ボラ協のオピニオン―V時評―

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サイレント・プア/無縁社会を考える

大阪ボランティア協会 理事長牧里 毎治

 この4月から6月にかけて放映されたテレビドラマ『サイレント・プア』(NHK総合で全9回放送)を視聴されただろうか。深田恭子さんが主演したコミュニティ・ソーシャル・ワーカー(CSW)の物語である。東京下町を舞台にゴミ屋敷の高齢者やひきこもりの青年たちの支援を社会福祉協議会(社協)に勤務するCSWの「里見涼」が市役所の地域福祉課職員や民生委員、近隣住民たちと協力し合って展開するストーリーである。さりげなく地域福祉や民生委員の言葉が飛び交い、社協の看板が映像の背景に登場し、社協やCSWの名称が頻繁にセリフに出てくることは地域福祉に関係する視聴者の一人として嬉しい気分にさせられる。しかし、この放映をただ喜んでいいと暢気なことを言っているわけにはいかない。このドラマは生活困窮をテーマにしており、無縁社会の一面を鋭く抉り出している作品だからである。
 制度の谷間にこぼれ落ちて、福祉関係者や行政職員の訪問を拒んだり、近隣住民とトラブルを起こしたり、あるいはセルフ・ネグレクト(自己放棄)による引きこもりのために存在すら無視されている事例など満載である。ドラマ仕立てなので、やや誇張されすぎた筋書だという面もないではないが、現実に起きている生活困窮への取り組みであり、物言わない住民が想像以上に現代社会に存在していることの警鐘にはなっている。このCSWが活躍するシナリオの素材は、実際に大阪府豊中市で取り組まれている実話である。
 貧困の諸相には経済的貧困だけでなく、健康問題や文化的貧困など複合的に問題を合わせ持つことが古くから指摘されてきたが、今日的な様相としては社会保障制度や社会福祉制度が生活困窮者を結果として排除してしまうという現実がある。貧困は伝統的には個人や家族の責任とされ、そのイデオロギーとの闘いの成果物として社会保障や社会福祉は制度化され、福祉国家の基礎として確立したにもかかわらずである。生活技術の未熟さや意思疎通の困難さ、人間関係のつまずきなど個人的属性をきっかけに、申請手続きや事務処理の煩雑さ、資格要件の厳格さの壁などが、生活を支援するはずの社会制度から、生活困窮者を排除してしまう結果を招くのだ。無縁社会の谷底に社会的にサイレントで脆弱な人びとを引き込んでしまう現象は、まさに市民社会の基盤である社会関係の崩壊や弛緩が、特定の階層をターゲットにして、貧困と絶望の淵に静かに何事もなかったかのように連れ去ってしまう不気味な現実を物語っている。
 無縁社会とはうまくネーミングしたもので、職場を失い、家族や仲間を失い、近隣関係も失う孤立無援のネットワーク喪失状態を表している。この世には誰にも気づかれずに、つながりもなく市民社会の谷間に棲息している人たちが存在していることに気づき、ソーシャルキャピタ(社会関係資本)とよばれる社会の絆、信頼、連帯、協働するネットワークが劣化し崩落しつつある市民社会そのものを再生させることが市民活動に求められている。
 「生活困窮者をもう一度、市民社会に生還させる支援が必要だとしても、差別と格差の蔓延する現代社会に戻すだけで解決したといえるのだろうか」という根本的な問いかけをこのドラマは語っていた。もの言えず、絶望に打ちのめされ、自分の存在を訴える術も資力も持たない危うい立場に立たされている人びとがいる。個人の責任、家族の責任で済ませてしまう今日の無縁社会は、社会のお荷物、厄介者とされやすい生活困窮者を無情に切り捨てる態度を温存し、普通だと思っている住民をも脆弱な順番に捨て去り、いつかは弱い市民である「私」も人知れず葬っていく市民社会なのだ……と知るべきなのだ。

【Volo(ウォロ)2014年8・9月号:掲載】

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