ミラクルボランティアは、どこにいる?
「ミラクルなボランティアがいる団体を、紹介してください」。
あるNPOの代表からの相談で、こんなことをたずねられた。新事業をボランティアの参加で盛り立てたいという強い希望とのこと。「み、みらく る?」。戸惑い気味に聞き返すと、「ミラクルです」とおっしゃる。個性豊かなボランティアとか、スキルをもったボランティアなど、熱心なボラン ティアを見ることはあったが、「ミラクル(神技的)なボランティア?とはなんぞや……」と、一瞬、首を傾かしげてしまった。
ボランティアは、派手さはないが、今、”熱い”のかもしれない。この春から介護保険の要支援者に対する介護予防給付は地域支援事業として、住民 の共助による取り組みが期待されている。各地に広がっている市民後見人制度だって一種のボランティアである。2020年の東京オリンピック開催に 向けて、東京からはもうすぐ”オリンピックボランティア”をPRしてくるだろう。国、地域をあげて、「ボランティアへの期待」がやたら熱いのだ。
今の日本社会においてボランティア活動は特異なものではなく、どこの地域にもあって誰でも取り組める「ごく普通の活動」になりつつある。大学の 講義で学生らにボランティア活動経験を尋ねると、「高校の科目の中で受けた」と返ってくる。彼らにとってボランティア活動は、いわば公民を学ぶの と同じ「科目」であって、「問題解決」という発想はあまりない。あまり考えずとも、活動が「用意」され存在しているからだ。
そもそもボランティアは”自由意思”をベースとした活動である。活動を始める動機やきっかけは何であれ、何かに縛られるものでもない。自分自身 が自由さを感じて、自らが選んだ行為から得られる喜びがあり、関わろうとする人の個性とか温かさがにじみ出てくる。そういった体験から自分にとっ ての何かの価値を見出したりもする。そう考えてみると、与えられるボランティア活動からは、「自由」というボランティアらしさがイメージしにくく なってきているのかもしれない。
冒頭のNPO代表の質問は、そんな社会の現況を反映しているとも言える。彼は、やろうとしている事業にはボランティアが必要だと強く信じてい る。しかし、そこに「なぜ、ボランティアなのか」、「ボランティアにとっての報酬とは何か」、「有給スタッフとの役割の違いは?」という問いは まったくなかった。世間で、成功しているイベントや施設運営のボランティア事例を見聞きし、「これならボランティアでできる」と思ったようであ る。成功していると分かっても、それをどう運営していいのかが分からず、「無償でステキに動く人ってミラクルな人に違いない」と思って、冒頭の質 問が自然と出たのだと想像できる。
なるほど……気分は若干複雑である。「ボランティアに、『絶対、~しなければならない』は馴染まない」ということが通じない。ボランティアは大 事だし必要だ、と思う人は増えてきた。しかし、その中身や本質が、ほとんど語られていない。考えられていないから、語られてないのか。語っていな いから、考えられないのか……。
今一度、私たちは、ボランティアの本質と創造性について、語ることが必要なのではないか。
2015年―。大阪ボランティア協会は、創立から50年、つまり、半世紀を迎える。その半世紀の歩みの中でも変わらないことを、今の社会の響く 形で語りかける必要がありそうだ。世にミラクル(神技的)なボランティアがいるのではなく、市井の中の様々な思いをもった人々の心がはじけあう中 で、いくつものミラクル(奇跡)が起こるのだ、ということを何度も発信し伝えていかなければならない。
【Volo(ウォロ)2015年2・3月号:掲載】
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