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東北地方太平洋沖地震 ボランティア・NPOをめぐる動きと課題

編集委員・日本ボランティアコーディネーター協会 理事筒井 のり子
■3.11大地震・大津波の衝撃
 3月11日(金)午後2時46分頃、マグニチュード9・0という巨大地震が日本を襲った。太平洋三陸沖を震源地とする日本観測史上最大規模の地震であり、被害は東北地方を中心に東京を含む1都9県(災害救助法適用)という広範囲にわたった。そして、激しい揺れの恐怖もおさまらぬうちに、大津波が三陸沿岸地区の多くの地域に襲来。防潮堤を越え、田畑や車、家が次々と飲み込まれていくテレビ映像を前に、皆言葉を失った。
 水が引いた後、次々に悲痛な現実が明らかになっていく。町全体が消滅したかのような地域。自分の家がどこにあったのか、家族の生死すらわからない人々。氷点下の厳しい寒さの中、防寒着もなく凍える避難者……。
 3月18日には、死者が1万900人を超え、行方不明者も2万人近くに達している。避難所生活を強いられている人は当初40万人を大きく超え、現在も約18万人にのぼる。電気、ガ
スなどのライフラインが壊滅的な状況のなか、厳しい寒さで体調を崩す人が続出している。こうした地震と津波に加え、今回は原発事故が追い打ちをかけた。福島第1原発で、建屋の水素爆発、使用済み燃料棒プールの沸騰、作業員の被曝。放射能の汚染物資が東日本一帯に広がり、東京の水道水は乳児が飲めないレベルとなった。
 まさに未曾有の大災害。ともすれば不安にばかり駆られてしまう。

■地震発生1週間:ボランティア・NPOをめぐる動き
 しかし、こんな今だからこそ、一人ひとりが「自分に何ができるのか」を考え、行動していくしかない。政府や自治体の対応、マスメディア、企業の役割など、さまざまな側面から課題が論じられているが、本稿では、ボランティアやNPOの動きに絞って考えてみたい。
 マスメディア等で「ボランティア元年」とも言われた阪神淡路大震災から16年。その後、日本海重油災害、新潟県中越地震、能登半島沖地震ほか多数の水害等で、災害時のボランティア活動は確実に定着してきた。これらの段階を経てのことではあるが、今回の大震災におけるボランティアやNPOをめぐる動きには、いくつか特筆すべきことがあった。ここでは、地震発生後約1週間の動きとして、以下の5つの特徴を取り上げてみたい。

■1.ボランティアとしての成長
 阪神淡路大震災では、直後から若者を中心に多くのボランティアが被災地に駆けつけ、その機動力が驚きをもって評価された。しかしその後の災害では「とにかく現地に行きたい」という軽率な押しかけボランティアや団体が、混乱や弊害を招いたことも事実である。
 今回はどうだろう。被害地域があまりにも広範囲に渡ること、交通機関が遮断されていること、ガソリンなどが入手できないこと、原発問題があることなど、状況が大きく異なるとはいうものの、地震発生から数日間、随所で冷静な判断や発信が見られた。インターネットやツイッターなどで経験のないボランティアの安易な現地入りをいさめる情報提供がなされていたことも大きい。「自分に何ができるのか、何をしてはいけないのか」をしっかり考える人が増えたという点で、日本社会におけるボランティアの層の厚みを感じることができた。

■2.多文化・多言語を意識した対応の素早さ

 NPO法人多文化共生マネージャー全国協議会によって「東北地方太平洋沖地震多言語支援センター」が開設されたのは、地震発生当日の午後7時だった。その後、東京外国語大学の多言語・多文化教育研究センターが17言語での「東日本大震災に関する被災者向け情報〈多言語版〉」のサイトを開設するなど、スピーディな対応が各所で見られる。こうしたことは、阪神淡路大震災以降の多文化共生に関する地道な市民活動の蓄積の成果といえるだろう。
 また、13日午後から首相官邸で行われる記者会見に「手話通訳」が配置された。これも今までにはなかったことであり、ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョン(社会的包摂)の観点からも大きな進歩と言える。

