ボラ協のオピニオン―V時評―

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地方議員を「見て」選ぶ ~質向上へ、できることから

編集委員長増田 宏幸

 「号泣県議」のインパクトは絶大であった、と改めて思う。地方議員による不明朗な政務活動費の使途、行政職員への口利きや顔利かせ、あるいは威迫といった問題は、いつから存在しているか分からないほど古くからあった。にもかかわらず、我々は無関心だったり鈍感だったり、何となく見過ごしたり、諦めたりしていた。それが彼によってかつてないほど白日の下にさらされ、多くの人の関心を集めた。議員諸氏は今、注がれる厳しい目を意識しているだろうし、過去の不正が露見しないか、戦々恐々としている人もいるかもしれない。だが本質的には、どうすれば「喉元過ぎれば……」とならないか、予防を考えることが大切だ。
 違法・不正な行為をなくすには、何より議員の質を高めることが必要だろう。号泣県議だけでなく、近々には東京都議会のセクハラ野次、大阪府議のLINE問題など、議員の見識や資質を疑わせる出来事が相次いだ。筆者の住む金沢市でも、市議会副議長が飲食店の女性経営者を殴るなどして傷害容疑で逮捕され、今年8月に議員辞職する事件があったばかりだ。そもそも、こうした議員を当選させない術はないものだろうか。
 有権者からすると、候補者の良し悪しを判断する情報、特に悪い情報が少ないという課題がある。新聞、テレビなど「マス」なメディアは、マスであるがゆえに公平性を求められる。特に告示後は、明白な事実や証拠がない限り、特定の候補者にダメージを与えるような報道はできない。号泣県議などは、後から見れば明らかに不適格に思えるが、仮に気づいても取材する側の印象や憶測だけでは報じられない。メディアや警察に悪意があり、選挙前に事実無根の報道や逮捕があった場合を考えれば、やむを得ないことではあろう。
 ではどうすればいいのか。単純ではあるが「百聞は一見にしかず」、有権者が候補者を直接見るのが最も有効ではないだろうか。
 筆者は学生時代に東京で、ある市議の選挙運動に関わったことがある。時は1987年4月、中曽根内閣による売上税創設が最大の争点となった統一地方選だ。その選挙運動で目にしたのは、売上税について極めて知識に乏しい候補者の姿だった。街頭演説では、支援を受ける政党が作ったパンフレットを手に持って棒読み。しかも所々つかえるため、横で見ていてハラハラするほどだった。ところが演説を聴く有権者は一人もおらず、声は虚しく団地の壁に反響するのみ。関心がないと言ってしまえばそれまでだが、候補者を目の当たりにすれば得られる情報は多いのに……というのが実感だった。
 また、当時はメディアと言えば「マス」しかなかったが、今は違う。有権者はツィッターやフェイスブックなど情報の発信・拡散ツールを手にし、ネット選挙も解禁された。虚偽や誹謗中傷でなければ、特定の候補者を落選させるための運動もできる。国政選挙では既に功罪含めて実例があるが、地方選挙でこそ活用できないだろうか。実地に候補者を見て、自分の判断を発信する。受け取る側は、書き込みの内容や言葉遣い、発信者の属性など、読み取れる全ての要素から信頼性を判断する。個人では限界があっても、多くの人が参加することで有効な情報ネットができる。疑問があれば、自ら確かめに行けば良い。
 NPOも、地域福祉や街おこしなど団体のミッションに沿って候補者の政策・主張をチェックできるだろう。それに関する論評は法に抵触するものではないし、有権者にとってより現実的で、質の高い情報になり得る。
 30年前と比べ、地方議員や地方議会も相当に変化しているのは確かだ。旧態依然たる「旦那の名誉職」とは一線も二線も画し、市民の立場で政策本位に活動する人が増えた。それでも、この流れをもっともっと強めなければならない。少子高齢化を背景に消滅自治体が取り沙汰される中、地域の未来に関与するプレーヤーがボンクラでは、先行きが思いやられる。来春は統一地方選。何より有権者、当事者自身の問題だ。

【Volo(ウォロ)2014年10・11月号:掲載】

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