■資産家姉妹餓死の衝撃
出会いを大切にし、新たな繋つながりを創り出す「知縁」という人間関係の結び方について少し述べてみたい。
年明け早々から豊中市で60代姉妹が餓死する事件が起きた。事件でなく事故なのだろうが、2人の自己責任による事故として扱ってしまうと皮相的な解釈に終わるようで、やはり事件と考えたほうがいい。犯人探しはできないけれど、強いて言えば、今日の日本社会を覆っている人びとの繋がりの喪失が2人を餓死にまで追い込んでしまった社会的事件と言えようか。新聞報道によれば、資産家の父をもつ2人が相続した財産を運用して両親亡き後にマンション経営で生活に役立てようとしたが、その後資金繰りに行き詰まり、皮肉にも実家近くに建てたマンションで孤独死を迎えることになった。湯浅誠氏がいう「すべり台社会」を絵に描いたように示してしまった、「溜め」のない無縁社会の典型的な事件であると思う。2人が餓死にいたるまでのセーフティネットが有効に機能しなかった実例で、このような底の抜けてしまったような日本社会では、いつだれが転げ落ちても不思議ではないような空恐ろしさを感じる。
■地域ボランティアのモデル地区
姉妹の住むこの地域は、住民たちが民家を借りてボランティアでミニ・デイケア活動を進めてきたことで有名な小学校区でもあったのだ。地域ボランティアの全国モデルとも目され、小地域見守りネットワーク、住民ふれあいサロン、住民による「福祉なんでも相談」活動など、地区社会福祉協議会が繋がりをつくる取組みの先進地区で起きた事件の衝撃は大きい。さらに、厚労省の「安心生活創造事業」とよばれる、福祉になじみの薄い人たちの孤独や孤立をなんとか防ごうと、生活関連の事業者を巻き込んだ生活支援ネットワークづくりに着手したばかりだったので事態は深刻だ。姉妹がひっそりと暮らしていたマンションは差し押さえ物件であるため、ライフラインである電気、ガス、水道が止められても、まさかそこで人が暮らしているとは誰も気づかなかったのだ。国民健康保険料や水道料金を滞納していたが、実家のあった住民票に記載されている住所は更地になっており、所在不明の状態だったのである。
稀な事件と考えられやすいが、こういう社会的に孤立したり、社会的に排除されている事例は、氷山の一角にすぎないと思う。所在不明高齢者の発覚問題に限らず、見方によっては密室空間ともいえる家庭の内側にひっそりと暮らす引き籠もりの若者も多いだろうし、幸福な空間であるはずの家庭が、虐待、DVという修羅場になっている世帯も少なくはない。地域に棄民される単身者や高齢者が急速に増えてきているのだ。
■「職域」社会も崩壊
なぜこのような深刻な事態になっているのかを想像してみると、いわゆる地域社会の崩壊、形骸化のみならず、実は「職域」社会という、もうひとつの暮らしの場も同時進行で崩壊しかかっていることが大きな理由なのではないかと思えてくる。
「職域」社会とは、造語にすぎないが、職住分離が行き過ぎたために、地域社会で地域の繋がりや住民自治の機能が低下するとともに、仕事や職業からなる職域という社会も繋がりやまとまりを喪失させつつある。商店街の崩壊や限界集落の存在など地域社会での仕事の喪失と相互扶助や住民自治の機能が同時にマヒしてしまって、地域再生を求めるにはまず基盤となる雇用や就労の機会を増やさないことにはどうにもならない状況まで追い込まれている。職住接近した地域社会の再興こそ少子高齢時代の地域社会のあり方を再考するチャンスではないかと思える。なぜ地域社会の次世代の担い手が生まれないか、答えは簡単だ。若者が働き、結婚して、子育てしていける環境が地域社会では壊滅しかかっているからだ。定年退職後20年以上生きる高齢社会というのは、葬儀事業者の経営不振にみられるように、葬式をやっても会社人間はだれもやってこないわけで、なりゆき上、社葬は激変し、密葬や家族葬が多くなる。
「職域」社会のイメージは、端的にいえば企業城下町とか企業コミュニティとか社宅団地にあたるだろうが、地場産業によって支えられる地域社会あるいは雇用・就業のみならず福利厚生まで手厚い企業コミュニティを思い浮かべることができるだろう。地場産業が雇用機会を創出するとともに関連事業者の仕事を生みだし、地域の暮らしに生活物資や様々なサービスをも生み出す。大企業であれば医療保険や企業年金、福利厚生など社員の暮らしにかかわる慰安旅行からスポーツ、レクリエーションの機会の提供まで企業コミューンとしてさながら「揺りかごから墓場まで」至れり尽くせりの生活保障を用意していた。そこには、非正規職員は恐ろしく無防備な状態に捨ておかれるという実態が横たわっているにしても、正規職員には労働組合をふくめて二重三重の生活防衛ネットが張り巡らされている「職域」社会がしっかり存在していたのである。
■「知縁・結縁」の関係づくりへ
無縁社会から知縁社会へというテーマは、なんとか地域社会と「職域」社会を融合する途が開けないものかという切実な願いでもある。仕事と暮らしが結びついていた職住接近の地域社会だからこそ住民自治や相互扶助が成立しえたともいえるのである。農業、漁業にしても、町工場や商店街にしても地域社会の暮らしに根付いた職場という「職域」社会が表裏一体に存在していたから、町内会・地域自治会の活動も存立しえた。無縁社会が急速に広がってきている背景には、「職域」社会がグローバル化の波にさらわれて脆もろくも崩壊していく現実がある。地縁・血縁にもとづく地域社会へ愛着があっても「覆ふくすい水盆に返らず」、過去に戻れるわけでもない。
職住分離した時代の新しい人間関係の結び方を「知縁」というキーワードに着目すると、地域社会と「職域」社会を融合する可能性も見えてくる。既存の地縁に依存した地域社会の基盤だけでは、そのネットからこぼれ落ち、すり抜ける人びとをつなぎ止められなくなっている。流動化の激しい現代社会にあっては、意図的、選択的に繋がりを創り出していく新しい人間関係、つまり知り合ったことを大切に結び合う、「知縁・結縁」の関係づくりこそ、地域社会と「職域」社会を交流させ融合させるものなのだと訴えたい。
【Volo(ウォロ)2011年3月号:掲載】
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