリックスターの妄言ではなく、出るべくして出たのである。

■税金は誰のためのものか
 一方、「予算全面組み替え」という民主党のマニフェストは、言い換えれば予算の重点配分主義であり、その根本は「縦割り」の排除だ。
 省庁別に配分される現在の方式では、似たような事業を別々の省が実施していたり、地方自治体でできる事業を国の出先機関がしたりするなど、優先順位とは無縁な無駄が多い。生活保護制度の高齢者加算や母子加算は廃止されるのに、地元が不要とするダム計画が推進される現実を見れば、自分が納めた税金の使われ方に我慢ならない気持ちを抱く人も多いだろう。
 更に、国の予算は国庫負担金や補助金などとして地方自治体に割り当てられ、地方を統制する重要な道具として使われてきた。それでも地元の要望が反映されればいいが、必ずしもそうではないことが片山・元鳥取県知事の次の言葉で分かる。
 「例えば国の予算では、鳥取県で優先度の高い高速道路は道路公団の事業だからと予算が付かず、景気対策の補正予算で農水省の枠で農道に予算が付くようなことがありました。広い視野で優先劣後を考えることが霞が関(中央官庁)に欠落しているんです。そのことを週刊誌のコラムで指摘したら、農水省から『農道の予算はいらないんですか』と県の職員に電話があったそうです」(7月28日付毎日新聞「時代を駆ける」)
 予算は誰のためにあるのか。民主党は「霞が関の解体・再編、地域主権確立」を掲げ、「地方の自主財源を大幅に増やす」ことも約束した。予算編成方針と併せ、実現すれば歴史的なコンセプトの転換となるだろう。ただ、本当の地方分権、住民自治に至るには、まだハードルがある。官僚や地方自治体の意識変革はもちろんだが、むしろ問われるのは我々自身だ。

■衆知集め「積み上げ型」に
 橋下・大阪府知事らが盛り上げてきた分権論は民主党のマニフェストにも反映され、変革を促す上で大きな力となった。だがこれもあえて言えば、名前こそ「地方」だが、住民にとっては「上」からの議論でしかない。実際に権限や税源が移譲された時、我々はそれをまた、地方自治体という「お上」に委ねてしまうのか。それとも責任をもって使いこなす主体となるのか。委ねれば、中央集権体制が分割されただけで住民にとっての実態はさして変わらないだろう。主権者として「地域づくり」にどうかかわるか、我々自身の議論なくして分権は完結しない。
 具体的には、住民同士が議論できる場をつくり、本当に必要なところに適切な施策が行き届くよう声を集め、それを目詰まりなしに行政に伝えるシステムを持つことが重要だ。議論の場はNPOでも自治会でも、PTAでも異業種交流会でもいい。それぞれが「衆知を集めるシステム」として機能すれば、分権は積み上げ型になる。
 次に、それをどう集約し実行するか。住民と行政を結ぶ存在として議会があるが、現状を見る限り地方分権の要としては心もとない。ボランティア議員化するなど議会を変えるアクションを起こすか、どうしてもだめなら自分たちで代わるものを作ればいい。NPOはこうした動きをサポートし、場合によっては自ら橋渡し役になる。いずれにせよ、相手が身近な自治体であれば、かかわり、変えていく手だてはいろいろあるだろう。地方分権を、国から地方自治体への単なる「器」の変更にしてはいけない。

【Volo(ウォロ)2009年9月号:掲載】

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