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「市民運動出身」の首相に期待するもの

編集委員増田 宏幸
 期待と高揚感の中でスタートした鳩山政権が9カ月で倒れ、菅直人首相が誕生した。新首相を語る際、必ずと言っていいほどついて回るのが「市民運動出身」の枕詞だ。小泉、安倍、福田、麻生、鳩山と続いた「議員一族出身」首相との違いを際立たせるフレーズではある。だが、現実の政治の中で「市民運動出身」はどんな意味を持つのだろうか。菅氏の経歴や鳩山政権との対比から考えてみたい。

■学生運動から土地問題へ
 本題に入る前に、一つ確認したいことがある。それは「菅氏がやっていた市民運動とは何か」だ。74年の参院選で市川房枝氏を担ぎ、選挙事務長を務めたことは比較的よく知られて
いる。しかし、他の運動については「出身」と言われる割に具体的な中身を見聞きしない。6月5日付の読売新聞に「(東工大理学部在学中)学生運動を通じて政治に目覚めた。卒業後は特許事務所に勤務する一方、住宅不足や食品の安全性をはじめとした市民運動にのめり込んでいく」とあるが、詳しい記述はない。本人の公式サイトでも、市川氏の件以外は記
載がない。
 朝日新聞出版が08年に発行した「90年代の証言 菅直人 市民運動から政治闘争へ」は、月刊誌「論座」でのインタビューをまとめたものだ。それによると、1970年に大学を卒業した菅氏は特許事務所に就職し、すぐ結婚。4回目の挑戦で弁理士の国家資格を取り、74年3月31日に退職した。市川氏の参院選があったのは直後の7月だ。
 菅氏は同書で「弁理士の資格がとれたころからまた社会的に動き始めたんです。最初に始めた運動が『よりよい住まいを求める市民の会』という市民運動で、取り組んだのは土地問題ですね。(中略)都市のサラリーマンはなぜこんなに住宅が持てないのだろうかと考えて、この運動に取り組み始めたんです」と語っている。
 詳細は省くが、菅氏らの主張は市街化区域内の農地に宅地並み課税をすることで土地の供給を促し、地価を下げようというもの。仲間を集めて勉強会を始め、シンポジウムを開いた。司会は菅氏で「来てもらったのが市川さん、青島幸男さん、都留重人さん、青木茂さんという方たちでした。確か、72年か73年ごろです」。他に「霞が関でビラを撒いたり、いろいろ勉強会を開いたりしました」と言う。
 市川氏と知り合った菅氏は74年の参院選を経て、76年の衆院選東京7区に自ら立候補し、次点で落選。翌77年の参院選、79年10月の衆院選でも落選したが、大平首相の急死を受けた80年6月の衆参同日選でトップ当選を果たす。この間、江田三郎氏らと一緒に社会市民連合(後の社会民主連合=社民連)を結成している。
 こうした履歴を見ると、菅氏は当初から、現場で問題解決を図るたたき上げの運動家というより、理詰めで制度改革を目指す政治的指向があったように思える。一方、市川氏や自身の選挙で見せる草の根の手法からは、現実を見据えて人や事態を動かす「リアリスト」ぶりがうかがえる。市川氏の「運動は事務なり」という思想を、接する中で実地に学んでいったのかもしれない。

■事務不在、理念倒れの鳩山政権

「市民運動出身」が持つ意味は何か。最初の問いに戻った時、鳩山政権の失敗から浮かんでくるものがある。特に普天間基地移設問題が象徴的だ。端的に言って、NPOなら「事務局は何をしていたのか」と問われるのが、鳩山政権における普天間問題だったと思う。移設の理想・理念はいい。だが、解決へのアプローチはどうだったのか。
 「運動は事務なり」の言に従えば、まず国際情勢や抑止力としての基地の効果、米政府の意向、国内移転の可能性の模索・立証・説得、県外移転できない場合の沖縄の負担軽減策など、現実の課題を一つずつ検証し、それぞれの回答を見いだした上で「移転」に至るべきだったろう。鳩山前首相はまず理想を掲げたが、具体化する「事務」を欠いたことで言葉が現実から遊離してしまい、本気度すら疑わせる結果になった。
 首相自ら飛び回れなくても、そのために閣僚がいて、行政機構がある。5月末と切った期限は本来、首相の不退転の決意を示し、移設実現に向け組織の士気を高めるものになるはずだが、政府・与党からは一向に切迫感や努力が伝わってこなかった。この点でも、鳩山前首相のリーダーシップは不十分だったと言わざるを得ない。
 連立離脱で政権崩壊の引き金をひいた社民党も、福島党首が「1丁目1番地の政策」という割には、どう問題解決に努力したかが見えにくかった。内閣に入ったのなら首相の尻をたたくだけでなく、共に掲げるミッションの実現に向け、自らのチャンネルで対米交渉をするなど「事務」面で存在感を示してほしかった。

■内閣は理事会、官庁は事務局

 理念先行の鳩山政権は倒れたが、昨年の総選挙で民主党に寄せられた予算の全面組み替え、地方分権推進、公務員制度改革などの期待はなお衰えておらず、実行力を待望している状態とも言える。菅政権の支持率が高いのも、「脱小沢」路線に加え、ひ弱なイメージの世襲首相が続いた反動があるだろう。
 菅首相には、内閣を理事会、官邸・官庁を事務局、国民・納税者を会員とするNPO「政府」の代表理事兼事務局長になってもらいたい(政党と国会は評議員会?)。
 リアリストと言っても、目前の事態に対応するだけでは困る。高く理想を掲げ、困難を一つずつ解決していくことが真の現実的アプローチだ。普天間問題も当面の状況に妥協するのではなく、最善の解決を目指してほしい。言うまでもなく、私たちも他人ごとのように政府任せにしてはいけない。候補地に挙がった途端に「反対決議」では、いくら県外移設を模索してもらちが明かない。「一緒に考えている」ことを、沖縄と米政府に強く示す必要がある。
 「政府」の運営面でも、会費(税金)をどう使ったか、事務局員(官僚)が恣意的に分配していないか、説明責任を果たしているかなど、NPOなら当たり前に求められる透明性を最大限確保してもらいたい。そして、こうしたことを理屈や知識ではなく、皮膚感覚で理解していると信じたい︱︱。それが「市民運動出身」の首相に対する最大の期待だ。

【Volo(ウォロ)2010年7・8月号:掲載】

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