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橋下改革に揺れる大阪の夜間中学-夜間中学生・髙野雅夫さん45年ぶりの行脚で危機を訴える

編集委員牧口 明
 髙野雅夫さんは、本誌09年11月号から10年1・2月号の「語り下ろし市民活動」にご登場いただいたので、ご記憶の方もおありかと思う。
 戦前、旧満洲(現・中国東北部)で生まれ、5~6歳の頃に戦争孤児としてたった1人で帰国。あらゆる制度的な生活や教育の保障を受けることなく「野良犬のような」生活を10年ほど送ったあと夜間中学と出会い、文字とコトバを獲得して奪われていた人間性を取り戻した体験から、夜間中学の存在意義を一貫して主張してこられた。
 その髙野さんが、この6月初めから7月末にかけて大阪を中心に京阪神を行脚された。理由は、橋下大阪市長が大阪府知事時代に実施した、夜間中学生に対する就学援助費と補食給食費の補助金カットにより、府内に11校ある夜間中学生たちの学びの保障が危機にさらされているからである。
 この就学援助費というのは本来、義務教育段階の児童・生徒の学習権を保障するために、生活保護法の教育扶助を受けている家庭以外で一定の条件に該当する家庭の保護者に支給され、国と市町村が費用を分担することになっているものである。しかし夜間中学生の場合、学齢期を過ぎているとの理由で国がその費用分担を一貫して拒否して来た。そこで大阪府では、全国に先駆けて71年に夜間中学生に対する就学援助を制度化し、国に代わって2分の1の費用を分担してきた。
 橋下前大阪府知事は、その就学援助費の分担金(07年度実績で1860万円)を、「国と市町村で負担すべきもの」との理由で09年度で打ち切ってしまったのである。あわせて補食給食費への補助(07年度実績で1053万円)も打ち切られた。
 この事態に対して、近畿夜間中学校生徒会連合会を中心とする夜間中学生と教職員、関係者が立ち上がり、署名運動、府会議員や知事への手紙作戦、教育委員会との直接交渉等、さまざまな取り組みを展開したものの、通学交通費への補助を2年延長(10年度まで継続)させただけで、補助金廃止の基本方針を変えることはできなかった。
 現在、府内の各自治体では、その自治体に居住する夜間中学通学者に対して就学援助の措置を取っているが(※1)、給食費への補助については、夜間中学を設置している府内7市(※2)のうち豊中市と堺市、東大阪市が実施しているに過ぎず、4校を設置している大阪市では廃止された。この影響のみとは断言できないかも知れないが、大阪市を含む府の夜間中学生の生徒数は、09年度の1511人から11年度の1206人に、毎年100人を超える減少を続けており、今年度はさらに減少が予測されている。
 夜間中学は、第2次世界大戦後の1947(昭和22)年に大阪市立生野第二中学校(現・勝山中学校)に夕間学級が開設されたのが始まりとされる。その後、横浜、神戸、東京などに次々と開設され、ピーク時の50年代半ばには全国で100校以上の夜間学級が開設されていたと言われる。
 開設当初の生徒は、戦中・戦後の混乱やさまざまな社会的差別による生活苦などから十分な義務教育を受けることができなかった人たちが中心であったが、近年では、それらの人びとに加えて、在日コリアンやニューカマー(※3)、中国残留日本人帰国者なども通学している。事情はそれぞれ異なってはいるが、いずれも、日本の社会で生きていく上で最低限必要とされる日本の義務教育を受ける機会を得られずに、日々の生活の中でさまざまな不利益を強いられている人たちである。
 この夜間中学に関しては、その開設以来一貫して、国や自治体をはじめ関係者の間に「学齢超過者の学習保障は社会教育で」との主張がある。筆者はかつて、本誌の前身である『月刊ボランティア』第132号(78年2月発行)で、夜間中学校について、「あってはならない」けれども「なくてはならない」存在と表現した。なぜなら、夜間中学生が求めているのはあくまでも「奪われた公教育の学習の保障」であって、単なる学習機会の提供ではないからだ。このことの最も分かりやすい例証は、夜間中学で学んだあと夜間高校、さらには大学まで進学する生徒がいる事実である。夜間中学は卒業すれば卒業資格が得られ、次のステップへの確実な踏み台となるのである。
 夜間中学はこれまでにも幾度か存続の危機に見舞われてきた。よく知られているのは、66年11月に、当時の行政管理庁が出した「夜間中学校の早期廃止勧告」である(※4)。この時、この勧告に反対して、「廃止よりも増設を」と立ち上がったのが髙野さんだった。勧告の翌年の67年は、髙野さんの母校、東京都荒川区立第9中学校夜間部開設10周年に当たっていたこともあり、髙野さんは、恩師や級友たちに働きかけて記録映画『夜間中学生』と記念誌『ぼくら夜間中学生』を制作、それを持って、同年9月から夜間中学の存続と増設を求める全国行脚の旅に出たのである。今月は、その全国行脚スタートからちょうど45年になる。そして、現在大阪にある夜間中学のほとんどは、この時の髙野さんの働きかけの直接・間接の影響を受けて開設されたものである。
 夜間中学は、中学とは言うものの、生徒の中には平仮名の読み書きすらままならない人たちも少なくない。その半数は60代以上の高齢者だ。その高齢の「中学生」が「あ・い・う・え・お」から学びなおし、文字と言葉を獲得する過程で、読み書きができないために奪われてきた人間としての尊厳を取り戻し、学ぶ楽しさと学ぶことの深い意味を体感している。そこには、受験中心の現代の教育では見えにくくなっている「学び」の原点がある。学びの原点とは、学びによって人間がより人間らしくなることである。髙野さんが夜間中学で学ぶことによって、「それまで野良犬のような生活をしていた自分が人間になった」と言うように。
 このことに関連して、大阪府守口市立第三中学校夜間学級の白井善吾先生が、同校を訪れたある高校生の言葉を紹介してくれた。その高校生は、夜間中学生の眼の輝きに驚き、さらに、「自分はこれまで、学習の『習う』ことはしてきたが『学ぶ』ことはしてこなかったように思う。これからは、習うだけでなく学ぶことをしっかりしていきたいと思う」と語ったと言う。髙野さんは、こうした「昼間の教育を問い直す存在」としての夜間中学に大きな意味を見出している。
 折から今年は、「国連識字の10年」の最終年でもある。文字と言葉を学ぶことは全ての学びの出発点であるとも言えるが、成人の識字率が99%を超える日本では、逆にこのことが見過ごされがちである。夜間中学は、このような学びの原点にあるものを私たちに示してくれている。その社会的価値の大きさを考えれば、就学援助費と補食給食費の分担金約3000万円は、府にとって決して過大な負担ではないと思われるのだが、髙野さんたちの闘いはしばらく続きそうである。

※1:府内43市町村中、夜間中学通学者が居住するのは35市町。
※2:大阪市、堺市、東大阪市、豊中市、守口市、八尾市、岸和田市の7市。
※3:1980年代以後増加している、中国、東南アジアやブラジル等からの来日定住者のこと。11年末でおよそ150万人と推計されている。
※4:「いわゆる『夜間中学』については、学校教育法で認められておらず、また、義務教育のたてまえからこれを認めることは適当でない」との理由で「なるべく早くこれを廃止するよう」との勧告が出された。

【Volo(ウォロ)2012年9月号:掲載】

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