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「ボランティアが足りない」が伝えること、伝えないこと~広島土砂災害支援の現場から

大阪ボランティア協会 事務局長水谷 綾

 8月20日に広島市安佐南区八木地域を襲った土砂災害は、都市型の局地的災害であるため、山の麓を走るJR可部線は9月上旬に復旧し、ボランティアが現地に入りやすい状況になった。しかし、実際の現地は急なこう配と細い道で重機や土砂を運ぶ車両が通るのも困難で、周辺地域には大きな駐車場もないため、地域に馴染みのないボランティアが活動しやすいものではない。
 そんな状況であるにもかかわらず、発災直後から地域の悲劇を伝えるメディアは過熱し、8月末に駆けつけたボランティアは2500人以上に及んだ。発災から1カ月が経った時の報道も然りで、「被災地では多くのボランティアの支援を求めている。昨日まで延べ3万7000人以上、土日の多い時は1日3000人のボランティアが参加してきたが昨日は約900人にとどまった」(9月20日の「報道ステーション))といった具合だ。そこには、「どこの誰が」「どういう手助けを求めているのか」「『多く』というが、具体的な程度は」といった本質は示されず、「足りない」という言葉が先行し、どういうニーズがあるかはあまり触れられていなかった。
 しかし「地域」は違った。八木地区の住民で、安佐南区で障がい児発達支援センターとボランティアセンターを運営するNPO法人ひゅーるぽんの代表・川口隆司さんは、発災直後から団体のFacebookを通じて被災地域の様子を丁寧な言葉で綴っている。今回の災害では、被災直後から地域の人々による助け合い活動が機能したこと、避難所や施設がミニ・ボランティアセンター機能を発揮したこと、また、自治会関係者と災害ボランティアセンターのスタッフが協働してニーズを拾うといった地域の動きを詳細に伝え、東日本大震災での経験との違いも解説するなど、とても細やかな当事者ならではの発信にはっとさせられるものがあった。
 広島市の災害ボランティア本部も、災害ボランティアセンターに寄せられるニーズをもとにボランティアの必要数を日々発信し、ボランティアへの注意事項や今のニーズの動きなどを逐一アップしてきた。被災現場を支えるためには、数が大事とはいえ、数さえ投入されたらすべてが解決、とはならない。様々な人が出入りする現場は、ボランティアが担える復旧作業の内容や受け入れ可能な物理的な環境整備まで熟慮する必要があるからだ。
 私自身、9月中旬に安佐南区災害ボランティアセンターの運営支援に入り、「足りない」という声に個別に接したことが幾度かあった。しかしそれは「数が足りない」とは少し違う。どちらかというと、ボランティアへの対応や周囲の環境変化による疲労感、地域の「次」が見えないことへの苛立ち、生活再建に向けた不安な心情など、様々な心情が入り混じっていて、「今までの支援が終わってしまう」不安に寄り添うことが必要であった。
 これら個別の発信や声に、光が当てられることがほとんどなかったことの要因は何だったのか、改めて考える必要がありそうだ。
 復旧時の被災地は、非定型そのもの。ある『型』を当てはめようとすると無理が生じる。「悲劇的だ」「状況が悲惨である」といった伝え方だけでは、ある一面を捉えたことにしかならない。被災地を2日くらい歩けば、他に伝えるべきことがあったのではないか。数値を示すだけなら、行政情報で十分だろう。住民が助け合いながら元気を取り戻す風景、避難所や町会のエリア拠点でのボランティアと地域の方とのふれあいなど、ボランティアの動きがどう地域に作用したか、も伝えてほしい。泥がなくなった公園に、子どもたちが戻ってきた風景がそこにはある。この風景を取り戻していくのに、本当に足りないことは何かをもっと拾い上げて、メディアは伝える必要があるのではないだろうか。

【Volo(ウォロ)2014年10・11月号:掲載】

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