ボラ協のオピニオン―V時評―

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「市民の記録」の意味

編集委員磯辺 康子

 東日本大震災の特徴の一つは、市民による記録が数多く残されていることだろう。デジタルカメラやスマートフォンの普及で、映像や写真は膨大な数に上り、インターネットを活用すれば自ら世界に発信することも可能になった。そこが、19年前の阪神・淡路大震災とは大きく違う。
阪神・淡路大震災当時、携帯電話を持っている人はほとんどいなかった。写真の多くはフィルムで撮影され、さまざまな団体の記録も印刷物が中心だった。
 一方で、公的機関だけでなく、市民が記録を残す活動が盛んになったのは、阪神・淡路大震災がきっかけだったともいえる。それは「ボランティア元年」といわれた動きと無縁ではないだろう。過去の災害に比べると、政府や自治体ではなく、市民の視点で災害像や復興過程を捉えた記録が飛躍的に増えた。
 その一つに、民間団体「阪神大震災を記録しつづける会」が震災から10年間、発行し続けた手記集がある。会は神戸市内で翻訳・出版の会社を営んでいた故高森一徳氏が、震災直後に立ち上げた。10年間で10冊発行すると決め、毎年、手記を公募。合わせて434編が掲載された。
 「市民の記録」には重要な意味がある。その一つが多様性だ。
 「記録しつづける会」は、被災者に限らず、国内外の多様な人々から手記を募った。ボランティアとして被災地に入った人がつづった文章もある。その中で、印象的なのが「何もできなかった人」の手記だ。
 震災直後、友人2人と車で神戸に向かった神奈川県の男性は「私たちの心は妙な正義感と、失礼ですが、お祭り気分に満たされていました」とつづる。だが、自身に必要な物資も用意せず、とりあえず被災地に入った彼らは、テレビ画面ではない生身の被災者を前に「私たちに何ができるのだろう」と自問する。そして、結局何もせずに引き返す。
 彼らのように「活動しなかった人」の存在は、ボランティア団体の記録には残らない。もちろん公的な記録にも残らない。しかし実際には、そういう人も少なくなかったのではないか。
 「記録しつづける会」に手記を寄せた中には、直接の被害を受けていない人も多い。被災してうつ病を発症した父を、東京で案じる娘。単身赴任先の神戸から岡山に戻って「後ろめたい」という夫を、心配しながら見守る妻。震災は、被災地外の人々の暮らしにもさまざまな形で影響を及ぼすことが分かる。
 こうした「普通の人々の体験」は、災害の危機が何気ない日常の中にも潜むことを伝える。津波で家族や家を失うような経験は「非日常の出来事」と捉えられるが、日々の暮らしの延長にあるような経験は、読む人に「自分にも起こるかもしれない」という感覚を芽生えさせる。
 公的な記録は、無味乾燥なデータと表面的な内容になりがちだ。しかも、どちらかといえば成果が強調される。被災者から見た災害の姿とずれていることも多い。そういう意味でも、市民自らが記録を残す意味は大きい。
 災害から年月を経るごとに記録は減少していく。一方で、被災者が抱える課題は変化し、深刻になっていく場合もある。東日本大震災の「市民の記録」は、私たちに多面的な震災の姿を教えてくれるが、直後の被害の記録だけでなく、長い復興過程をしっかりと残していく必要があるだろう。データが膨大だからこそ、散逸させない努力も欠かせない。
 私たちは何のために記録し、発信するのか。受け取った人々にどう生かしてもらうのか。だれもが記録できる時代になったからこそ、自分が書き、撮影し、伝える意味を立ち止まって問うてみることも必要だと思う。

【Volo(ウォロ)2014年8・9月号:掲載】

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