■3.NPO間のネットワークづくりの取り組み

 阪神淡路大震災の折、神戸で活動する支援団体のネットワークができたのは、地震発生から約2週間後だった。今回は、3日後の14日に東京で「東北地方・太平洋沖地震救援ボランティア意見交換会」が開催され、さまざまな分野のNPO/NGO(約30団体)が集まり、情報共有とネットワーク構築が話し合われた。同日の夜には、関西でも大阪ボランティア協会の呼びかけにより、同様の集まりが開かれた。こうした動きが各地で見られた。
 災害救援系はもちろん、社会福祉系、国際協力系、中間支援組織、経済団体、助成団体など、活動分野や内容の違いを超えてつながろうとする動きが見られたのは、この十数年の日本におけるボランティア・市民活動の成熟の証といえるだろう。

■4.具体的な形となった「政府とNPOの連携」

 政府は、13日午後に災害ボランティア担当の首相補佐官に辻元清美衆議院議員を任命、16日には内閣府に「震災ボランティア連携室」を設置した(室長は湯浅誠氏)。いずれも、これまでの災害対応にはない新たな取り組みである。16日には、NPO側の呼びかけに応じ辻元氏や湯浅氏の出席のもと「震災ボランティア・NPOと政府の連携を考える会」が開催された。この「震災ボランティア連携室」
のスタッフとして、NPO/NGOから人材が投入されることになった。こうしたことは、16年前には考えられなかったことである。

■5.ボランティア・NPOを資金的に支援するしくみづくり

 阪神淡路大震災の折には、直後から各地で様々な募金活動が始まり、最終的には1790億円を超える額の義援金が集まった。しかし、被災者数の多さゆえに、結局、死亡者・行方不明者の遺族へは1人あたり10万円、全半壊・全半焼世帯には10万円の配分(ただし、第1次配分)にしかならず、経済的困窮にあえぐ被災者は後を絶たなかった。
 同様に、資金面で苦しんだのは、被災地で支援活動を行っているボランティアやNPOだった。当時は、もちろん「義援金」(被災者への支援)の募集・配分をする仕組みはあったが、「活動支援金」(被災者を支援する市民活動団体への支援)を集約し、小規模なところも含めて必要とする団体に配分するという組織や仕組みはなかった。今回の大震災では、この「活動支援金」の重要性について早くから発信され、その仕組みづくりがなされたことは特筆すべきだろう(注1)。

■今回の災害の特徴とボランティア活動の難しさ

 さて、地震発生から2週間を経過した現在、専門家による救助・救援期を経て、一般のボランティアが被災地での活動を本格的に開始しようとしている。被害が甚大であるため、今後、より多くのボランティアが被災地へ出向いて支援活動を行うことが期待されている。しかし一方で、今回の大災害は未経験の状況がたくさんあり、従来の災害ボランティア活動と同じようにはいかない、という声も聞かれる。
 3月26日に大阪ボランティア協会と日本ボランティアコーディネーター協会の主催による「被災者主体の災害ボランティアコーディネーションを考えるつどいin大阪」が大阪市内で開催され、社会福祉協議会(以下、社協)やNPO/NGOスタッフ、企業CSR担当者など約120人が集まった(近畿2府4県と大阪市、堺市、神戸市の社協が共催)。このつどいでは、実際に被災地へ出向いて状況把握を行い、災害ボランティアセンターの開設や運営に携わった社協や大阪ボランティア協会スタッフからの報告がなされた。その内容を踏まえて、今回の災害の特徴との関連で、ボランティア活動をめぐる難しさについて整理してみたい。

■①被災地が広範囲にまたがっていること 災害ボランティアセンターの開設・運営の困難さ

 被災した地域が広範囲ということは、災害ボランティアセンターの開設と運営に、近隣市町村や近隣県の社協等の応援が期待できないということである。自らも被災している限られたスタッフだけで、また土地勘や人的つながりのない遠方からの応援スタッフだけでは、ボランティアの受入体制を速やかに作ることはきわめて困難であった。

■②鉄道遮断、ガソリンが手に入らない事態であること 被災地へのアクセスがきわめて難しかった

 阪神淡路大震災の時は、翌日の始発から複数の鉄道が動いた。そのため、被災地に負荷をかけないような日帰りのボランティアがたくさん被災地へ赴くことができたが、今回はまったく事情が違った。そのため、①の特徴とも合わせて、経験のあるボランティア(団体)が完全に自己完結(水、食料、ガソリン、宿泊など)できる準備をして入る以外、一般のボランティアはなかなか被災地に入ることはできない、また入ってはいけないという状況が長く続いた。

