ボラ協のオピニオン―V時評―

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「震災障害者」の存在を通して見えてくるもの

編集委員磯辺 康子
■忘れられていた問題
 阪神・淡路大震災から15年が過ぎた被災地で今、忘れ去られていた問題として議論が始まったことがある。震災で重傷を負い、後遺症が出た「震災障害者」の実態把握や支援策だ。
 震災で亡くなった人は6434人、行方不明者は3人。重傷者は1万683人に上る。倒壊した家屋や家具の下敷きになったり、長時間埋もれていた人の多くは、ライフラインが途絶えた被災地で十分な治療を受けられず、傷を悪化させた。被災地の外で転院を繰り返したり、長期間入院したりしていた人も少なくない。その後障害が残った人がどれくらいいいるのか、兵庫県などの被災自治体も把握していなかった。 
 10月半ば、神戸大学で開かれた日本災害復興学会のシンポジウムで、この問題が取り上げられた。クラッシュ症候群(手足などが長時間圧迫されて筋肉が壊死し、救出後、毒素が全身に回って命にかかわる状態となる=挫滅症候群)で足に後遺症が残った男性や、娘がピアノの下敷きになって高次脳機能障害と診断された女性が体験を語り、支援者や自治体関係者らによる討論があった。シンポジウムを通して浮かび上がってきた問題は、災害や復興というテーマを超え、社会全体で考えるべき多くの示唆に富む内容を含んでいた。

■見舞金支給対象者はわずか
 シンポジウムの内容の前にまず、「震災障害者」を取り巻く現状に触れておきたい。
 先にも書いたように、阪神・淡路大震災の重傷者は1万人を超える。しかし、災害で障害が残った人らに見舞金を支給すると定めた「災害弔慰金法」に基づき、見舞金(生計維持者は250万円、それ以外の人は125万円)を受けた障害者はわずか64人。これは、対象が両足の機能喪失、両目の失明などかなり重度の障害に限られているためだ。また、見舞金を受けるには当然、当事者や家族による申請が必要で、被災後の混乱の中で制度の存在が広く周知されたかどうかも疑問が残る。
 震災10年を迎えたころから、震災障害者の問題について当事者や支援者が声を上げ、研究者やマスコミにも関心が広がり始めた。当事者や家族が集い、互いの悩みなどを語り合う場が設けられた。こうした動きを受け、自治体にも問題意識が芽生えた。神戸市は09年、実態調査を開始。震災が起きた1995年1月以降に身体障害者手帳を交付した約9万人の申請書類を調べ、外傷を受けた日が「95年1月17日」となっていたり、障害の理由を「震災」と記述していたりするケースを抽出した。兵庫県も今年になって調査を開始し、8月には、神戸市把握分と合わせて震災障害者が328人(うち死亡117人)に上るという中間集計をまとめた。
 兵庫県と神戸市はさらに、精神障害、知的障害にも対象を広げて調査に乗り出している。95年1月以降に障害者手帳などを交付した約4万人が対象で、申請書類で障害の理由を「震災」などと記述している人の抽出を始めている。精神、知的障害は身体障害に比べて原因の特定が難しいが、今後の災害対策に生かすためにも着手したという。

■診断にたどり着くだけで6年

 災害復興学会のシンポジウムでは震災障害者とその家族の厳しい現状が報告された。
 震災当時14歳だった長女がピアノの下敷きになった女性は「娘が『高次脳機能障害』だとはっきりしたのは震災から6年後だった」と語った。生死の境をさまよった後、体は回復していくのに、記憶力や自発性が低下し、震災前と別人のようになっていった娘。その原因を探し当てるだけで、6年もの歳月が流れた。一方で被災地の街並みは復興し、震災の傷跡は消えていく。自分たちが忘れ去られている、という感覚がずっとぬぐえなかったという。
 阪神・淡路大震災で障害が残った人の場合、たいていは自宅も大きな被害を受けている。体験を報告した女性の一家も仮設住宅で2年以上暮らした。障害だけでなく、住まいの喪失に伴う経済的、精神的負担、生活再建の苦労にも同時に向き合わねばならない。しかしこれまで、家族を失った人に比べて、
支援が必要な対象として注目されることは少なかった。こうした厳しい現実が当事者によって語られ、知られるようになったことは大きな一歩だと思う。

■地域社会の共通課題として考える

 もう一つ、このシンポジウムで語られた重要な点があった。
 それは障害の原因が震災であれ事故であれ、生まれながらであれ、障害者がこの社会で直面している課題をしっかりと見据える必要があるということだ。
 脳性まひの障害当事者として討論に加わったパネリストの男性の指摘が印象深かった。行政が支援対象の基準を決めるように「枠」を作ってしまうと、支援にはすき間が生まれる。そうすると、一人一人が地域で暮らすために本当に必要な支援が届かなくなってしまう︱との指摘だ。障害の原因や種別といったものを超えて目指すべき地域社会の姿を考えるという視点を、私たち参加者はあらためて教えられた。
 彼は言った。「復興して街がきれいになったといわれるが、震災前と中身は変わっていない」。その指摘は、日本の多くの街が経済発展とともに整備されてきたのに、障害者に住みやすい街にはならなかった︱という現実を突いている。つまり、震災から15年の復興を過去数十年の日本の経済成長に置き換えれば、震災障害者が感じている「取り残され感」は、多くの障害者がこの社会で感じてきた感覚と共通している。
 シンポジウムでは、震災障害者の支援について、自助グループの役割の大きさ、当事者の声を広く伝える重要性、生活上のあらゆる問題を相談できる総合窓口の必要性などが強調された。こうした点もまた、多くの障害者が共通して望んでいることだろう。震災障害者からの発信が今後、大きな輪に広がっていく芽を感じたシンポジウムだった。

【Volo(ウォロ)2010年11月号:掲載】

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