ボラ協のオピニオン―V時評―

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「わかりやすさ」が抱えるコワさ 公共とは何か、に斬り込む「事業仕分け」

編集委員水谷 綾
■おおむね好評?国や自治体の事業仕分け
 「2位じゃ、ダメなんでしょうか?」
 昨年秋、「歳出削減の切り札」として、政権交代を強く印象づけた「事業仕分け」。冒頭のフレーズがメディアをにぎわせたことは記憶に新しいが、この「事業仕分け」の第3弾が、国の特別会計をターゲットにして、来月から始まる。
 事業仕分けは、行政が実施する事業に対し、①その事業はそもそも必要か、②必要ならどの行政(国、府県、市町村)がすべきか、という2点を中心に議論する。外部識者・市民と内部の担当職員が議論し、事業の要・不要・改善の判定を「公開の場」で実施したことで、昨年、かなりの注目を浴びた。事業仕分けのポイントは、その事業の必要性を「公開の場」で議論することで、とにかく「ムダを洗い出そう」という点にある。
 これまでの施策立案は、官僚中心に事業を立案するため、「事業本来としてあるべき姿」を誰が判断するのかが不明確だったし、当事者である内部による評価にも限界があった。立案時には妥当だった事業も社会環境の変化に応じた転換が必要であったにもかかわらず、「縮小」「変更」「廃止」の判断基準があいまいで自浄作用も働きにくくうまく進まない実態もあった。しかし、これだと事業(=予算)は増えるばかりである。そこで昨年、颯爽と現れた国の「事業仕分け」は、政治ショーだと揶揄されながらも、質疑のプロセスを公開した結果、国の事業がどんなものかを多くの人が共有することとなった。みんな(市民)に「わかりやすくした」ことが支持され、おおむね好評のようである。

■必要なのは、ためらわず斬り込むこと?

 かくいう筆者も、この2年間、大阪市の事業仕分け人として、「仕分け」作業に参加した。大阪市の場合は、各事業4ページの資料と各仕分け人による事前の情報収集といった限られたデータ、そして30~40分の質疑で、当該事業の要・不要・改善を判定する。私は2年間で経済、福祉、防災、教育、公営企業など、多岐にわたる17事業を担当したが、中には専門外のものもあった。討議自体が短時間であるため、判断のための適切な投げかけが求められ、これもなかなか大変であった。
 結局、その場で強く求められたのは、「逡巡しない力」だった。なぜなら、事業仕分けは、公開の場における議論の積み重ねの先に「不要か、改善か、継続か」という“判定”を下すというミッションがあるが、事業に直接従事しない市民の目には情報と議論だけでは「見えるもの」と「見えないもの」がどうしても出てくる。仕分け人自身も、議論によって事業の特性を把握はできても、30分程度の時間で常に明確な結論が出てくるわけではない。ところが、仕分け人には「まだわからないから」と判定を留保することはできない。ためらっている時間もないまま、最後の1分で「私はれ!」と決めなければならない仕組みは、下手をすると、事業の本質を見逃してしまう危険をはらんでいる。
 さらに、斬り込んで当然!という雰囲気に、いくばくかの警戒感を持った。事業によっては、「もっとこうすれば良いのでは」と改善案や提案を述べたくても、(全職員がコスト感覚がないわけではないのだが)「コスト感覚に弱い自治体職員の意識を変える」といった前提が絶対的で、細かな支出の追及(ムダの削減)に質問が傾斜してしまう。職員へのエンパワメントや事業内容の追加提案は、ほぼ許容されにくい。事業仕分けはコストカッター的な要素が強く、万能な事業評価システムではないのだ。

■公共の成果を図ることのむずかしさ

 今年度の事業仕分け(8月21日実施)で痛感したことは、「成果を示す」という指標をどう考えたらよいか、という点だった。どの事業も利用者数や収集量といった実績は出ていたが、その実績が何を変えたかという「成果(アウトカム)」はほとんど見えてこない。とはいえ、「成果」を示すことは、本当に難しい。例えば、創業支援関連事業ならば、巣立った事業主体が生き残っているか、売上高は増加しているか、といった経済的指標で成果を示すことができるだろう。しかし、公共的な事業にはそうもいかないものが多い。実際、頭を抱えてしまったのが、「教育」の領域であった。専門高等教育、生涯学習、図書機能充実……。どれも重要な行政施策であり、「人の形成」に大きく関わる。「どんな人間が形成されたか」といった言語(数値)化はほとんど不可能だし、その作業にも違和感がある。だから、「この支出はムダでしょう」と言い切るのに、躊躇してしまうのだ。

■「事業仕分け」の成果と宿題

 情報をたくさん入手して議論を交わせば判断材料は増えるが、結論が見出せるかというと必ずしもそうではない。事業仕分けというシステムの導入は、新たな「宿題」を浮き彫りにしたのではないだろうか。この「宿題」とは、これまで私たち市民の多くが“公共”の領域に積極的に関わり議論を尽くしてきていないことである。「地域に必要な行政サービスは何か」「行政が提供する教育の意味するところは?」「支出削減が適当か。逆に拡充すれば……」など。私たちの税金を投じて取り組みたい重点をどこに置くかといった議論も、最後に「何をもって成果とみなすか」の議論も、まだまだ……である。
 コスト意識を喚起したという意味で、事業仕分けの意義は大きい。ただ一方で、「わかりやすさ」を追求するがゆえに、そんなにわかりやすい結論でいいかどうかも、もう少しゆっくり考えたい。反芻したり、時には困惑しながら、じっくり考え、時には逡巡することも許容する。そういうプロセスを別の形で用意しておくべきで、事業仕分けだけが絶対的手法となるのは危険だ。“公共”というものは、本来、そんな短時間で白黒がはっきりするような単純なものではないはずである。
 日々、地域課題を直視しているNPOとしても、この宿題にもっと関わる必要があるのではないか。現場でもみ合った実感がある者として見える情景を社会に伝え、ともに悩み、考える主体として動くこと。そして、その動きのある活動一つひとつを通して、公共のわかりにくさを小さな「わかりやすさ」に変えていくこと。さらに言えば、税金を使って公共的な事業を実施する主体にもなるNPOは、その使途の正当性が問われる立場でもあるという意識を常に抱えながら動くアクターとして声を出す責務もあるだろう。
 このような小さな積み重ねからにじみ出る「わかりやすさ」と共感の中に、社会で起こっているコトの本質が見い出せるような姿勢を日々の活動の中に持っておきたい。

【Volo(ウォロ)2010年9月号:掲載】

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