■③「地震」「津波」「原発」というトリプルの打撃であること ニーズ・活動内容が被災地域や人により大きく異なる

 「被災地」と一口に言っても、地域によってその状況やニーズが全く違うのが今回の特徴である。沿岸部で津波被害に遭ったところは、まだ多くの遺体が眠っておりボランティアが入れない。かろうじて家が残ったところは水害のニーズ、内陸部へ行くと地震被害のニーズ、さらに、原発の周辺では被爆への不安に加え救援物資も届きにくく、さらに風評被害など、まったく様相の異なるニーズが生じている。
 また、同じ避難所にいる被災者間でも状況の差が大きいという。例えば水害であれば、泥かきや拭き掃除等ある程度ニーズが共通しているため、被災者も依頼しやすく、また初心者のボランティアでも取り組みやすい。しかし、今回は、トリプル災害であるためニーズの個別性が高く、そもそもニーズの把握自体が難しいということが指摘されている。

■個別に対応できるボランティア

 2週間を経過して、上記の①と②は徐々に状況が変わりつつある。鉄道の復旧はまだ時間がかかるが、ガソリンや道路事情が回復し、また災害ボランティアセンターも東北地方ですでに約60カ所になり、少しずつ県外からのボランティア受付も始まっている。しかし、③の問題は、むしろこれからますます大きくなってくるだろう。
 すなわち、ニーズの個別性の増大である。先に説明したように重層的な被害だったことに加えて、時間が経過するにともなって一人ひとりの被害状況の差が顕著になっていくからである。阪神淡路大震災のときにも、地震発生から1週間は、「避難所手伝い」と「緊急生活支援」(水くみ、物品提供など)が中心だったが、その後は、家が倒壊した人、片付ければ住める人、保育や介護が必要な人、仮設住宅へ移った人など、それぞれの状況によって必要とされる支援の種類と対応の仕方が異なっていった(注2)。
 こうした、一人ひとりのニーズに丁寧に応えていけるのが、ボランティアの本来的特性だ。救助・救援期には、力を発揮できない(むしろ、マイナスにもなることもある)遠方からの一般ボランティア(災害救援に関する特別の技術がないという意味)も、これからは、一人ひとりの被災者に寄り添い、共感を土台にして活動を展開していく存在として、力を発揮していけるはずだ。

■ボランティアコーディネーターの存在は、被災された人々の「受援力」を高めるカギを握る

 しかし、そのためには前提条件がある。一つは、被災者からのニーズをどれだけ発掘し受け止めることができるかということだ。人によって被害の差があるということは、声高に「困っている」という声をあげにくいということでもある。ましてや東北の方々の気質はそうだろう。先の「つどい」で長谷部治氏(神戸市長田区社協)は、「支援を受け入れようとする力(受援力)」をいかに高められるかが問われると指摘している。それがなければ、ニーズは顕在化していかない。災害ボランティアセンター等でこうした取り組みをしていかなければ、活動待ちのボランティアが大量に発生するといった事態を招いてしまう。
 もう一つの条件は、ボランティアの側に深い共感力と自主性が備わっていることである。これだけの甚大な被害である以上、予定どおり、依頼どおりにはなかなか事は進まない。少々の行き違いがあっても、被災地や被災者の「今」の状況への共感があり、本当に主体的に参加しているボランティアならば、臨機応変に行動してもらえることは、阪神淡路大震災の時に経験済みである。
 このように、被災者の側の「支援を受け入れようとする力」を高め、ボランティアの側の共感力と自主性を高めるためには、力量のあるボランティアコーディネーターの存在が不可欠であることは言うまでもない。
 さらに今回は、ボランティアコーディネーターの役割の一つである危機管理の視点も大変重要となる。一般に地震災害の場合、アスベストの飛散が増えやすい点の配慮が必要だが、今回は放射能被爆に関する正しい知識を持つことも必要だ。過度に不安をあおることなく、しかし特に若い世代ほど危険性が増すこと、事前の予防対策をしておくことなどの告知や助言も必要だろう。
 これから、長期にわたる被災地の人々への支援活動において、ボランティアのもつ力が十分に発揮されていくことを願っている。
(※本稿は、3月28日に執筆されたものです。)

注1) たとえば、15日に中央共同募金会が「地震災害におけるボランティア・NPO活動支援のための募金」を開始し、18日に日本NPOセンターは市民社会創造ファンドと協力して「東日本大震災現地NPO応援基金」を設置した。


注2) 『震災ボランティア:『阪神・淡路大震災被災地の人々を応援する市民の会』全記録』第3章参照

【Volo(ウォロ)2011年4月号:掲載】

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