ボラ協のオピニオン―V時評―

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共感の縁えにしを築く市民活動

編集委員早瀬 昇
■深く広がる「無縁社会」の実情
 「無縁社会」という事態への関心が高まっている。きっかけは今年1月31日に放映されたNHKスペシャル『無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃~』だ。
 氏名不詳であったり、遺骨の引き受けを断られるなど、家族や社会とのきずなを失い、自治体で火葬・埋葬された人=「無縁死」した人が、1年間に3万2千人にものぼっている、というのだ。それは、どんな内容だったのか。
 アパート暮らしだったのに「無縁死」となった人がいた。取材の過程で名前は分かったが、都会へ出たのち、地方の衰退で故郷に帰れず、そして職を失うことで都会でもつながりを失ってしまった後の孤独死だった。
 無縁死の多くは家族の所在が分かりながら、事情で遺体が引き取られない。献体として医学部に託される人もいる。
 大手銀行を定年退職したとたん、唯一の社会との接点を失った人がいる。会社中心の生活で家庭より仕事を優先し、50代で熟年離婚。会社に行く必要がなくなった今、仕事で築いた人間関係は過去のものとなってしまった…。

■若い世代からも大きな反響

 番組はその実情をさまざまな角度から淡々とレポートしたが、放送中だけで、インターネット上の掲示板「2ちゃんねる」に1万4千もの書き込みがあったという。掲示板の中心的な書き手は30~40代。死を意識しやすい高齢者だけでなく、「自分も無縁状態ではないのか」と感じる若い世代の間で大きな反響があったのだ。

 そこで4月にはNHKの番組『追跡AtoZ』で、若い世代の反響の背景などを追跡する番組が放送され、また雑誌『週刊ダイヤモンド』4月3日号でも「無縁社会~おひとりさまの行く末」と題する30ページに及ぶ特集が組まれた。表紙には「地縁、血縁、社縁はなぜ崩壊したのか!」の文字が踊り、その現状や背景、それに「予備軍」と感じる若い世代の動きをレポートした。
 もっとも、週刊ダイヤモンドの『無縁社会』制作者座談会で語られていたように「完全に無縁なんていう人はいない」「縁がないのではなく『縁が機能しない』」わけで、「自分の支えになるような縁を感じづらい社会」が広がっているということになる。

■市民活動に参加することの意味

 私たちが他者とつながる関係について、かつて次ページのような図を作ったことがある(※1)。私と他者の関わりを、自由に選べるか選べないかと、共感による関わりがあるか
どうかで4つに整理したものだ。
 ボランティア活動のテーマや企業の商品を買う場合は自ら選べる。一方、結婚や離婚、移民や帰化などで選択の余地がないわけではないが、生まれてくる家や国を自ら選ぶことはできない。また、共感といった配慮が入る余地は国や企業との関係では少なく、家族や友人、ボランティア活動では大きい。
 こうして整理した4つの関係を「共感関係」「同族関係」「交換関係」「人権関係」と名付けた。血縁や地縁を「同族関係」としたのは、選べないのに協調的な関係が成立する背景として“同じであること”を基盤とした一体感がある、いや、あった…はずだからだ。
 今、血縁、地縁のつながりが弱まり、かつて「会社は一家だ」と家族に似た人間関係づくりが志向されたこともあった職場も、リストラや非正規雇用者の増加で縁を感じにくくなっている。それに社縁は、業界内でこそ通用しても、退職後人生を支えるものとはなりにくい。
 「人権関係」と名付けた政府による社会保障のほころびが目立ち、自由にサービスを選べる「交換関係」は対価を支払えない人たちの支えにはならない。いや、NHK『無縁社会』では、かなりの資産を持ちつつも、深い孤独の中で苦しむ人の姿をレポートしていた。資産が、人とのつながりを豊かにする力とならないことも多いのだ。

■新たな「縁」づくりに向けて

 そこで改めて注目したいのが「共感関係」、つまり友人などに加え、ボランティア活動などで培われる縁の大切さだ。ボランティア活動には、社会的な課題の解決とともに、人々
の間に共感の縁を築く意味がある。それに、孤立している人々との間に共感的なつながりを築くこと自体が、問題解決の一歩となることも少なくない。
 この点に関し、米国にある勤労者専門のボランティアセンターの草分け、「ニューヨーク・ケアーズ」の創設者は、「ケアーズのプログラムには、経済的に余裕のない人も数多く参加している。その理由として、治安が必ずしも良いとはいえず、生き馬の目を抜く競争社会でもある大都市で、ケアーズが安心して心の許せる友を得られる貴重な機会を提供したという点も大きい」と語っている(※2)。多忙な勤労者が参加しやすいボランティアプログラムを多数提供している同団体の成功により、今や米国の多くの都市に、都市名を冠した「ケアーズ」が生まれるまでになっている(※3)。 故郷から離れて都会で暮らす人々が、活動を通して新たなコミュニティを創造する。その関係は、年齢や職業、立場の違いを軽々と越えて築かれる。それぞれの都合に応じた参加のスタイルが認められ、決められた定年もない。共感関係は柔軟で、かつ深みを伴なう場合も多い。
 実は大阪ボランティア協会では、米国での取り組みを参考に「ボランティアスタイル」と名付けた活動参加プログラムを5月末から実施する。詳細は今月号の本誌「現場は語る」を参照していただきたいが、こうした活動プログラムを通じて「共感による縁」を広げ深めることも、「無縁社会」脱却の一つの道だと思う。

(※ 1)「家族と地域ボランティアのネットワーク」『明日の家族』中央法規、1995 年。

(※ 2)本誌の筒井のり子編集委員のインタビューから。
(※ 3)現在、「都市名+ケアーズ」という名称を「ハンズオンセンター」と変更しているところも多数ある。

【Volo(ウォロ)2010年5月号:掲載】

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