ボラ協のオピニオン―V時評―

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「参加」で創る市民活動の「自立」

編集委員早瀬 昇

■「維新」の重視する価値観は〝自立〟
 12月16日の衆議院議員選挙の投開票を前に激しい選挙戦が続いている。3年前の総選挙では「政権交代」が注目されたが、今回は支持するしないはともかく、日本維新の会や日本未来の党などの新興政党のゆくえも注目点の一つだろう。
 このうち、日本維新の会の綱領で目立つ言葉の一つに「自立」がある。いわく「維新の目指す国家像」として「日本維新の会は、個人の自由な選択と多様な価値観を認め合う社会を前提に、『自立する個人』、『自立する地域』、『自立する国家』の実現を目指します。自立する地域が、自立する国家を支え、自立する個人を育てます」とある。
 辞書で「自立」の意味を調べると、「他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること」(大辞泉)。会の政権公約に掲げられていた最低賃金制度の廃止や解雇規制の緩和も、この「他(=行政?)からの助力を受けず」という意味での「自立」観を重視する発想の延長だと考えれば、確かに一貫性はある。

■障害者運動に学ぶ「自立」 
 では、市民活動などの非営利活動の場合、「自立」しているとはどのような姿なのだろうか?
 なぜ、このようなことを考えるかというと「ボランティアや寄付に〝依存〟せず、事業収入で〝自立〟して運営していきたいと思います」という市民活動関係者に、時々、出会うからだ。確かに先の辞書の定義をふまえると、ボランティアや寄付者の「助力を受け」ることは、自立していないことになる。しかし、ボランティアや寄付者の協力を得ることは、市民活動の「自立」を損なうことなのだろうか? もしそうならば、ボランティアや寄付者は、本来は「いない方が良い」存在になってしまう。それはどうもおかしい。では、市民活動などの非営利活動の場合、「自立」とはどのような状態と考えるべきなのだろう。
 このテーマを考える時に参考になるのが、親元や施設を出て暮らす「自立生活運動」を進めてきた障害者運動の中でつちかわれてきた「自立」論だ。
 障害者の自立という時、以前は、自分の身の回りのことを自分でできる「身辺自立」と、大人と呼ばれる年齢に達したら働くことで収入を得て生活を成り立たせる「経済的自立」ができることだとされてきた。しかし、障害が重ければ重いほど、双方とも極めて困難になる。
 そこで、「他者の介助を受け、年金や生活保護で生活を支えていても、その人生において自ら決定することを最大限尊重されることが自立だ」という考え方が広がってきた。たとえば全国自立生活センター協議会では、「1人で生きるなんて、そもそも無理な話です。朝食べたパンの原材料の小麦は誰かがつくったもの」「生まれたときから、誰でも自分以外の人とかかわりながら生きています」とした上で、「危険を冒す権利と決定したことに責任を負える人生の主体者であることを周りの人たちが認めること」が自立生活だとしている。
 つまり、他者の多様な応援を受けつつも、自らの意志で自由に生きていくことが自立だということになる。

■「参加」を得て、共に創造する

 もっとも、ボランティアの応援を受けながら「自立」する際に、障害者の側が遠慮したり、申し訳ないという感情を抱いたりする場合もある。そこで、両者が対等に向き合える関係を築く必要がある。これはボランティアコーディネーションでの重要なポイントの一つだ。
 障害者などの当事者とボランティアが対等な関わりを築く鍵は、当事者の願い・夢をボランティアが共有し、両者が協力して共通の目標を実現する関係になることだ。これは、「私、助ける人。あなた、助けられる人」という関係ではなく、当事者の抱える課題を、当事者とともに解決する仲間・同志として関わる立場となるということでもある。そして、このような関わりが成立する時、ボランティアの立場は、「支援者」というよりも、障害者との協働活動の「参加者」になっているとも言える。
 このように障害者の自立生活運動における「自立」とは、誰にも頼らないのではなく、逆に多くの人々の協力を得ることによってこそ実現するものなのである。

■「参加」の受け皿としての市民活動

 障害のある人たちがつちかってきた「自立」についての新たな発想法は、市民活動などの非営利活動を進める際にも重要だ。市民活動団体でも、活動を専従スタッフだけで担ったり、予算を事業収入だけでまかなったりするのではなく、目標を共有する人を増やし、ボランティアの参加や寄付なども支えにしつつ「自立」的に運営する道があるということになるからだ。
 しかし、このような「参加による自立」的運営が実現できている団体が多いわけではない。NPO法人の41%は事業活動に関わるボランティアが一人もおらず、51%は1円の寄付金収入もない。こんな実態が今年8月に公表された「平成23年度特定非営利活動法人の実態及び認定特定非営利活動法人制度の利用状況に関する調査」(内閣府)で明らかになった。
 確かにとても多くのボランティアが事業推進や組織経営に参加している大阪ボランティア協会でも、寄付や補助金系の収入は総収入の3分の1程度。参加型の財源を中心にして事業を進めるのは大変だ。しかし、まったく寄付を受けていない……ということでは、社会からの共感と参加の扉を閉ざしていることになる。
 以前の本欄(注)で解説したように、市民活動には、市民が活動に参加することで当事者に〝なる〟人を増やすという、重要な存在意義がある。市民が社会の課題を自らの課題だと実感し、他の人々と助け合いながら課題の解決に取り組む。そんな営みの広がりを生み出す「参加の受け皿」「協働の場」として、市民活動があるとも言える。
 だからこそ市民活動は「参加による自立」を目指したいし、市民活動が活発化することで、市民の参加によって課題を解決していく社会を築いていくことが大切だと思う。

 ところで、この「参加」というキーワードで各党の綱領や政権公約を見ると、「TPP参加」などしか出てこない党もあれば、市民の社会参加活動の促進に言及している党もある。「私に任せて下さい」と叫ぶ候補者たちが多いものの、社会の課題を市民とともに解決しようとする候補者もいる。この「参加」の扱い方は、その政治姿勢を評価する上で、案外、面白い指標になるかもしれない。

(注):本誌09年12月号の本欄「『巻き込まれる』ことの意味」

【Volo(ウォロ)2012年12月号:掲載】

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